farCe*Clown

幕間 過去の憧憬 26

 目にも艶やかな金髪は肩より高い位置で切り揃えられ、少しだけ垂れ下がった碧の瞳は柔らかな光を孕んでいた。
 慎ましやかな黒のドレスを身に纏い、彼女は礼を執った。
「ミリセントと申します。キユ様のお世話と、勉学の指導をさせていただききます。よろしくお願いいたします」
 わずかに雀斑の散った頬を緩めて、優しげな風貌の侍女は微笑んだ。


               ☆★☆★               


 未だに、朝日が眩しい頃合い。
 希有は、ソファに座り、黙々と英文に目を通していた。
 以前、ミリセントに見繕ってもらったものでは難易度が高すぎたので、今度は童話を見繕ってもらった。それも、こちらの世界で創作されたものではなく、向こうから流れ着いたものである。
 ある程度の大筋が分かっていれば、読むときの難易度が下がると考えたからだ。憶えのある物語は、向こうで希有が読んだものと多少の違いはあったが、他の本に比べたら読みやすいものばかりである。
 最後のページを捲り、希有は小さく息をついた。
「読み終わりましたか?」
 落ち着いた声に振り向くと、ミリセントが佇んでいる。
「朝食のご用意ができましたから、どうぞ」
 日の当たる白いテーブルの上にはティースタンドが用意され、香ばしい匂いが部屋を満たす。
 希有はミリセントの言葉に頷いて、席を立った。
「……、いただきます」
 手を合わせた希有に、ミリセントは首を傾げならも、白いティーカップに紅茶を注いで差し出しきた。
 それを受け取り、希有は彼女を見上げる。
「……ありがとう。温かいね」
「朝方は少々冷え込みますから」
 習った作法に気をつけながら、たどたどしく食事を取り始めた希有に、ミリセントが苦笑する。
「作法は大切ですが、そこまで畏まらなくても大丈夫ですわ。繰り返すうちになれるものですし、食事は楽しむものです」
 気遣わしげな言葉に、希有も釣られるように苦笑した。
 服装に関する気遣いもだが、ミリセントは良く気が利く女性だった。それ故に、シルヴィオの命とはいえ、穀潰しのような希有の傍に置くことが勿体ない人だ。
「相手に不快な思いをさせないための作法です。一番大切なのは、その気持ちなのですよ」
 食事をする希有の横で、ミリセントは、希有の間違いを丁寧に正していく。
 覚えの良い生徒とは呼べないだろうに、彼女は嫌な顔一つ見せずに希有の指導をしてくれる。シルヴィオの命もあるのだろうが、本来の彼女の性質に寄るところも多々あるのだろう。
 食事を終えるのに随分とかかったが、ミリセントは満足そうだった。
「はい、良くできましたね。キユ様、本日はどのようにお過ごしになられますか?」
 今日の予定を訪ねてくるミリセントに、希有は首を傾げた。
「……、勉強は?」
 常ならば、朝食を食べた後は少しの休憩を挟んで、リアノの常識や歴史について習っていた。必要のないものだと思っていたが、襤褸を出さないために、最低限習っておくようシルヴィオから言われていたのだ。
「本日はお休みにしましょう。キユ様が頑張ってくださったので、今日までにお教えする分は終わっているのです。たまには、息抜きも必要ですわ」
 優しげに微笑んだ彼女に、胸の奥がわずかに痛む。
 背丈も容姿も性格さえも似ていないというのに、希有は年上のミリセントに、時折、母親の影を垣間見る。
 自尊心が高く、常に苛立ちを抱えていた母の姿を、思い出してしまうのだ。
 希有たちの母は、己の自尊心と親族に対する劣等感で、常に苛立ちを抱えているような人だった。優秀な親族に囲まれながらも、平凡に生まれた自分が堪らなく嫌だったのだろう。
 そのような母にとって、優秀な美優あの子は救いであり、劣悪な希有は汚点だった。
 記憶にある母は、大抵、眉間に皺を寄せて睨むように希有を見つめている。暗く澱んだ瞳で、呆れとも諦めともつかない溜息をこぼす姿が、堪らなく辛かった。
 ミリセントのような優しげな笑みを、母が希有に向けてくれたことなど、本当に小さかった頃の話だ。
 それなのに、ミリセントに母親を重ねてしまうのは、彼女が希有の望んだ母親の理想像だからなのだろう。
 間違ったことを頭ごなしに叱るのではなく、優しく諭してくれる。
 希有が優秀でなくとも、見捨てることなく相手をしてくれる。
 ――、終ぞ叶うことはなかったが、どちらも、かつての希有が母親に望んだことだった。
「今日は、ミリセントと話がしたいな」
 ミリセントはわずかに目を見張ってから、柔らかな声で言った。
「私でよろしければ、喜んでお相手になりますわ」
 もし、希有が美優のようであったのならば――。
 母は、希有にも笑いかけてくれただろうか。
 ありもしない過去を想像して、希有は自嘲する。ミリセントは、希有の母親ではない。あの人は、こんな風に希有に笑いかけたりしない。

 なんて、莫迦らしいことを考えているのだろうと、希有は目を伏せた。