fantasia-胡蝶の夢

わたしと彼女

 わたしの友だちに、蝶子さん、という人がいる。
 初めて彼女を見た時、綺麗な子だな、と思った。
 緑がかった黒髪を肩ほどの長さで切り、内側に巻かれている。大きな目元には控えめな化粧が施されていて、桜色の唇に光るグロスは、何かの雑誌で一押しされていた春の新色だったと、誰かが言っていた。
 物凄く顔が整っているとかではなくて、自分の長所を生かす努力をしているからこそ、綺麗に見える子なのだ。彼女の落ち付いた雰囲気も、そういった綺麗な印象を抱かせる理由の一つかもしれない。
 初めて目にした時から、仲良くなりたかった。大人びた彼女は、わたしのような子どもっぽい人間から見れば、特別に見えたのだ。
 でも、残念なことに、蝶子さんは周りにあまり関心を抱かない子だった。
 話しかければ応えてくれるし、くだらない冗談に微笑むこともある。
 だけど、決して誰かにも何かにも深入りしない。冷たいわけでもないけど、温かいわけでもない。
 彼女は、本当に周囲に無関心で、淡白な人だったのだ。
 ――だけど、最近、蝶子さんは変わった。
 前よりも随分と接しやすくなったし、何より、彼女自身が周囲との関わりを少しずつ持とうとしているのが分かる。それは無意識のことなのかもしれないけど、蝶子さんの雰囲気は段々と柔らかくなっていった。
 蝶子さんと周囲の温度差は、少しずつなくなっていったのだ。



 ある日の放課後、下校のために生徒玄関から出ると、前の方に蝶子さんの姿があった。
 挨拶をしてから帰ろうと思い、わたしは蝶子さんに駆け寄ろうとする。だが、わたしが走り出そうとするよりも先に、蝶子さんは校門に向けて走り出した。
れい。迎えに来てくれたの?」
 何時になく弾んだ声が、わたしの耳に届く。
 わたしは、蝶子さんが駆け寄った先にいる少年に、思わず目を見開いた。
 とっても可愛らしい男の子だったのだ。
 街で擦れ違えば、百人が百人、思わず振り返ってしまうような男の子だった。周囲を歩く他の生徒も、彼に視線が釘付けになっている。
 そして、わたしが何より驚いたのは、彼の身に纏っている制服である。クラスの一部の女子が憧れていた、丘の上の高校のものだったのだ。お金持ちの子どもしか通えないという、あの男子校である。
「このあいだ、迎えに行ったお返し? そんなの気にしなくて良いのに」
 首がもげそうなほど大きく頷いた後、男の子は蝶子さんを抱きしめた。蝶子さんは蝶子さんで、顔を赤らめながらも拒否をしていない。
 は、白昼堂々と何を!
 わたしは思わず男の子に嫉妬した。わたしだって、蝶子さんを抱きしめたことないのに!
「ちょ、ちょっと離れて、怜。待ち合わせまで、時間なくなるわ。悠里ゆうりが待っているのよ」
 すると、男の子は、渋々と蝶子さんから身体を放した。そして、彼は蝶子さんの耳元で何かを囁く。
 それを聞いた蝶子さんは、それは幸せそうに笑んだ。
 男の子は蝶子さんの手を引き、歩き出す。
 蝶子さんが、一瞬、後ろにいるわたしの方を向いた。彼女は、立ち竦んでいたわたしに気付いて、笑みと共に小さく手を振った。蝶子さんの微笑みにつられるように、わたしも笑顔で手を振り返した。
 蝶子さんの笑みは、彼女が男の子に向けるものには劣るけど、素敵なものだった。彼女がこんなにも柔らかく笑うようになった理由は、この男の子にあったらしい。
 それが、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、悔しかった。
 制服のポケットに入れていた携帯電話を取り出して、わたしは唇をとがらせる。
 お仕事が忙しいかもしれないけど、ちょっとだけ悔しかったから、今夜はたくさん話を聞いてもらうことにしよう。
 気難しい人だけど、それくらいの我儘は聞いてくれると知っている。



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