farCe*Clown

幕間 優しすぎる人 27

 繊細なレースの垂らされた、淡い赤を基調とした、まるで童話の姫が眠るような寝台。愛らしいソファに置かれた兎の人形、その視線の先には、温かな日差しを浴びた白いテーブルがある。
 自分を包む淡い青のドレスは、飾られていれば、思わず見惚れてしまうほどの出来栄えだ。白いタイツに華奢な靴を履いた自分の足を見て、希有は大きな溜息をついた。
「……、居た堪れない」
 ミリセントが出払った部屋で、希有は呟く。
 至れり尽くせりの環境は心地よいが、穀潰しのような立場にあることを考えれば、酷く心苦しかった。
 何もしないで恩恵みつだけを受け取るなど、憎たらしいこの世界と何一つ変わりはしないではないか。
 この部屋のすべては、希有に与えられるべきものではない。
 シルヴィオが作り上げた、希有には似つかわしくない、小さな箱庭。それは、本来ならば、希有に与えられてはいけないものだ。
「どうした、不機嫌そうな顔をして」
 足音も立てずに部屋に入ってきたシルヴィオは、希有を見るなりに訝しげに目を細めた。彼が足音を立てないのは常のことだ。突然現れるシルヴィオに驚きはするものの、その理由を聞くのが躊躇われて希有は何も言えなかった。
「……別に、不機嫌そうな顔はしていない」
 事実、考え事をしていただけだ。
「……、何か不満があるのか?」
 だが、シルヴィオは納得しなかったらしく、控えめに聞いてくる。見当はずれな質問だった。
「良くしてもらってるし、不満なんてないよ」
 このような環境に置いてもらい、世話までしてもらって、不満などあるはずがない。不満を抱ける人間がいるとすれば、よほど周囲から大事にされ、多くのものを与えられてきた人間だろう。
「ただ、何もしないのに養ってもらうだけなのは、……ちょっと」
 働きたいわけではないが、穀潰しのような立場に居た堪れなさがある。また、ミリセントのような人間に世話を焼かれることが、その居た堪れなさに拍車をかけていた。
「何か仕事とかないの? わたしにできることなんて、たかが知れてるかもしれないけど、雑用くらいなら……」
 少しでも働けば、今の待遇に対する居た堪れなさも減るだろう。期待を込めてシルヴィオを見上げると、彼は眉間に皺を寄せていた。
「悪いが、働きたいなどとは言わないでくれ」
 困ったように言うシルヴィオに、希有は首を傾げる。
「どうして?」
「お前に話すのは、すべて片付いてからにしようと思っていたのだが……」
 シルヴィオは、いつになく真剣な顔をして希有を見る。
「先の騒ぎの後始末が、完全には終わっていない」
 先の騒ぎとは、――シルヴィオが王位を継承する際に起こった一連の事件のことだろう。カルロス・ベレスフォードが玉座を奪おうと画策したものの、シルヴィオに敗れた騒動のことだ。
「国内の反発を考慮して、カルロスは処刑ではなく隠居という形でベレスフォード領に閉じ込めることにした。カルロス側の人間に対しても相応の罰を与えた」
「……、そう」
 カルロス・ベレスフォードに、どのような処分が下されたのか、希有は聞かされていなかった。
 どうやら、国賊扱いされた彼は、隠居させられることになったらしい。
 希有には良く分からないが、シルヴィオが行ったのならば妥当な判断なのだろう。カルロスを憎んでいようとも、王となるために生きてきたシルヴィオは、私情を交えた処断はしないはずだ。
「カルロスを処罰したのに、後始末がまだ残っているの?」
「ああ。……先の騒ぎ、もしくは、それよりも以前から影で不正を働き、私腹を肥やしていた人間が未だ多くいる。洗い出すにも時間がかかる。何処にそのような輩が混じっているのかも分からない」
 リアノは腐りかけていると、以前、シルヴィオは言っていた。
 国の腐敗した部分を洗い出し、正すために、彼にはやらなければならないことが山ほどあるのだろう。
 その一つが、不正を働き私腹を肥やしてきた者たちを洗い出し、相応の罰を与えることなのだ。
「ここで大人しくしている限りならば、お前を守ってやれる。だが、一人で出歩かれては、お前を危険に晒すことになるかもしれない。働くとなれば、お前を一人にすることになるだろう」
 彼の言い分は、尤もだった。
 自分の命を危険に晒したくないと思いながらも、働かせてほしいなど、勝手すぎる要望だ。
 希有は、既にシルヴィオと無関係ではいられない。安全でいたいのならば、シルヴィオの言葉にある程度は従わなければならない。
「分かってくれるな?」
「……、うん」
 シルヴィオが今のような後始末に追われる原因は、希有にもある。
 希有を助けるために、シルヴィオは周囲の反対を押し切ってまで、あの日駆けつけたのだ。一度は切れた希有との縁を、再びシルヴィオが手繰り寄せてくれなければ、希有は生きていなかった。
 ――、そのことが、今の状況を作りだした一因にもなっている。
 希有の居た堪れなさのために、シルヴィオの手間を増やすわけにはいかない。働きたいなどと言ったのも、希有が自分の居た堪れなさを失くして、楽になりたかっただけなのだ。
「言っておくが……、自分のせいなどとは思うなよ」
 俯いた希有に、シルヴィオは呆れたように声をかける。
「あ……」
「図星か。……、勘違いをするな。いずれにせよ、片づけなければならない問題だった。国の膿を出し切るためにも、不正を暴く必要がある」
 だが、それにしても、あの時に希有を助けるような形で王位を継承しなければ、彼がここまで慌ただしく働く必要はなかったのだ。
 助けてほしくなかったわけではないが、そのことに関する罪悪感は拭えなかった。
「俺は、後悔などしていない」
 後悔していない。それが、彼にとっての真実であるかなど、希有には分からない。
 本当は、恨んでいるのではないかと思ってしまうことも、多々あるのだ。彼が希有を気遣ってくれる度に、嬉しさと共に、わずかな恐怖が心を駆け巡る。
「シルヴィオは、優しすぎるね」
 優しすぎる人だからこそ、いつの間にか縋ってしまう。
 身勝手なことだと知りながらも、自制が利かずに、気づけば希有はシルヴィオに甘えている。
 それが、彼にとって良いものではないと、知っていながら見ないふりをしているのだ。
 なんて、卑怯で臆病な寄生虫。
「買被りすぎだ。俺は、お前が思うほど良い奴ではない」
「……、うん」
 シルヴィオは、善良な人間ではない。彼が酷い人であることも、否定はできない。

「でも、……やっぱり、シルヴィオは優しいよ」

 それでも、彼が確かな優しさを胸に抱いていることも、否定できはしないのだ。
 縋るように伸ばそうとした手を押さえて、希有は自嘲した。