月虹彼方

終幕 月虹彼方 11

 棺に眠る少女の頬に、青嵐は手を伸ばす。
 つい先日まで、彼女が己の傍で笑っていたことが、嘘のように感じられた。固く瞑られた瞼が開くことは、もう二度とないのだ。
 己などにすべてを捧げて、その命を散らしてしまった少女。一心に自分を慕って、青嵐のためだけに彼女は生きてくれた。
 言葉にすることはできなかったが、ただ、傍にいてくれたことが何よりも嬉しかった。真朱が惜しみなく与えてくれた全てが、青嵐の支えだった。
「……、莫迦者が」
 国を滅ぼすと言われた後、皇位を継ぎ翔国を富める国にすることを望んだのは、その場所で彼女を生かすためだった。生きたいと願ったのも、彼女が青嵐の生を求めてくれたからだ。
 彼女が未来を占った日、真に望んだものを、青嵐は知っている。
 恋や愛など、まやかしに過ぎず、目に見えない想いは信じることなどできないと口では言っていた。
 それなのに、あの時、青嵐は少女の好意を望んでいたのだ。
 彼女の最期の時、重ねられた唇から伝わった想い。彼女が秘めていた想いのすべてを受け取って、青嵐は息を止めた。
 真朱が青嵐に想いを伝えなかったのは、青嵐が臆病者であることを、誰よりも彼女は知っていたからだ。少女の好意を望んでいながらも、きっと、青嵐はそれを素直に受け入れることができなかった。
 本当は、愛してほしかった。誰かに傍にいてほしかったのに、矮小な自尊心は、それを認めることを拒んだ。最後の最後まで意地を張って、自分の気持ちを受け入れることさえできなかった。
 ――真朱から片翼を授かっても、青嵐の心は満たされない。
「貴様が、……私の片翼だったというのにな」
 真朱は、青嵐にとって欠けてはならない半身だった。唯一の理解者であり、たった一人の大切な存在だった。
 喪った存在はあまりにも大きすぎた。長く共に在りながら、花のような微笑みに守られてばかりで、守ってやることができなかった。そのことが、青嵐の心に暗い影を落とす。
 もう二度と、鮮やかな朱色の瞳は青嵐を映さない。
 彼女が笑いかけてくれることはない。
 舌に刻まれた翼が、熱を持つ。その熱こそが彼女の愛の証だと思いたい。死してもなお、彼女は変わらず青嵐を愛してくれているのだ、と希望を抱かせてほしい。
 舌に刻まれた刻印に触れて、青嵐は夜空を仰いだ。
 ――この地を富める国へと変えてから、月明かりを辿り、虹の果てを目指そう。
 いつか桃源郷へと、月虹げっこうの彼方へと翔けた時、――記憶の中の少女は微笑んでくれるだろうか。

「真朱」

 愛しい少女の名を呼んで、青嵐はそっと目を閉じた。