ガーデン・オブ・フェアリーテイル シロツメクサの花冠を、君に

  シロツメクサの花冠を、君に  

 まだ冬の匂いが残る、四月の夜のことだった。
 ふと、花織かおるが目を覚ますと、ベッドはひどく冷えていた。厚手の毛布を乱暴に剥がして、壁時計を見遣れば、午前三時を指している。
 真夜中だというのに、隣で寝ていた妻の姿がない。
「……庭か」
 あの娘は、花織に黙って外に出ることはしない。おおかた眠れなくて、敷地内にある庭園を散歩しているのだろう。
 薄手のカーディガンをひっかけて庭に出れば、刺繍花壇パルテールの近くに小柄な人影があった。石畳にランプを置いて、彼女は膝を抱えていた。
 何をするわけでもなく、じっと地面を見つめている。
撫子なでしこ。風邪を引きますよ」
 顔をあげた彼女は、驚いたように瞬きをひとつ。
「元気だけが取り柄だから大丈夫だよ」
「同じことを言って、子どもの頃の杏平きょうへいは寝込んでいましたね」
「杏平くんは、わたしと違って、あんまり身体が強くなかったから」
 父親のことを思い出したのか、撫子は困ったように眉を下げた。彼女の父親は、病によって三十九歳の若さで亡くなった。
 彼の死こそ、花織が撫子を妻に迎えたきっかけだ。
「そうですね。強かったのは、身体ではなく心でした」
「打たれ強い、って意味でしょ? 落ち込まない、反省しない、直してくれない。杏平くん、ほとんど後悔なんてしなかったんだと思う」
「ええ。君のこと以外は、きっと」
「ううん。花織のこと以外は、だよ。あのね、いまが寂しいとか、悲しいとか、そういう気持ちはないから、誤解はしないでほしいんだけど。夜、目が覚めたりすると、思い出すことがあるの。杏平くんのこと」
「……ええ」
 膝を折って、彼女と同じように座りこむ。そして、ようやく、彼女が何を見ていたのか分かった。
「シロツメクサを編んでくれたことを、夢に見たの」
 刺繍花壇の端に、石畳の隙間を縫うようにシロツメクサが生えていた。どこからか運ばれてきた種が、いつのまにか芽吹いたようだ。この区画の世話をしているのは撫子なので、きっと、あえて摘まなかったのだろう。
「花冠ですか?」
「泣いているわたしに、杏平くんが花冠をプレゼントしてくれたの。わたしには編むことができなかったから」
 花冠を編むことができなかったのは、何も、撫子が不器用だからではない。
 ――その手は妖精の血に濡れて、花々を枯らす呪いとなった。
 植物を枯らす呪われた指を持っていた少女に、シロツメクサの花冠を編むことはできない。可愛らしい花に触れた途端、すべては灰になったはずだ。
 花織は白い花を摘んで、するすると編んでいった。
 完成した小さな花冠を、撫子の頭に載せる。そのまま灰色の髪を梳いてやると、彼女はくすぐったそうに肩を揺らした。
「可愛いですね、世界でいちばん」
「そんなこと言ってくれるの、杏平くんと花織だけだよ」
 俺の娘は世界でいちばん可愛い。そう言って、彼は撫子に花冠を贈ったのだろう。
「杏平に先を越されたのは癪ですね。僕だけが良かったのに」
「そうなの? 杏平くんも、花織も、わたしの大好きな人だから嬉しいのに」
 素直な箱入り娘は、好意を口にすることをためらわない。彼女と結婚してから一年目――本当にいろいろあった春夏秋冬を経て、その傾向は強まった。
 臆病な花織のために、彼女は言葉を惜しまない。
「僕は、あまり心が広くないので、嫉妬してしまうのです。僕の知らない君を、杏平はたくさん知っているのでしょう? 君も同じことを思いませんか? 君の知らない僕を、杏平は知っているのですから」
 撫子は唇に指をあて、考えるような素振りをみせる。
「嫉妬はしないよ。あのね、気づかなかっただけで、わたし、ずっと前から花織のことを知っていたと思うの。杏平くんのなかにも、花織はいたんだと思う」
「僕が、いた?」
 この娘は、たまに不思議なことを言う。花織には想像もつかない思考回路をしているので、すぐに理解することができない。
 撫子は壊れ物をあつかうように、そっと頭の上にある花冠に触れた。
「小さい頃、杏平くんが花冠を編んでくれたのは、花織が教えてくれたからだと思うの。むかし、お友達と一緒に作ったことがある、って言っていたから」
 ふと、花織の脳裏をよぎった記憶があった。撫子の父が、まだ学生だったときの話だ。確かに、彼と一緒にシロツメクサの花冠を編んだことがあった。
 何がきっかけだったかも思い出せない、日常に埋もれていく些細な記憶だ。
「それが、あれの中に僕がいた、ということですか」
「同じようなこと、たくさんあったと思うの。だから、杏平くんには嫉妬しないよ」
 花織には理解できない感覚だ。けれども、ずっと昔から、花織のことを撫子が感じてくれていたなら、それは幸福なことだろう。
 視線を落とせば、シロツメクサの花が、夜闇を照らす明かりのように灯っていた。四葉のシロツメクサ(クローバー)が象徴するように、この花には《幸福》という花言葉がある。
 遠い昔、杏平が撫子にシロツメクサの花冠を贈ったならば――。
 そのとき、花織もまた、彼女に幸福を運ぶことができたのだろうか。杏平のなかに息づいた花織の存在が、彼女に幸いを与えることができたならば、とても嬉しく思う。
「君の考えることは、いつも能天気で、ふわふわしていますね」
「褒めているの?」
「褒めています。そういうところが、可愛くて、憎らしくて、とても好きなので」
「なら、良かった。ねえ、花冠の編み方、わたしにも教えてくれる?」
「もちろん。花冠を、僕にくれるのならば」
「杏平くんのお墓が先かな?」
「そんなことをしたら、嬉しいあまり、化けて出てきそうです。あれは、君のことが世界でいちばん大好きだったので」
「花織のことも大好きだったよ、杏平くんは」
 知っている。大事な娘を、だまし討ちのような真似で嫁がせるくらいなので、花織が想像する以上に、杏平はこちらを愛してくれていた。
 目を伏せると、いたずらに笑う青年がいる。
 花織の記憶のなかで、彼はずっと二十歳の青年のままだった。兄のように、弟のように過ごした友人は、仲違いをしたときから姿を変えることはない。
 花織の前から姿を消したあと、彼がどのように生きたのか、花織は知らないつもりでいた。しかし、本当は少しだけ違うのかもしれない。
 隣で能天気に笑っている妻のなかにも、きっと杏平は息づいている。
「次の墓参りには、ふたつ花冠を供えましょうか。君と、僕から、あれの幸福を祈って」
 撫子の華奢な指先に、そっと自らのそれを添える。彼女は優しく微笑んで、花織と一緒にシロツメクサを編んでいった。
 あたたかな熱を帯びた指に、どうしようもなく、花織は胸がいっぱいになった。


 ちょっぴり不思議な、けれども幸せな現代の御伽噺フェアリーテイルの後日譚A。何処かの夫婦が、一緒にシロツメクサの花冠を編む話でした。
 ※本編を読んでくださった方に向けて、作者個人がお礼の気持ちとして用意した掌編です。編集部様へのお問い合わせはご遠慮ください。

 2020.5.2 東堂 燦



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