ラヴィニアのおいしい魔法

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  はじまり  

《おいしい》とは、どんな気持ちだろうか。
 泣きながら食事をする少年を見つめて、小さなラヴィニアは目を伏せた。
 叶うならば、その気持ちが彼の苦しみを和らげるものでありますように。


 鮮やかな彩りの料理からは、調理して間もない証として湯気があがる。
 食べる人間が療養中であることを考慮して、今日は柔らかなリゾットを主役にし、消化の良い蕪のスープを添えた。
 完熟したトマトを煮込んで作ったソースが米に絡んでいく様子は、作っているだけでわくわくした。
「リエト、召し上がれ」
 少女らしい高い声で、ラヴィニアは王兄リエトに声をかける。
 輝かしい金髪と、葡萄酒ぶどうしゅよりも深い赤紫の眼をした細身の美丈夫である。理知的な印象を受ける面差しには、国王の兄に相応しい気品が備わっていた。
 二十三歳を迎えて、その美貌は魅力を増すばかりだった。
 彼は優雅な仕草で料理を運ぶ。ゆっくりとした咀嚼そしゃくに合わせて、成人男性にしては細い喉が上下する。
「おいしかったよ、ラヴィ」
 ラヴィニアはその感想に安堵しつつも、つい疑うようなまなざしを向けてしまう。
「本当に?」
「私がお前に嘘をついたことがあるかな?」
 ラヴィニアは頬を膨らませると、怒ったように顔を背けた。左右の低い位置で結わえた白銀の髪が、まるで垂れた兎の耳のように揺れる。
「嘘なんて、たくさんついていたくせに。小さい頃、いつもリエトはわたしを騙して遊んでいたもの」
「根に持つね。あんなの可愛い悪戯じゃないか。子どもだったんだ、赦しておくれ」
「わたしも子どもだったけど!」
 遊び相手として過ごしていた当時、魔獣のラヴィニアとて、まだ幼生――人で言うところの子どもだった。
「ラヴィは怒っても可愛いね」
「可愛いって言わないで! 大きくなったら大きくなったで、すぐ誤魔化すんだから。だいたい、リエトは!」
 リエトは毒気のない笑みを浮かべるだけで、ラヴィニアの言葉を右から左に流していた。幼子を見つめるような視線に居た堪れなくなって、いつもラヴィニアの怒りは長持ちしない。
「さて、私の食事も終わったことだから。ラヴィ、魔力は?」
「……っ、要る!」
 ラヴィニアは子どもっぽい黒と白のエプロンドレスを翻して、リエトに近寄る。
「ほら、手を出して」
 ラヴィニアは片手をあげて、リエトのそれに重ねる。目を伏せると、繋がった手からゆっくりと魔力が注ぎ込まれてくる。
 ラヴィニアは魔獣である。
 魔力を糧とする生命体であり、時に人間と契約を交わす人ならざるものだ。魔獣は契約者となった人間から魔力を貰う代わりに、見返りとして力を貸す。
「リエト様。ただいま戻りました」
 リエトと手を繋いだまま、ラヴィニアは入り口に視線を遣った。
「バルトロ! 護衛のくせに遅い! リエトに何かあったらどうするの」
 軍服を纏った茶髪の男は、入室するなり眉間に皺を寄せた。大柄で凛々しい顔立ちをしているため、不機嫌そうな顔をするといっそ迫力がある。
「俺にあたるなよ、チビ。しょうがないだろ、呼び出されていたんだから。……ああ、リエト様。お食事中でした?」
「そうだね。戻ってくるのがあと半刻遅ければ、ラヴィの食事も終わってちょうど良かったかな」
「はあ? 半刻も魔力を与えるつもりだったんですか。甘やかすとつけあがりますよ。俺たちみたいな魔獣にとって、王族の魔力は上等すぎる。三日に一度どころか、十日に一度だって死にやしませんよ」
「つけあがっても良いんだよ。ラヴィは、これからもずっと私と一緒なのだから」
 ねえ、と同意を求められて、ラヴィニアは頷いた。年齢が一桁の頃から共に過ごした二人は、死ぬまで別たれる予定はない。バルトロに文句を言われる筋合いはなかった。
「バルトロなんて嫌い。自分だって陛下から魔力を貰っているくせに」
「おい、チビ。甘やかされてばっかで大食いのお前と一緒にするんじゃねえよ」
「うっ。だ、だって。リエトが」
「私が甘やかしたいんだから良いんだよ。それで? 弟は……陛下は、何の御用だったのかな」
 リエトは国王に呼び出されていたバルトロに問いかける。訳あってリエトの護衛を務めているが、バルトロの本来の主人は国王である。
「なんでも、離宮で預かってほしい人間がいるそうです」
「……それは、厄介ごとの予感がするなあ」
 バルトロは同意するように肩を竦めた。
「腕の良い料理人らしいですよ。何処ぞの令嬢だったのに家を出奔して、各地を転々としながら修行していたそうで。ここらにない珍しい料理が作れるそうです」
「あの子は美食家だからね、私と違って。その料理人を召し上げたいけど反対にあった、ってところかな? 私が離宮で休んでいるうちに、また我儘を言って周りを困らせて」
 リエトは溜息をついたが、嫌そうな表情はしていない。宰相であるリエトにとって、六歳離れた弟――国王は仕えるべき主君であると同時に、守るべき家族でもある。
 身体の弱いリエトは、今回のように政務を離れて休養することも多い。あまり傍にいてやれないためか、弟の我儘に弱かった。
「リエト様の口添えがあれば周りも納得するので、少し離宮で預かってもらいたい、と」
「そう。いつから?」
「急なんですけど、明日から」
 男二人の会話を聞きながら、ラヴィニアは首を傾げた。
「つまり、新しい使用人さんが来るってこと?」
「使用人ではなく客人だね。短い間だけの」
「料理人さんかあ。仲良くできるかな?」
 リエトの食事を用意するのはラヴィニアの仕事であり、それは離宮に仕える者たちにとって暗黙の了解となっていた。
 新しい客人が料理人ならば、リエトのために新しいレシピを教えてもらえるかもしれない。
 期待に胸を膨らませて、ラヴィニアは明日来る料理人に思いを馳せた。


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