想紅

ススム | モクジ

  01  

 凍えるような寒さの中、少女は一人佇んでいた。
 群生する椿の葉から覗く灰色の空から、大粒の雪が降り注いでいた。雪花と呼ぶにはあまりにも暴力的なそれらは、瞬く間に少女の小さな身体を覆っていく。
 森は静寂に包まれ、見上げても頂が見えないほど背の高い椿から、一つ二つと寒風に揺られて花が落ちる音がするだけだった。真白に染まった土の上に、落ちた椿の花が血だまりのように散っている。
 生まれた時から冬を生きる少女にとって、この景色は見慣れたものだった。
 ここは、雪深き里。
 冬枯れの呪いに侵された山に囲まれ、椿の森の奥深くに囚われた小さな集落。里の民は五穀豊穣を司る山の神――狼を祀り、一面に渡る白雪の大地で春の訪れを夢見て生きる。
 ――忍び寄る終わりなど、知る由もなく。
「父上、兄上」
 胸元に手をあてて、少女は黄金の目を伏せた。
 必ず助けを求めて帰って来る、と笑って里を出た父と兄の顔が脳裏を過る。椿の森を抜け山の外を目指す彼らを姉と共に見送ったのは、一年も前のことだった。
 少女は両手に向けて白い息を吐き出す。雪に埋もれた雪駄は重く、幼い身体は凍てつく風に嬲られ震えていた。
「お前も、椿を見に来たのか?」
 突如聞こえた声に少女が振り返ると、いつの間にか直ぐ傍に一人の男が立っていた。
 薄闇でも翳ることのない金の髪をした、背の高い男だった。均整のとれた身体をしていて、骨格は華奢だが手足は長くしなやかである。彫の深い顔立ちは里の者たちと似ても似つかなかったが、少女には不思議と美しく感じられた。
 何よりも目を引いたのは、少女を見下ろす瞳だ。それは森に咲く椿と同じ血の紅を宿していた。
「美しいだろう? 冬枯れの呪いに侵されたこの地は好かないが、この椿だけは愛でるに相応しい」
 青紫の唇を震わせて同意を求める男に、少女は曖昧に笑む。命を枯らし芽吹きを奪う冬で、狂ったように咲き続ける椿の花を愛でることはできそうになかった。
「狼の血を継ぐ娘。――お前を、ずっと待っていた」
 切れ長の目を細めて口にした男に、少女は首を傾げる。初めて会った男が、何故、自分を待っていたのか分からなかった。
「古い約束だ。お前は私に与えられたものなのだから、私と共に在るべきだ」
 そっと手を差し伸べて、男は柔らかに微笑む。
 心に優しい光を差し、冷え切った身体に熱を与えてくれるような笑みだった。少女は春の暖かなひだまりを知らないが、それは男の笑みと良く似たものなのではないかと思った。
 見知らぬ春に憧れを抱いていた少女は、無意識のうちに男の手をとろうとした。だが、屋敷で床に臥している姉の姿が思い浮かび、咄嗟にその手を止めた。
「貴方と一緒に行くと、もう、誰にも会えない?」
 男は少女の問いに答えず、一度だけ瞬きをした。それが何よりもの肯定なのだと少女はる。
「だめ。わたしがいなくなったら、姉上が独りになってしまう」
 少女の傍にいるのは、亡き母に代わって少女を育ててくれている年の離れた姉だけだ。父や兄が帰らぬうちに少女までいなくなれば、姉は一人里に残されることになる。
 少女の拒絶に男はしばらく眉をひそめるが、やがて小さく溜息をついた。
「そうか。……独りは、寂しいからな」
 男は少女の頭に手を置いて、ぎこちなく撫でた。生まれ故に誰かに触れられることなど滅多になかった少女は、冷たく大きな手に頬を染めた。
「此度は諦めよう。だが、次にまみえた時こそ、――私を終わらせてくれ」
 約束だ、と囁いた男は、紅く濡れた椿の瞳を揺らした。


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