ガーデン・オブ・フェアリーテイル リンデンバウムの花言葉

  リンデンバウムの花言葉  

 十一月の終わり、新潟は冬への階段を駆け下りる。雲に覆われた空は薄暗く、窓を開ければ寒風が吹き込んできた。
 くしゅん、という小さな音に、朽野くだらの花織かおるは振り返った。
 サンルームに置かれたイーゼルの横で、灰色の髪をした女が身を震わせた。すでに成人は迎えているが、顔立ちのせいか、何処か少女めいた印象を受ける。
 窓を閉めて、花織は妻のもとに向かった。
撫子なでしこ。風邪を引きましたか?」
 彼女の両肩に手を置いて、そっと額を合わせる。花織とは違う、熱いくらいの体温が伝わってきた。
「おでこ、ひんやりして気持ち良いね」
「氷嚢代わりにしますか? 少し熱があるのかもしれません。寒くなってきたので、具合が悪くなったのでは?」
 額を離して、その身体を抱き寄せる。腕のなかに閉じ込めてしまうと、撫子は安心しきった様子ですり寄ってきた。
「まだ十一月なのに、冬が来たみたい」
「そろそろ初雪ですよ、きっと」
「だから、雪の庭を描いたの?」
 撫子は、イーゼルに立てかけられた画布カンヴァスを指差す。
 花織の生業は、妖精き――妖精に呪われたモノに纏わる厄介事を解決することだが、その他にも庭を設計する造園家としての顔を持つ。このサンルームは、設計した庭のイメージを絵に起こすとき、よく使っていた。
 部屋の中央にあるイーゼルに、淡い色彩の置かれた画布がある。ちょうど描かれているのは、白い花をつけた樹のある夏庭だ。
 言われてみれば、小さくて白い花々は淡雪にも見えた。
「雪ではなく、ボダイジュの庭ですね」
菩提樹ぼだいじゅ。お釈迦様の木?」
「いいえ。そちらではなく、リンデンバウムの方ですね」
「……りんでん、ばうむ」
 ぜんぶ平仮名に聞こえて、花織は思わず笑ってしまう。
 撫子が想像した釈迦の菩提樹と、花織の言っているボダイジュは全くの別物だが、その説明は後日にしよう。きっと、混乱させてしまう。
「リンデンという名前で、ハーブティーなどに入っていますよ。リンデンの花を使ったハーブティーには、安眠効果があるんですよ」
「もしかして。昨日の夜、淹れてくれた御茶?」
「朝まで、よく眠れたでしょう?」
 寒さで体調を崩したのか、最近の撫子は夜中に目が覚めてしまう。起きた彼女は、そのまま寝室から出て、朝になっても戻らないのだ。
 隣で寝ている花織を起こさぬよう、気を遣ったのだろう。しかし、花織からしてみたら不満で仕方がなかった。
 せっかく腕のなかに閉じこめたのに、どうして一人きりで朝を迎えなければならない。
「良い夢が見れた気がするの。あの御茶、今日も淹れてくれる? 優しくて、ほんのり甘い香りがして好きだったから」
「もちろん。本物のリンデンバウムも、甘くて、とても良い香りがするのですよ。夏になると、白くて可愛い花を咲かせる木です。撫子は見たことありませんか?」
 記憶を手繰り寄せるように、撫子はゆっくりと瞬きをする。
「……図鑑に載っていたのを、見たことあるかも。小さくて可愛い、淡雪みたいな花を咲かせる木だよね」
 花織よりもずっと幼く、年下の妻は、もともと妖精憑き――妖精に呪われたモノだ。生まれつき、彼女の手は触れた植物を枯らした。
 そんな呪いを持つがために、彼女は文字どおりの《箱入り娘》として育てられた。
 その境遇からは考えられないほど前向きで、無神経なほど打たれ強い面もあるが、本当に狭い世界を生きてきた子だ。写真や映像、本などからの知識はあっても、実際に見て触れることのできたものは少ない。
「冬が明けたら、桂花館の庭にも植えましょう。毎年、白くて可愛い花が咲くように。リンデンバウムの花言葉、知っていますか?」
 撫子は首を横に振った。耳元で囁いてやると、照れくさかったのか、ほんのりと白い頬が色づいた。
 リンデンバウムの花言葉は、夫婦愛。
 季節が廻って、あの庭に何度白い花が咲こうとも、僕と君が仲の良い夫婦でいられますように。


 11月22日、いい夫婦の日に寄せて。
 ちょっぴり不思議な、けれども幸せな現代の御伽噺フェアリーテイルの後日譚。何処かの夫婦の、日常の一幕でした。
 ※本編を読んでくださった方に向けて、作者個人がお礼の気持ちとして用意した掌編です。編集部様へのお問い合わせはご遠慮ください。

 2019.11.22 東堂 燦



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