ラヴィニアのおいしい魔法

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  01  

 離宮にあるリエトの執務室は、壁一面に大きな書棚がある。収められた本の数々は、ラヴィニアにはとうてい理解できないものばかりだが、リエトは楽々と読み解くはずだ。
 子ども時代、太陽の下で駆けまわっていたリエトを知る身としては、少しだけ寂しさも感じてしまう。一緒に外で遊ぶ日など、もう二度と訪れはしない。シロツメクサで冠を作り合ったことも、ふざけて雪玉をぶつけ合ったことも、ずいぶん昔のことに感じられた。
 ラヴィニアは落ち着かない様子で瞬きを繰り返す。タペストリーの張られた長椅子に腰かけていたリエトが、不思議そうに首を傾げた。
「そんなに楽しみだったの? 昨日は眠れなかったのかな」
「わ、分かる?」
 ラヴィニアは両手で頬を包みながら、恥ずかしげに目を伏せる。
「いつもより顔色が悪いから、夜更かしをしたんだろうなって。妬けるなあ。あんまり余所見しないでね」
 リエトは穏やかな笑みを浮かべていたが、赤紫の目は氷のように冷たかった。皆が優しい笑顔と言うが、リエトの笑い方は仮面を貼り付けたみたいで、ラヴィニアはあまり好きではない。
 ラヴィニアは苦笑いをして、彼の髪に触れた。
「リエトが一番だよ。リエトに、おいしい料理を作ってあげたいの」
 子どもに言い聞かせるように告げると、彼は嬉しそうに破顔する。今度は心からの笑みだった。
「そう、私のために。お前は可愛いね」
「だから、可愛いって言わないで。わたし、リエトと同い年なんだよ?」
 幼生から成体、子どもから大人に変わった魔獣の外見は、精神の年齢に左右される。長命種である魔獣は人間より精神の発達が遅いため、同い年でもラヴィニアの外見はリエトより幼くなる。精神に姿かたちが引きずられるのだ。
 故に、子どもあつかいはまるきり間違いではないのだが、共に育った年月を考えると対等に接してほしいとも願ってしまう。
「リエト様。御客人が到着されました」
 外から飛んできた声に、リエトが入室の許可を出す。
 ラヴィニアは隅に控えていたバルトロの隣に移動する。リエトの傍にいては、客人の機嫌を損ねるかもしれない。
 魔獣は、やはり人間とは異なる生き物だ。時に差別の対象となり、命なき道具のようにあつかう者もいる。客人がそうとは限らないが、無用な火種を作るべきではない。
「お初にお目にかかります。ディアナと申します」
 入室してきた華やかな美女に、ラヴィニアは目を輝かせた。
 濡れたような黒髪、やや吊り上がった目は澄み渡った青をしている。簡素なドレスには飾り気がなかったが、逆にそれが彼女自身の魅力を引き出していた。
 ゆっくりと首を垂れる姿が、恐ろしいほど絵になっている。
「面をあげてくれるかな。陛下の我儘に付き合わせて悪かったね」
 顔を上げたディアナは、嬉しそうに目元を緩めた。
「滅相もございません。王宮からお声をかけていただけるなんて、大変名誉なことですもの。……お会いしたかったです、リエト殿下」
 リエトは首を傾げた。
「何処かで会ったことが?」
「いいえ。ですが、私は北の生まれです。あなた様が雪害の折、軍を派遣してくださった。とうに故郷を出た身ですが、ずっと領地のことが気になっていたのです」
 雪害と言われて、ラヴィニアにも合点がいった。数年前、季節外れの豪雪が北部の伯爵領を襲って、甚大な被害を及ぼした。
 伯爵領を支援するため軍を派遣したのは、リエトの判断だった。
「となると、あなたは伯爵家の?」
「末娘でございます。その節は、ありがとうございました」
「礼は要らないよ、当然のことをしたまでだから。そうか、そんな縁があったのか。短い間だけど楽に過ごしてほしい」
 ディアナは、意を決したように強い眼差しになった。
「短い間ではなく、叶うならば長く、リエト殿下にお仕えしたく思います」
 一瞬、部屋の空気が凍りついた。
「私に? あなたは陛下のもとに行ってもらうのだけれど」
 今回の件は、国王の料理人としてディアナが迎えられるまでの処置だ。
 美食家である国王は、珍しい料理人を召し抱えるために、兄たる宰相のもとでディアナに箔をつけることにした。宰相たるリエトに信頼された料理人という建前があれば、反対していた人間たちも強く出られない。
 期間限定とリエトが言っていたのは、王宮での受け入れ態勢が整い次第、ディアナを送り出すからだった。
「もちろん、陛下のお召しは光栄です。しかし、私は故郷を救ってくださったリエト殿下の御力になりたいのです」
 頬を桃色に染めながら、ディアナは続ける。大人びた顔に浮か可憐な表情に、彼女は意外と年若いのかもしれないと思った。
「チビ。厄介なことになったかもしれないぞ」
 バルトロが盛大に溜息をついた。ラヴィニアは話の展開についていけず、きょろきょろとあたりを見回すしかなかった。その間も、リエトたちの会話は止まらない。
「私のところには、もう料理人がいるから」
「どなたですか? 私の方が絶対に腕が良いと思います。リエト殿下も、きっと気に入ってくださると」
 ディアナの声は自信に満ちていた。よほどの自負と技量がなければ口にできない台詞だ。
「でも、私はあの子の作ったものでないと困るから。――ラヴィ、こっちにおいで」
 リエトに呼ばれて、ラヴィニアは慌てて彼のもとに駆けつける。ディアナは目を見張り、それから小刻みに肩を震わせた。
「……ま、まさか。その、その獣が、料理人だと?」
 貴族階級の生まれということもあり、ディアナは魔力持ちの人間なのだろう。瞬時にラヴィニアが人型をとった魔獣と勘づいたようだ。
「ラヴィニアだよ。私の食事をいつも用意してくれる」
「は、はじめ、まして!」
 ラヴィニアが挨拶をするが、ディアナは答えずに口を噤む。よほど衝撃的だったのか、唇を震わせるだけで、何も答えられないようだ。
 魔獣が料理人となることは、通常ならばあり得ない。驚くのも無理はない、とラヴィニアにも分かった。
「厨房は好きに使ってくれて構わないから、良かったら使用人たちに料理を振る舞ってくれるかな? 彼らも喜ぶだろうから」
「わたし、厨房に案内する!」
 ラヴィニアは手を叩いて提案する。
「ラヴィは、そんなことしなくて良いよ。お前は私に仕えているわけではないのだから」
「でも、リエトは休んでいた分のお仕事が溜まっているし、バルトロも護衛だから動けないでしょ? 使用人さんたちもお勤めがあって大変だから」
 手の空いているラヴィニアが案内するのが、誰にとっても一番良いはずだ。
「それで良いよね。ええと、ディアナ?」
 ラヴィニアは、いまだ跪いたままのディアナに手を差し伸べた。彼女の反応がないので、不思議に思って肩に触れようとする。
 次の瞬間、ラヴィニアの手は強く叩き落されてしまった。
「……む、虫が、いたもので」
ディアナは我に返ったように、ゆっくり唇を開く。
「そ、そっか。虫は嫌だよね。人間の女性は嫌いな人多いから」
 動物に擬態して過ごすこともある魔獣には分からない感覚だが、虫を不得手とする人間が多いことは知っている。
「それじゃあ、リエト。お仕事頑張ってね」
 ラヴィニアが手を振ると、リエトはほとんど表情を動かさず頷いた。あいかわらずの仮面のような笑顔だった。
「厨房まで案内するね」
 ラヴィニアは、エプロンドレスの裾を翻しながら歩き出す。
 しかし、一向に後ろに続く気配がない。振り返れば、扉の前から一歩も動かずにいたディアナが、あからさまに不機嫌そうな顔をしていた。
「ディアナ?」
 彼女の眼差しは鋭い剣のようで、ラヴィニアは目を白黒させる。
「話しかけないでくれる? あたし魔獣が嫌いなの。どうして、見るからに愛玩用のあんたみたいな魔獣が、王宮の、それもリエト殿下の傍になんているのかしら」
 先ほどまでの丁寧な語調は乱れ、いきなり物言いがきつくなった。ラヴィニアは狼狽えながら、なんとか彼女を見つめ返す。
「わたしは、小さい頃からリエトの遊び相手だから」
「あ、そ。お情けで置いてもらっているわけ」
「……お、お情け?」
 思わず声がひきつった。ディアナは形の良い唇を歪めて、小ばかにするように鼻で笑う。
「お情けじゃなかったら何なのよ。厨房への案内なんて要らないわ、使用人に訊くから。さっさと何処かに消えてくれる?」
 あまりの言葉に絶句しているうちに、ディアナは背を向けて歩きはじめる。そして、思い出したように振り返った。
「ああ、リエト殿下の食事だけど、これからはあたしが作るから。獣臭くなるから、あんたは厨房には入らないでよね。本当、最悪」
 言い捨ててすっきりしたのか、ディアナは颯爽と去っていく。
「な、なにあれ」
 新しいレシピを教えてもらうどころか、とてもではないが仲良くできそうにない。


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