春告姫

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  三の章 08  

 みやこの大路は幅広く、端から端まで何十メートルもありそうだった。
 直角に区切られた街区は、碁盤のように綺麗な道筋を持っている。ただし、道はそうであっても、周囲の様子は雑然としていた。
 昨晩の雨でぬかるんだ道を、大勢の人々が行き交っている。雑踏や話し声が鼓膜を揺らし、土地そのものが息づいているようだった。
 時代劇でしか見たことないような景色は、昔の日本を彷彿とさせる。美春だけを置き去りにして、中世の日本まで時間が巻き戻ってしまったかのようだ。
「すごく賑やか!」
 意外なことに、想像していたよりずっと活気がある。こちらに戻ってきたとき、極寒の雪景色に放り出されたため、もっと国全体が陰鬱としていると思い込んでいた。
「被っていろ」
 きょろきょろとあたりを見渡していると、頭から被いた袿のうえに、さらに市女笠を載せられた。
「これじゃあ、よく見えないよ」
 市女笠をとろうとすると、帝はもう一度笠を押しつけてくる。
「人の言ったことをすぐに忘れる娘だな。お前の目は珍しいから隠せと言っただろう」
「誰もわたしの目なんて気にしないよ。それに、帝の方が珍しいでしょ? 綺麗な髪と、綺麗な目だもの。さっきから色んな人が見ているよ」
 淡い赤を帯びた白髪に、宝石のような紅紫の目。咲哉と同様、あまりにも整った容貌をしているためか、ひどく目立っていた。いくつもの不躾な視線が感じられて、胃のあたりにむかつきを感じてしまうほどだ。
「あれは私ではなく、お前を見ている。私の色など、傀儡ならば珍しくもなんとも……」
「あ! あれ、市だよね。いろいろ並んでいるんだね。ほら、美味しそう」
 近くで市が開かれているようだった。絹や糸といった衣料品だけでなく、枇杷などの果物やなずな、せり、川魚の干物などが並べられている。
 市にいる客は様々で、老いも若きも男も女もいる。子連れの母は声を張りあげ、露店で商いする者は商品を掲げてみせる。愉しげに会話する者たちがいる一方で、鬱々と地面ばかり見ている人もいた。
 それは美春が知る光景と何ら変わらなかった。美春の生まれ育った世界でも、街を歩けば様々な人がいて、それぞれの人生を歩んでいた。
「綺麗な街だね、とっても」
 美春の生きてきた世界とは、また別の美しさがある。あちらの方がずっと便利ではあったが、生き生きとしたこの街もまた魅力的だった。
「恵まれた国から来たお前が綺麗だと言うならば、この国も捨てたものではないのかもしれないな」
 帝のまなざしは柔らかで、此の国が愛しくて堪らない、と雄弁に語っている。
 美春はほんのり胸が温かくなるのを感じた。
 咲哉は、もういない。だが、咲哉の愛した国は、まだ残っている。それをこんな風に優しく見つめてくれる人がいるならば、素敵なことだった。
「うん。綺麗で、なんだか懐かしいの」
 小さい頃、祖母と手を繋いで歩いた京都を思い出す。生まれも育ちも京都ではないが、祖母が暮らしていたため、美春にとってはもう一つの故郷のようなものだ。
 幾度もの戦乱に巻き込まれて、炎に焼かれてしまったあの街は、千年も昔の平安京と同じではない。だが、時の流れというか細い糸で、昔と今の京都は繋がっている。
 だからこそ、はるか昔の京都と似たこの国に、不思議な懐かしさを覚える。
「懐かしいのは、間違いではない。この国は桜花神の望みを映した鏡だ。私たちの歩いている大路は、この国がはじまった頃から朱雀大路と呼ばれている。聞き覚えはないか?」
「本当? わたしの世界にも、昔、あったんだよ。朱雀大路だけじゃなくて、この国にそっくりの土地があったの」
 こちらでは朱雀という存在も認められていないだろうに、朱雀大路など奇妙な話だ。
 祀る神々も含めて、国の成り立ちそのものが異なる。それにもかかわらず、この国は美春の生まれた世界の過去と重なっていく。
「真似したんだね。桜の神様が望んだように」
 桜の神と姫君が生きた時代は、気の遠くなるような昔――それこそ歴史の授業やテレビ番組でしか知らない平安の頃だったのかもしれない。
 彼らは、まったく異なる世界を、自分たちの故郷と似せたのだ。
 この国の文化は、長い時を経て、土地と人によって醸成されたものではない。
 最初から出来上がった余所の文化を採り入れた。あるいは、もともとあった文化を潰して、上書きするように異世のものに変えていった。
 たくさんの矛盾や齟齬すらも呑み込んで、歪に成り立ってしまったのだ。探せば、朱雀大路と似たような事例がいくつも転がっているだろう。
「咲哉は、京の話はしなかったか?」
「説明するの、難しかったのかも。まともに歩いたことはなかったと思うから」
 咲哉は身体の弱い男の子だった。春宮としての役目を果たすため外に出ることはあったが、彼自身が望んで出かけることはできなかった。
 それこそ、京を歩くことなど夢物語だったに違いない。
 肩を寄せ合いながら内緒話をしたことも、庭池の鯉に餌をあげたこともある。だが、一緒に駆けまわって遊んだ記憶だけは、どれほど探しても見当たらない。
 美春の記憶にいる彼は、ささやかな遊びに興じるか、床に臥せって小さくなっていた。
「でも、歩いたことはなくても。咲哉は京のことも大好きだったよ」
「さて、どうだろうな」
「そうに決まっている。だって、咲哉は春宮だもの」
 咲哉は、春宮としてこの国を守ることに誇りを持っていた。
 か弱い身であっても、その背中はいつだって凛としていた。自ら歩くことはできなくとも、この国の一部というだけで、彼にとっては愛すべき土地だ。
 そんな優しくて、心の強いところが、四年前の美春は好きで堪らなかった。
「お前は咲哉に夢を見ている。あれはお前が思うほど立派な人間でもなければ、春宮としてふさわしい男でもなかったよ」
 美春は唇を歪めた。
 言いたいことはたくさんあったが、美春とて、咲哉のすべてを知っているわけではない。彼のことを優しく、強い人だと信じても、美春以外にとってもそうだったとは限らない。
 誰一人として、同じものを、同じまなざしで見ることができない。目に映すものは同一であろうとも、立場によって、見え方はまったく異なってしまう。
 ――咲哉の死も変わらない。
 どの側面から眺めるかによって、異なるものが浮かびあがる。それらすべてをかき集めて、ようやく彼の死に隠された真実に辿りつくことができる。
 考えごとをしていた美春は、すれ違った男性にぶつかってしまう。男が肩から担いでいた籠が落下して、詰められていた枇杷が散らばった。
「ごめんなさい!」
 美春は慌てて膝をつき、枇杷を拾いあげる。傷めてしまっては大変だ。
 拾いあげた枇杷を差し出すと、男は美春の手首を掴んだ。
 力加減など一切なく、握り潰されるかと思った。
 そのまま物凄い力で引っ張られた美春を留めたのは、帝だった。背後から美春を抱きこんだ帝は、男を睨みつけている。
 乱暴な真似をしてきた男に抗議しようとして、美春は声を失くした。
「傀儡?」
 表情の削ぎ落とされた顔は、内裏をうろついていた傀儡たちとそっくりだった。
「お、オオ、アアアぁぁぁああ、ァ、おオ、い、え!」
 かたかたと小刻みに揺れながら、傀儡は地響きのような声で鳴いた。
 瞬間、足を振りあげた帝が、傀儡を蹴りとばした。地面に倒れ込んだ傀儡は、立ちあがろうとしては膝をつくのを繰り返し、よろめいている。
「コ、ト、ヒメ」
 美春を求めて、傀儡がひしゃげた片腕を伸ばした。
「逃げるぞ。騒ぎになる」
 ざわめきが鼓膜を揺らした。あたりは騒然としており、人々は壊れかけの傀儡や、美春たちを遠巻きにしていた。
 戸惑って立ち尽くした美春を、帝は肩に担ぎあげる。突然の浮遊感に驚いた美春を余所に、彼は大路を駆け出した。
 帝の気迫に押されたのか、周囲の野次馬たちはいっせいに道をあける。
「お、おろして! 自分で逃げる!」
「黙っていろ、舌を噛む。白昼堂々、往来で手を出してくるような奴だ。何処の連中が操っている傀儡か知らないが、近くに仲間がいるかもしれない。相手などしていられない」
「でも、あの傀儡! さっき、異姫ことひめっ、て……!」
 叫んだ美春は、舌を噛んで悶絶する。
「舌を噛むと言っただろう。人の言ったことをすぐに忘れるな、憶えていろ」
 美春は口元を押さえながら、先ほどの傀儡を見る。帝の蹴りがよほど強烈だったのか、ようやく立ちあがったところだった。
 虚ろな目をした傀儡の主は、いったい誰なのだろうか。傀儡が人形であるというならば、その背後には必ず操り手がいるはずだ。
 春を呼ぶという、異姫。
 冬を終わらせる異世の人間を狙うならば、どのような目的があるのか。



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