華英

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  5.乙女の死の真を暴いて  

 凛麗様の即位式が執り行われたのは、今にも泣きだしそうな曇り空の日だった。新たなる王の誕生に相応しい天気ではなかったが、式に臨む凛麗様は堂々としていた。
 すべてが終わった離宮では、青い衣に身を包んだ夜明と煌びやかな格好をした凛麗様が向かい合っていた。
「今日は無理を言ってすまなかった。ありがとう、私の即位に立ち会ってくれて」
「礼には及ばない」
 まるで感情の籠められていない声だったが、凛麗様は朗らかに笑っていた。夜明が即位式に出席してくれたことが、よほど嬉しかったのだろう。
「私に残された家族は、お前だけだからな。本当に嬉しかったんだ」
 家族、という言葉に、わたしは笑うことしかできなかった。夜明の家族は華英だけだ。凛麗もわたしも、彼の家族になれはしない。
「夜明、どうか、私を支えてくれないか。……不安なんだ。王としてやっていけるのか分からない。龍の眠るこの国を独りで治めるのは、私には、辛すぎる」
 凛麗様は縋りつくように夜明に手を伸ばした。その瞳は、彼ならば必ず応えてくれると信じてやまなかった。
 わたしは一歩踏み出して、夜明に届く前に彼女の手を振り払った。
 まさか邪魔されるとは思わなかったのだろう。わたしは夜明を背に庇って、凛麗様の訝しげな視線に応えた。
「全部、知っているの」
 俯いてしまいそうな顔をあげて、わたしは彼女を見据える。
「知っている? 何を言っているんだ」
 この人の犯した罪が、夜明の幸福を壊し、彼を二度と這い上がれぬ奈落の底に突き落としたのだ。
「冷たい雨の降る暁の森だった。揺れる大樹の葉、宙に舞った金色の長い髪、血で赤く染まる衣。……薄闇に光る金細工の髪飾りが揺れる、懐かしい音」
 わずかに目を見張った凛麗様に、わたしはできる限り柔らかな笑みをつくった。彼女が過去に犯した罪を、誰よりも理解しているのはわたしだ。
 ――わたしの青い目は、華英の最期を焼き付けている。
 わたしが知らなくても、この目は彼女の死の欠片を憶えていた。
「貴方は憎しみで彼女を刺殺した。鋭い刃を何度も柔らかな身体に突き立てた」
「何をばかなことを。華英の死は臣下の暴走だ!」
「違う! だって、可笑しいもの。貴方は華英の遺体について、わたしに教えてくれた。でも、どうして、貴方は彼女が刺し殺されたことを知っていたの?」
 華英が死んだ現場にいなければ、亡くなった時の状況を知るはずがないのだ。
 何故ならば、華英が見つかった時には既に手遅れで、彼女の目と血の沁み込んだ土塊、わずかな骨の欠片しか形を留めていなかった、と夜明に告げたのは凛麗様なのだから。華英が何処でどのように殺されたのか、凛麗様が知っているはずはない。
「それ、は……。そうだ、華英を殺した臣下から、遺体の様子を聞いたから!」
 凛麗様は気丈な様子で反論してくる。だが、わたしも引き下がるわけにはいかなかった。
「ねえ、本当に、華英が龍の供物だったから殺した者は咎められなかったの? 彼女が人ならざるものだったとしても、王弟のものを勝手に殺したのに不問に処すなんて可笑しい。臣下が裁かれなかったんじゃない、初めから裁く臣下なんていなかった」
 国王陛下が誰も咎めなかったのは、華英の死が娘の仕業だと知っていたからではないか。実の娘を庇うために事実は捻じ曲げられ、存在しないはずの犯人に仕立て上げられた者たちも罪に問われることはなかった。
「貴方は夜明が好きだった。華英さえ現れなければ、貴方は夜明と一緒になれた。……だから、華英を殺したの!」
「大嘘だ! 夜明、お前は私を信じてくれるだろう? こんな人形の戯言に耳を貸すな。私があの子を、お前の大事な妻を殺したりするはずないだろう」
 動揺に震える声と青白い顔では、悲しいほどに響かない言葉だった。それでも、彼女は唇を噛んで夜明を見つめ、手を伸ばしていた。
「凛麗。僕の愛しい人は無残に殺された。……僕は夜毎に夢を見ては、目覚めて絶望する。もう二度と、彼女は笑ってくれないと思い知らされる」
 夜明の眦に滲んでいたのは大粒の涙だった。闇を閉じ込めた瞳から、次々に涙が零れ落ちて頬を伝っている。老いることのなかった心が、未来に進むことのできなかった十六歳の夜明が泣いていた。
「貴方の言うとおり、これは魂なき人形だ。こんな土塊を抱いたところで、僕の華英は還らない。孤独が癒されるわけでもない。――だけど、それで良かった」
 わたしは目を伏せた。十年間、名を呼ばれたことは一度もなかった。わたしの背後には常に華英という少女がいた。
 妻を模した人形など、夜明は愛さない。
「ただ、忘れたくなかった。あの子への愛を、痛みと苦しみと一緒に残しておきたかった」
 愛した少女を忘れずにいられたならば、それだけで良かったのだろう。無意味な後追いもできず、抜け殻のように生きるしかなかった彼にとって、苦痛だけが華英と己を繋ぐものだったのだ。
「貴方を殺したところで華英は戻らない。僕は真実を知りたかっただけだ。この命が尽きる前に、あの子の死を悼み弔うために」
 凛麗様は血の気の失せた顔を歪めた。彼女は本当の意味で理解させられたのだろう。
 どれほど足掻いたところで、凛麗様は華英に敵わない。夜明の心は永久に彼女のもので、わずかであろうとも凛麗様に向けられることはない。
「凛麗様。夜明は長くないの。愛していると言うなら、本当のことを話してほしい」
 毒に侵された夜明に身を寄せて、わたしは凛麗様に願った。彼女は肩を震わして、額に手を宛てながら宙を見上げた。
「私が、殺した。いずれ龍が荒ぶるならば、早いうちに手を打つべきだと父上を唆した。そうして、お前のいないうちにあの子を殺し、血肉を龍の泉に撒いた」
「……そうか」
「責めてさえ、くれないのか」
「華英が殺された日、僕もまた死んだようなものだ。死者は生者を咎めない。死人に口はないのだから」
 結局のところ、夜明が語ることがすべてだった。愛する妻を亡くして彼の心は死に絶えたのだ。凛麗様に対する憎悪すら込み上げることはないのだろう。
「華英が、憎いよ。お前の生も死も、すべて、あの子が定めてしまった」
 わたしは眉をひそめた。夜明の生も死も定めるほど、華英という少女は大きな存在だったのだ。夜明を手に入れるために華英を殺した卑怯者とは違う。
「凛麗様。華英は死の間際でさえ誰も恨まなかったよ。自分を死に追いやった貴方も、傍にいてくれなかった夜明も、憎んだりしなかった」
 眼窩に嵌めこまれた青の双眸が、この土塊に混ぜられた血と骨の欠片が、わたしに彼女の心を教えてくれる。彼女は誰も恨みはしなかった。悲しみに身を委ねた最期であったものの、誰を憎むことなく短い生涯の幕を閉じたのだ。
「あの子の、そういうお綺麗なところが、私は大嫌いだったんだ」
 崩れ落ちた凛麗様を、夜明は一瞥するだけだった。それが彼女に止めを刺したのだろう。彼女は両手で顔を覆いながらすすり泣く。
「連れて、行ってくれるか」
 夜明の言葉に、わたしは頷いた。何処に向かえば良いのか確認する必要はなかった。
 ――離宮の裏手の森には、華英の死んだ地がある。

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