花の魔女は二度燃える

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  第三幕-11-  

 城下町の大通りに、その商家は本店を構えている。
 食料品から雑貨、異国の珍しい香辛料、ひと通りのものを揃えることができるようになっており、日中は賑わいが絶えない。
 早朝。イヴの邸を抜け出したカグヤは、路地裏から店の勝手口を叩く。
「エステル。いますか?」
 二人で決めた合図。三回戸を叩いたのち、同じことを繰り返す。
 しばらくして現れたのは、目鼻立ちのはっきりとした美女だ。街中ですれ違えば、十人が十人、美人と称するであろう女性だった。
 エステル。十歳以上も歳の離れたカグヤの友人だ。
 目が合った瞬間、カグヤは建物のなかに引きずり込まれた。
「カグヤ! もう、心配したのよ!」
 彼女はしっかり戸口を締めると、思いっ切りカグヤの頬をつねった。まったく容赦のない力強さだった。
「ご、ごめん、なさい」
「無事で良かったわ。厄介事に巻き込まれたみたいで、心配していたのだけれど。あら、魔女街にいるときより健康になっていない? 頬っぺた、ぷにぷにしている」
「太ったって言いたいんですか⁉」
「冗談よ、魔女が食べ物なんかで太るわけないじゃない。でも、第二王子のところなら、魔女街にいるときより美味しいもの食べているんじゃないの? 悪い男ねえ、あの王子様。勝手にあなたを連れて行くんだもの」
「わたしがイヴ様と一緒にいたこと知っているんですね。いつも思うんですけど、何処から情報を仕入れているんですか?」
 エステルは魔女街への出入りを禁じられている。
 母の葬儀が行われた夜、カグヤがイヴと一緒にいたことも知らないはずだ。父は父で、部外者であるエステルに今回の件を話すことはない。
「秘密。ミレイユが亡くなったせい? あの王子様が、今になって、あなたを連れて行くなんて」
「だいたい、そんな感じですね。王城の火事のこと、どれくらい知っています?」
「あらかた」
 満面の笑みが返ってきて、カグヤは頬を引きつらせる。
「分かりました、ほとんど全部知っているんですね。火事のうわさは、どれくらい広まっていますか?」
「だいぶ広まっている。軍部が、うわさが広がるの防ぐと思ったんだけれど、そんな様子もないわね。たぶんイヴ様のこと切り捨てるつもりなんでしょう」
 離宮の火事について広まれば、不利益を被るのはイヴだ。彼を憎く思っている人たちに付け入る隙を与えてしまう。
「イヴ様は、ずっと軍部に貢献してきました。停戦の立役者でもあります。なのに、切り捨てられちゃうんですか?」
「だって、イヴ様、戦争が終わってすぐ閑職に追いやられたもの。王城の庭園警備とか、そんなところの名ばかりの責任者だったかしら? 言っちゃ悪いけど、立場は誰よりも弱いのよ。次の王は王太子様で、それが無理でもイヴ様の下にはたくさん王子がいる」
「イヴ様が死んでも、誰も困らないってことですね」
「だから、今回のことでイヴ様が疑われるのは当然ね。自分以外の王族が死んだら、次の王になれる。……仮に、今回の火事でイヴ様以外の王子たちが亡くなって、イヴ様が犯人としても疑わなかったとしたら。魔女の息子であっても、王になれたかも」
 西国との停戦のこともある。今となっては絵空事だが、うまく誘導できれば、世論は魔女の血を継いだ王子を認めたかもしれない。
 だが、やはりカグヤには、イヴが王になれる未来は想像できない。
「たとえ民が認めても、国王様が御認めにならないと思います」
 エステルはゆるく首を横に振った。
「ここだけの話だけど、国王様、近いうちに退くってうわさよ。もう何年も御病気されているってこともあるけれど、いちばんは戦争の責任ね」
 西国に戦争を仕掛けたこと、いたずらに戦況を長引かせたこと、それによって少なくない犠牲があった。停戦している今だからこそ、国民の感情は喪われた者たちのために高ぶりはじめる。
「国王様が退く今だから、イヴ様が火事を起こしたって言いたいんですね」
 カグヤは、イヴが離宮の火事を引き起こしたとは思っていない。裏で糸を引いている魔女がいると考えている。
 ただ、イヴが心のなかで何を思っているのかまでは分からない。
 ――イヴは、王になりたいのだろうか。
 黙り込んだカグヤの頬を、エステルが指でつねった。
「もう! 真面目に考えているんだから、意地悪しないでください」
「だって、似合わない顔しているんだもの。不機嫌そうな顔は止めなさい。あなたは悩んでいるときが、いちばん不細工よ」
「ぶさっ……、じ、自分が、美人だからって‼」
「だって本当のことだもの。カグヤは単純よねえ。難しいこと考える頭もないんだし、引き籠もりの世間知らずなんだから、遠慮なくあたしを頼れば良いじゃない? どうせ、そのために来たんでしょ」
 カグヤの顔を指で突いたり、頬を引っ張ったりしながら、エステルはからから笑う。本当に頼りになる友人だった。
『すべては二十四年前の罪を償うため』
 アガートの言葉が、頭のなかでよみがえる。
「二十四年前、王国で起きたことを教えてほしいんです。エステルなら憶えているでしょう? だって、もう生まれていたもの」
 エステルはテーブルに肘をついて、そっと目を伏せた。まるで思い出を手繰り寄せるように。
 魔女として、彼女は当時のことを寸分違わず記憶しているはずだ。
「いまから二十四年前、二人の王子が生まれた。正妃の子である王太子ヨアン、そして魔女の子である第二王子イヴ。同じ日に生まれた二人は、同じ日に、同じように母親を亡くした。大火事で、ね」
 エステルは語る。
 二十四年前、王城には二人の妃がいた。
 もともとは先王の妻であり、今の王に嫁ぎなおした正妃。
 その歌の才能を買われて、王都の劇場で活躍した第二妃。
 二人は同じ時期に身籠り、奇しくも同じ日に王子を出産することになる。そして、王子たちが生まれたその日、正妃と第二妃が暮らしていた離宮が全焼した。
「今回燃えた離宮は再建したもので、二十四年前にも離宮は燃えたの。王妃の遺体はひどい有り様だったそうよ。魔女の方は、言わなくても分かるでしょう?」
「灰さえ残らない」
 通常、火葬された魔女は骨のひとかけらも、灰すらも残らない。逃げることもできず、大火事のなかにあったのなら、本当に消えてなくなってしまったのだ。
「そのときね、王城では、とあるうわさが流れたの」
「魔女が王妃を殺した、ですね」
「正解。大火事の原因は魔女の呪いであり、正妃を妬んで殺そうとしたのだ、と。以来、魔女と炎は王城にとっては禁句ね。国王様は正妃のことを特別に愛していたから、なおのこと」
「今回の火事は、二十四年前から続いている?」
「さあ、どうかしら。でも、無関係とするには、あまりにも似ている。二十四年前に焼けた離宮が、再び同じような大火事で焼けた。王妃と魔女、それぞれの産んだ王子が、そこに絡んでくる。まあ、出来過ぎている・・・・・・・、とも言えるかしら」
 二十四年前の火事で、疑われたのはイヴの母親である魔女だった。
「誰だって、魔女の子であるイヴ様を疑いますね」
 すべては二十四年前の繰り返しだ。過去をなぞるようにして、王族と魔女を巻き込んだ火事は起こってしまった。
 今回の火事は、カグヤが想像していた以上に根深い。
「そもそも、戦争が終わった今、イヴ様は不要だもの。今まで生かされていたのだって、戦の旗印となる王族が必要だっただけよ。王はずうっと、魔女の子であるイヴ様を殺したかった」
「自分の息子ですよ、血を分けた」
「つまり、自分が魔女に騙されていた証よ」
「でも、家族なのに」
 朧気になってしまった前世でも、今の人生でも、カグヤは家族から愛されてきた。大事にされてきた。
 子どもを殺そうとする親の気持ちなど理解したくない。
「カグヤは優しいから分からないでしょう。人はね、好きを嫌いに変えるの。愛しているからこそ憎んでしまうのよ」
「でも、魔女って、正妃様でもなくて」
 王には正妃がいた。エステルの言葉が真実なら、王が特別に愛した女性だ。
 劇場で歌姫をしていた魔女のことも、気に入ってはいたのだろう。だが、正妃ほど強い愛情を注いでいたと思えない。
「子どもを作ったら、情だって移るものよ」
 そのとき、カグヤとエステルの会話を遮ったのは、小さな子どもの泣き声だった。お母さん、お母さん、と泣く声に、エステルは困ったように眉を下げる。
「泣き虫さんねえ、本当。旦那に似たのかも」
 エステルは、奥から駆けてきた少年を抱きあげる。
 愛らしい男の子は、母親の胸に顔を埋めて泣いている。膝が赤くなっていたので、遊んでいるうちに転んだのかもしれない。
 今年で五歳になるエステルの息子は、西国との戦時中に生まれた子どもだ。そして、エステルの夫は、いまだ息子の顔も見ていない。
「旦那さん、まだ砦にいるんですか?」
「しばらく戻ってこないんじゃないかしら。本当、ばか。さっさと退役して、うちに婿入りすれば良かったのに。何年も新妻を放っておいて、ひどいと思わない? 子どもの顔だって見ていないし」
 息子の頬を突きながら、エステルは目を細めた。
 口ではそう言いつつも、彼女は軍人である夫のことを心から尊敬している。カグヤも会ったことのある彼は、朴訥としているが、誠実で優しい男だ。
 似合いの二人だ。彼女が結婚したとき、自分のことのように嬉しかった。
 たとえ、結婚式に参列することは許されなくとも、遠目で幸せそうに笑うエステルを見たとき、カグヤは心から喜んだ。
 魔女が子を成す相手は、たいてい魔女と縁のある相手ばかりになる。
 だが、エステルは、魔女とは縁のない男と結婚した。
 彼女の一族が、人間社会に溶けこみ、人間のふりをして生活する魔女だったからだ。今は相手もエステルが魔女であることを知っているが、当時は知らなかった。
 ――すべての魔女は、魔女街に住んでいるとされる。
 しかし、実際には、魔女街を出て、人間にまぎれて暮らしている者もいる。カグヤのように明らかに異人と分かる容姿の魔女は難しいが、王国の人間と似たような容姿に生まれついた者は、魔女であることを隠す者もいた。
 そうしなくては、魔女の血族は、魔女としての差別から抜けられない。
 この国の法では、血縁関係のある三親等に魔女がいる者は、総じて魔女とされる。
 つまり、魔女の血を継ぐ者たちは、魔女としての力を持たない普通の人間であっても、この国では永遠に魔女とされる。
「怖くなかったですか? 魔女と関係のない人と結婚するのは」
「そうね、怖かった。あたしたちは余所者だもの。人間のふりをしたところでいつか、この地を追われることもあるかもしれない」
 かつて、魔女は流浪の民だった。定住の地を求めて、あちらこちらを彷徨いながらも、災いを運ぶものとして迫害されてきた。
 そんな魔女が辿りついたのが、この国だった。
 この地に根を下ろすことができただけで、魔女たちにとって僥倖だった。たとえ、正式な民として認められないとしても、魔女街に隔離されたとしても。
「でもね、好きになっちゃったの。この人になら火炙りにされても良いと思った。それくらい想うことのできる人は、きっとこの先も現れない」
 いまだ砦から帰らぬ夫を思って、美しい魔女は笑った。
 火炙りにされても良い、と思えるほど誰かを想うこと。
 それが魔女の恋だと言うのなら、とても恐ろしい。それは自分だけでなく、相手さえ滅ぼしかねない恋だった。
「だから、カグヤもね。それくらい想う人と結ばれるのよ」
 頭に浮かんだのはイヴの顔だった。火炙りにされても良いと思えるほど、カグヤは彼のことを想っているだろうか。
 その自信が、カグヤには持てなかった。



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