farCe*Clown

第三幕 砂中で生まれた子どもたち 68

 アルバートが希有を連れてきたのは、後宮の奥まった場所にある一室だった。何故、ここに連れられてきたのか分からずにいると、アルバートは苦笑いを浮かべる。
「この部屋には、カルロスが襲撃された際の生き残りの一人が保護されているんだよ」
「……生き残り。どうして、わざわざここに?」
 王の居住区でもある後宮で保護する必要性が感じられない。保護するだけならば王城でも事足りたはずであり、王に危害が及ぶ可能性を考えると後宮で保護するなど正気の沙汰ではない。
「王城で保護するには、あまりにも時期が悪かったんだ。ここにいる男は、レイザンドと浅からぬ縁があるから」
 溜息をついたアルバートは扉に手をかけてゆっくりと開く。そこに広がっていたのは、大きな寝台とローテーブルが置かれているだけの寂しい部屋だった。
 寝台の上には、銀色の髪に褐色の肌をした男がいた。こちらの来訪に気づいて上半身を起こした彼は、何の感情も籠らぬ眼差しで希有たちを見た。
 ――ああ、希有はこの男を知っている。
「名をリラ。カルロスの側近で護衛を務めていた男だよ。……君は彼と面識があるよね」
 忘れられるはずもなかった。今から一年ほど前、シルヴィオを王城から逃した時、この男が希有をカルロスの下へと連れていった。自然と震え出した己の身体を抱いて、希有は息をつきながら心を落ち着かせる。あれは過去のことで、既に終わったことだ。
「……それで、この人が今回のことと何か関係があるの?」
 アルバートは小さく頷いて、寝台にいる男を指差した。
「リラはね、カルロスの血の繋がった実子・・・・・・・・なんだよ」
 希有は思わずリラの顔を凝視する。あの老人と目の前の男に似通った点など少しも見当たらない。そもそも、カルロスとリラでは明らかに人種が違う。銀髪に褐色の肌をした彼は、リアノ人というよりはレイザンド人に近い姿をしている。
 そこまで思い至った希有は違和感に気づく。リアノのことをほとんど知らなかった当時は疑問を抱くこともなかったが、臆病で閉鎖的なリアノに、何故明らかに異国の風貌をした男がいるのだ。
「キユ・ファラジア。おそらく、貴方は私を見て誰かを思い出したのではないですか。……私は彼女に、正確には彼女の母親・・・・・に随分と似ているそうですから」
 その言葉を聞いた時、男の顔が一人の女性と重なった。ヴェール越しにしか見たことはないが、あれほど近寄れば彼女の顔がどのようなものなのか分かる。
 ――あの日、共に歩いた庭園で、ライラックの花を見つめながら砂漠の王女は呟いたのだ。
『会いたい者を見つけ出し……、母の不始末を片付けるその日まで、妾は迷わぬ』
 愛しい者に焦がれる瞳ではなかった。その眼差しに宿されていたのは、仇敵を憎む復讐者の光だった。
「カルロス様が襲撃された際、犯人の中にレイザンド人がいたことを知っていますか。――あの方が殺された原因は、すべて私にあります」
 悲しげに目を伏せたリラは、胸元で拳を強く握りしめていた。震える掌から零れ落ちた赤い滴が、彼がどれほどの慟哭を抱えているかを示す。
「カルロスが若い頃に犯した失態。王位継承権をはく奪された理由は、リラの出生に関わり、互いの国に禍根を残す結果となったんだよ」
 それは当然のことだっただろう。何故ならば、カルロスが懸想したのは男神に嫁いだ娘・・・・・・・だったのだから。
「カルロスと、レイザンドの前女王――サーシャ様のお母様の間に生まれたのが貴方なんだね」
 若かりし頃に砂漠の国を訪れたカルロスは、神と婚姻を結ぶ女王と想いを通わせた。決して赦されぬ、叶うことのない恋心を抱いたのだ。
「当時を知る者にとっては公然の秘密だったらしいよ。他国の王女、それも世継ぎの姫を孕ませたとなれば、カルロスが王家から遠ざけられるのも当たり前だ」
 慈悲深いと言われた先王が、周囲の反対を押し切ってまで兄を王家から除名しなかった理由も分かった。カルロスの弟であった先王は、潰えてしまった兄の恋を知っていたのだろう。知っていたからこそ、兄を完全に廃することができなかったのだ。
 リラはおもむろに懐から一つの封筒を取り出した。
「カルロス様が、幼き頃に私に託したものです。――私を生んだ娘が、赤子だった私と共にカルロス様に渡した手紙」
 その封筒を渡された希有は、恐る恐る中を開いて一枚の紙を手にとる。長い年月が経ち黄ばんだ紙には一言、涙の染みと共に書きなぐられた言葉があった。

「貴方にリラを捧げます」

 どれほどの痛みを堪えて、彼女は――異国の男を慕い母となった娘は、この言葉を書き殴ったのだろうか。生んだばかりの愛しい我が子を送り出したのだろうか。
「リラとはライラックの別名らしいです」
 希有でも知っていた有名な花言葉が脳裏を過る。
 ――ライラックの花言葉は初恋。
 それは、即位するレイザンドの女王が棄てなければならなかった想いで、カルロスが諦めるしかなかった想いの名でもあったのだろう。
「カルロス様には感謝しています。あの方を捨てた女との子どもである私を……、あの方を玉座から遠ざけた息子を、殺さずに育ててくれた」
 希有は一年前にカルロスが玉座を欲した理由を想像してしまう。そして、それはおそらく間違いではないという確信も抱いた。
 カルロスは、息子のために玉座を欲したのだ。
 老い先短い自分のために王になりたかったのではない、影でしか生きられない息子を日の下に引っ張り出そうとしたのだろう。無論、それは夢見がちな老人の莫迦げた妄想でしかない。権利を持たない上に、レイザンドの血を交えたリラが王となることは認められない。
 それでも、老人は残り少ない人生で儚い夢を追ったのだ。叶わなかった初恋の末に生まれた息子に、せめて幸せに暮らせるようにと願った親心は、実に身勝手で傲慢だった。
「私の生きる意味は、カルロス様にありました」
 リラは気づいていない。想像しようとさえ思わないのだろう。血の一滴から骨の髄まで亡き老父に捧げた彼にとって、己の幸せが意味するのはカルロスの幸福だった。己の幸福がカルロスの幸せであったことなど考えもしないのだ。
「あの方が望むことなら、すべて叶えてさしあげたかった。枷にしかならない私に与えてくれた、……不器用な優しさを、憶えているから」
 目を伏せたリラの表情はほとんど変わらなかったが、その声は酷く震えていた。
 彼らは表立って親子として生活することはできなかった。公然の秘密とされていたところで、二人の間に血縁を認めることは叶わなかったのだろう。
 それでも、――確かに二人は家族だったのではないかと思う。
 血の繋がりを公に認められていながらも、互いを想い合うことのできなかった希有たち家族とは違う。赤の他人と断じられてもなお、彼らは互いを想い合うことを止めずに生きたのだ。
「私はリアノを守れと言ったあの方の遺志を叶えてさしあげたい。……今さら、レイザンドが私の出生を蒸し返すためにリアノを訪れたとは思っていません。彼らの目的はリアノそのものなのですから」
「……カルロスは、独自にレイザンドに探りを入れていたんだね」
 アルバートの言葉をリラは否定しない。リラの出生を考えれば、生前のカルロスが誰よりもレイザンドに対して過敏になっていたことが察せられる。独自に探りを入れ情報を掴んでいたとしても可笑しくはなかった。
「年々進むオアシスの枯渇に頭を悩ませていたレイザンドは、国外に目をつけました。自国で賄えないのであれば、手遅れになる前に他国から奪えば良い、と」
 地球から盗まれたすべてが流れ着く蜜腺を保有するリアノは、小国でありながら資源に溢れた豊かな国である。広大なルサ山脈を挟むとはいえ、隣国であるレイザンドがリアノに目をつけたのは当然の成行きだったのかもしれない。
「今のレイザンドは二つの派閥――穏健派と急進派に割れています。彼らの目的は同一であり、その差は手段の違いでしかありません。交渉によって事を進めようとしたのが穏健派、始めから武力を持って事を進めようとしていたのが急進派です」
「それじゃあ、サーシャ様は穏健派で、交渉のためにリアノを訪れたの……? どうして、わざわざ新王就任の挨拶なんて名目で……」
 新王就任の挨拶が仮初の目的であったことは承知だったが、それならば、始めから交渉の場につくための名目で動けば良かったのではないか。
「たぶん、今回の王女の訪問は穏健派の独断で、急進派の動きを牽制するために名目上だけでも変える必要があったんだ。――リラ、このことはシルヴィオの奴も知っているんだよね?」
「ええ、すべて話してあります」
「それなら、シルヴィオの奴、向こうの要求を分かった上で明日会談の場を設けることを了承したのか」
「会談?」
 初めて聞いた事柄に、希有は聞き返してしまう。政治の場から遠ざけられているため、希有はシルヴィオがどのようなことをしているか把握しているわけではない。明日、レイザンド側との会談があるなどとは知らなかった。
「明日、公式に会談の場が設けられたんだよ。国軍の精鋭も何人か控えるみたいだし、向こうが強硬手段に出るとは思わないけれど……、間違いなくリアノにとって不利な要求をしてくると思うよ」
「でも、不利な要求なら断るんだよね?」
 たとえば、遠まわしにリアノの資源を寄こせ、と言われたところで、シルヴィオがそれを良しとするはずもない。それは彼だけではなく、この国の総意だろう。
「断りたくても断れるかどうかは別の話だよ。元々リアノには正攻法で大国と渡り合える力はない上に、今は新王が即位してから一年しか経っていない。……腐っていたこの国が、たった一年程度で完全に持ち直したと思う?」
 アルバートの言い分は尤もだった。希有とて、慈悲深いが有能ではなかった先王の時代、この国が徐々に腐り取り返しのつかないことになりそうだったことは知っている。
 だからこそ、シルヴィオは強い王になることを強いられた。腐った国を立て直すために、誰よりもリアノに相応しい王となるように育てられたのだ。
 何十年と続いた先王の治世で起こった腐敗が、たった一年の時間で消えてなくなることは有り得ない。国を立て直すためには根気良く時を重ねなければならない。
「……その、明日の会談、わたしが同席することはできない?」
 希有が小さな声で問いかけると、アルバートは首を横に振って、呆れたような眼差しを向けてくる。
「君の気持ちは分からなくもないけど、流石に会談の場に同席させるのは無理だよ。あそこに参加できるのは王と一部の重臣くらいだし……」
 そこまで口にしたアルバートが、不意に何か思いついたように目を瞬かせた。
「……いや、もしかしたら、できるかも」
「本当?」
 声を弾ませた希有とは対照的に、アルバートは眉をひそめて苦い顔をしていた。
「確約はできないよ。正直あの人に頼み事はしたくないんだ。面識はあるけど仲良しではないし、あの人は僕みたいな貴族の家に生まれついた人間が嫌いだから」
 思い当たる人がいたらしく、黙って希有たちの会話に耳を傾けていたリラが幽かに苦笑を浮かべた。
「セシル・ソローに頼むつもりですか。確かに彼ならば便宜をはかることはできるでしょうね」
 ――セシル・ソロー。
 何処かで聞いたことのある気がするが、生憎と希有には誰なのか思い出すことができなかった。