ガーデン・オブ・フェアリーテイル 恋人たちのヤドリギ

  恋人たちのヤドリギ  

 十月三十一日。
 世間は、ここ数年では一番落ちついたハロウィンを過ごしていた。
 花織が記憶している限り、昔の日本では、そもそも取り上げられることのなかったイベントだ。近年はひどい騒ぎようなので、ある意味、今年は昔に戻ったようなものなのかもしれない。
「誕生日おめでとうございます」
 世間一般のハロウィンは置いておいて、今日という日は、花織にとって特別だった。結婚して数年目の妻が、この世に生を受けた日である。
 二十三歳。とっくに成人しているのに、何処か少女めいた印象のある女だった。ずっと昔、彼女が子どもだった頃の記憶に引きずられているからかもしれないが。
 ひどく穏やかで、満ち足りた日だった。
 撫子が用意してくれた、いつもより豪勢な食事を囲って、それから二人で庭中を散歩した。そのあとは、サンルームで庭の図面をあれやこれやと話し合った。
 時世ゆえ、旅行などの遠出は叶わなかったが、十分すぎるほど幸せな一日だ。
 誕生日の祝いとして、花織は撫子の手に天鵞絨の小箱を置く。
「貰って良いの?」
「お祝いですからね」
 小箱に納められているのは、一点もののバレッタだ。古い知り合いに頼んだもので、快く引き受けてくれた彼は、それは力を込めて、素晴らしい品を用意してくれた。
 撫子はバレッタを摘むと、そっとサンルームの照明にかざした。
「可愛い。これは何の花?」
「ヤドリギですよ」
 金色に輝くバレッタには刻まれている模様は、ヤドリギの花と枝をモチーフにしていた。花織が願ったとおりの、美しい仕上がりである。
「魔除けの木だっけ?」
「よくご存じですね。悪霊を払うために、天井から吊るしたりします。魔除けといえば、日本では柊の方が馴染み深いでしょうが」
 柊。古来より、鬼門の方角に栽培することで、魔除けの役割を果たしてきた。
 日本の柊とは異なるが、西洋におけるホーリー(西洋ヒイラギ)も魔除けの意味を持つので、ヒイラギの名を冠するものは、様々なところで魔を退ける樹木なのだ。
「柊は見たことあるけど、ヤドリギは見たことなくて」
「冬の庭で、いくつかヤドリギも描いたスケッチがありますよ」
「そうなの?」
「ええ。ヤドリギは、宿木、あるいは寄生木と書きます。姿かたちも、その字があらわすとおりです」
 思いあたる節があったのか、撫子は手を叩いた。
「緑色の球みたいなもの? 冬の庭なのに、どうして枝に緑が残っているのかなって、不思議だったの。寄生するんだね。他の木に」
「正解です。木々の葉が落ちても、不思議と緑の球体が枝に残されている。あれがヤドリギですよ。僕の故郷だった場所では、オークやリンゴに寄生しているのを見かけました」
「日本にもある?」
「自生しています。ただ、日本よりも、あちらの方が馴染みのある木かもしれません。クリスマスになると、特別な意味を持つので」
「あっ。それは聞いたことあるかも」
 撫子は手を挙げると、ヤドリギのバレッタを、自分ではなく花織の髪に留めた。不思議に思っていると、彼女は花織の両肩を掴んで、そっと背伸びをする。
 ふんわり唇を掠めたのは、子ども染みた口づけだ。
 羽のように軽く、ともすれば夢まぼろしのようなキスは、あまりにも愛らしく、くすぐったいものだった。
「ヤドリギの下では、キスを拒んじゃいけないの。知っている?」
 自信満々に語った娘は、照れたように目を伏せる。初めてのキスでもないのに、白い頬は熟したリンゴのように赤くなっていた。
 ヤドリギの下では、キスを拒むことができない。
 諸説あるが、確かにそのような習俗はある。花言葉のひとつに《キスして》なんてものが含まれるときもあるくらいだ。
「もちろん。知っていますよ」
 植物に纏わることならば、彼女よりも花織の方が良く知っている。
 そもそも、花織が今までの人生で、どれだけヤドリギの下でキスした恋人や夫婦を見てきたと思っている。
 心底くだらない、吐き気がする、そんな気持ちで眺めていた。
 ヤドリギの下でキスをしたところで、人間たちは簡単に仲違いして、永遠を誓った身で不貞を働く。
 そのときの愛が嘘でなかったとしても、未来まで、二人の終わりまで愛に満ちたものになる保証は、何処にもないのだ。
 変わらないものはない。瞬きのうちに、芽生え、散りゆく人間という生き物は、身体だけでなく、心すら、たやすく変わり果てる。
 この娘の心も、身体も、これから少しずつ変わっていく。
 それでも、どうか変わらず、花織の隣にいてほしい。
 どうしたって、もう手放してあげることはできない。ならば、花織のことだけを考えて、血の一滴、骨の一欠片まで、花織のものになってくれたら、と願ってしまう。
 この娘の喜びも哀しみも、痛みすら、誰にも渡したくなかった。花織は、彼女のすべてになりたい。
 花織は薄い唇に笑みを刷くと、仕返しとばかりに小さな唇に噛みついた。
 反射的に身を引いた娘を絡めとるよう、掌で後頭部を掌で押さえつければ、たちまち紫がかった瞳が潤んでいく。
 強張る小さな身体が、ひどくいじらしくて、愛しくて堪らなかった。
「ヤドリギの下では、キスを拒んではいけないのでしょう?」
 真っ赤になった娘を、花織は宝物のように腕に閉じ込めた。



ちょっぴり不思議な、けれども幸せな現代の御伽噺(フェアリーテイル)の後日譚B。
何処かの夫婦が、ヤドリギの下でキスをする話。
本編は2017年の物語(※第3章、月の満ち欠けの描写から分かります)なので、2020年の撫子は23歳です。
ガーデン・オブ・フェアリーテイルは、いまも時折、お言葉いただくことのある、とても幸せな作品です。楽しんでいただけたら嬉しいです。

 ※本編を読んでくださった方に向けて、作者個人がお礼の気持ちとして用意した掌編です。編集部様へのお問い合わせはご遠慮ください。
 2020.10.31 東堂 燦




【おまけ】
※お手紙のお礼につけている掌編の内容を、ちょこっとだけ含みます。
単体だと分かりにくいかもしれないので、おまけとして載せます。
花織は、撫子が子どもだったときも面識があり、その当時は、本編よりも口が悪く、ぶっきらぼうな話し方でした。【おまけ】の花織は、当時の口調です。


 早朝の桂花館。
 まだ薄暗いうちに、隣家に住む辻蓮之介が訪ねてきた。紙袋いっぱいの和梨を抱えた男は、テーブルでスケッチする花織をみるなり、盛大に顔をしかめた。
「今日は、サンルームじゃねえのかよ」
「撫子が寝ている」
「……サンルームで?」
「夜更まで、仲良くお喋りしていたからな」
「へえ、仲良く。程々にしておけよ。なっちゃんいねえなら、もう帰るわ」
「起きるまで待っていたら、どうだ? 時間なんて、腐るほどあるだろう」
「ふざけんな、お前と違って忙しいんだよ。……昔の口の悪さがで出てんぞ。寒気がするような、お綺麗な口調は何処に置いてきた?」
「撫子の前ではないからな」
 苦虫を噛み潰したような顔で、蓮之助は溜息をつく。
「温度差で風邪引く。なっちゃんの前だけ、良い子ぶりやがって」
「仕方ない。撫子の《王子様》は、いつもにこにこして、柔らかい話し方をするらしい。あとは、そうだな。撫子のことを、世界でいちばん、杏平よりも大事にしてくれる男でないと、結婚してくれない、と」
 十年以上も前、白薔薇の庭に迷い込んできた、小さな女の子を思い浮かべる。
 撫子は、幼いとき花織と出会ったことを、何処まで憶えているのか怪しい。断片的なことは思い出せるかもしれないが、当時のことを、はっきりと意識することはないだろう。
 それでも、花織は憶えている。あのときの彼女の息遣いさえ、ひどく鮮やかによみがえるのだ。
「なっちゃんのために、ああなった、と?」
 蓮之介の言うとおり、幼い日の撫子が望んだから、花織は花織になった。
 彼女の語った《王子様》が、いつも微笑んでいて、柔らかな話し方をする男だったから、花織はそう在ることを選んだ。
 結局のところ、離れていたときも、杏平が死んで再会したときも、花織にとっての彼女は特別だった。
「撫子は、俺の《王子様》になってくれるらしい。だから、俺も撫子のための《王子様》になる。そういう約束だ」
「どちらかと言えば、お前は《お姫様》って感じだけどな」
「それも間違いではない」
 呪いに囚われた花織は、かつて撫子が語ったように、呪いを解いてくれる王子を待つ姫君でもあった。
「つうか、お前、頭に何つけてんだ?」
 蓮之介は、自らの頭を指で軽く叩いた。左の側頭部、ちょうど昨日の撫子がバレッタを留めてくれた場所だった。
「撫子への誕生祝いだな」
「へえ。なんで、お前がつけてんのか分かんねえけど、高そうだな。また貢いだのか」
「人聞きの悪いことを言う」
「何のデザイン?」」
「ヤドリギだな。魔除けの木」
「いちばん邪悪な男を除けられていない時点で、そんなの意味ねえだろ」
「俺は許される。あの娘の夫だから。昨日、これで少し撫子と遊んだ」
「なっちゃんと遊んだんじゃなくて、なっちゃんで遊んだの間違いじゃねえの」
「どうだろうな。遊ばれたのは、むしろ俺の方かもしれない」
「あー、惚気かよ。聞きたくねえ」
「ヤドリギの下では、キスを拒んではいけないそうだ」
「くっだらねえ。誕生日になにやってんだよ、バカ夫婦」
「バカも楽しいものだろう? それに、撫子はともかく、俺の誕生日ではないからな」
 朽野花織に、生まれた日など存在しない。祝うべき日は、いつだって仮のもので、何一つ特別なものではなかった。
 蓮之助は溜息をつく。
「朽野花織の誕生日は、昨日だけ。なっちゃんと生きるつもりなら、それだけが正解だ」
 そのとき、廊下から、ぺた、ぺた、という子どもみたいな足音がする。サンルームの毛布にくるまっていた娘が、どうやら目を覚ましたらしい。
「さっさと猫かぶれよ。《王子様》なんだろ」
 花織は目を伏せて、それからゆっくりと微笑みを作る。いつもと変わらず、娘の優しい夫であるための姿かたちを思い浮かべる。
「蓮さん? 朝から、どうしたの」
「朝から邪魔しちゃ悪いのかよ。生徒の親御さんから、梨貰ったから、お裾分け」
「えっ、良いの? 嬉しい。花織、あとで剥いてあげるね」
「果物くらい自分で剥かせろよ。あんまり甘やかすな」
 悪態をつく蓮之介に、花織はゆるく首を横にふった。
「良いのですよ、存分に甘やかしてくれて。僕も甘やかしていますので」
 手招きすると、撫子は何の疑いもなく、花織のもとへ近寄ってくる。眠たげな瞼を指先でなぞって、それからその目元に、頬に、そして唇に口付けた。
 撫子は身を強張らせながらも、おずおずと花織の背中に腕をまわした。花織の髪に飾られたままのバレッタを見て、そっと口づけを受け入れる。
 ヤドリギの下では、キスを拒んではいけないのだ。



 ※本編を読んでくださった方に向けて、作者個人がお礼の気持ちとして用意した掌編です。編集部様へのお問い合わせはご遠慮ください。
 2020.10.31 東堂 燦



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