farCe*Clown

第二幕 砂上に築いた城 60

 希有が悩んでいる間にも、時は淡々と過ぎる。
 春の盛りを終える頃、シルヴィオとのわだかまりを残したまま、リアノはレイザンドの王女を迎えることとなった。
 アルバートの付き添いの元、希有も特別に王女の謁見に立ち会うことを赦された。尤も、シルヴィオの近くに座るわけではない。辛うじてシルヴィオを視認できる程度の末席の末席だ。
 隣に座るアルバートを見上げると、彼は希有を安心させるように微笑んだ。その微笑みに、戴冠式の光景が思い出される。あの日も、彼は希有の隣に座っていた。
 ――やがて、荘厳な扉が開かれる。
 広間に入ってきた集団の先頭に立つのは、頭から生成り色の外套を被った女性だった。彼女に連なるように、荷物を抱えた数十人の従者たちがゆっくりとした足取りで歩いている。
「あの人が……、サーシャ・ウル・レイザンド」
 砂漠の大国、レイザンドの第一王女。レイザンドを治める女王の姉にあたる彼女は、玉座に座るシルヴィオの前で足を止めた。
 王女は頭から被っていた外套を、流れるように優美な動作で脱ぎ捨てる。
 現れたのは、短い銀髪に褐色の肌をした女性だった。顔には薄いヴェールを被っているが、その凛とした姿から、十中八九美人であることは確信できた。
 レイザンドの民族衣装なのだろうか、身体の線がはっきりと見えるような衣を纏った肢体は女性らしい丸みを帯びていて、同性である希有も見惚れてしまうほど魅力的だ。
「レイザンド第一王女、サーシャ・ウル・レイザンドだ」
「シルヴィオ・リアノだ。遠路遥々、良く来てくださった」
「なに、気にするな。古き時代には力を合わせたリアノの慶事だ、我が国が駆け付けるのも当然のこと」
 白々しい台詞を大袈裟に口にしながら、サーシャは後ろに控えた従者たちに目くばせした。
「この度の貴殿の即位に、我が国から心ばかりの祝いの品を持ってきた。祝福しよう。シルヴィオ・リアノ国王陛下」
 サーシャの後ろに控えていた従者たちが、次々とシルヴィオの前に献上品を並べていく。色鮮やかな布が被らされているため中身は分からないが、相当な量だった。
「祝いの品までいただけるとは、感謝してもしきれないな。歓迎しよう、サーシャ・ウル・レイザンド第一王女殿下」
 思わず背筋が粟立つような艶やかな笑みを浮かべて、シルヴィオは感謝を述べる。その言葉と裏腹に、彼の目がひどく冷めていることに気付いた者は、果たして、どれくらいいるだろうか。
「尤も、小国リアノでは、大国の王女を満足させるようなものは何一つ用意できないかもしれないが」
 声音は優しげだったが、その裏に見え隠れする本音に気づいて、希有は頬を引きつらせた。
 ――お前らに渡すものなど何一つない、早く帰れ。
 希有には、シルヴィオがそう言っているような気がしてならない。隣に座るアルバートが唇を引き結んで笑いを堪えていたので、おそらく間違っていないだろう。
「まさか。男神おがみの恩恵を最も受けている国でありながら、謙遜するな」
「残念ながら、男神の恩恵はリアノにはない。――神などいないのだから」
「神はいる。……今の発言は、我らが信じる男神への冒涜か? シルヴィオ・リアノ」
「大国レイザンドを守護する男神に対して、冒涜など恐れ多い。男神はそちらの守り神で、この国にはいないと述べたまで」
 シルヴィオが微笑むと、サーシャ・ウル・レイザンドが肩を竦めた。
「貴殿とは気が合いそうだな。――貴殿がリアノを継いだことを、改めて心から祝福しよう。両国が良好な関係を築けることを期待している」
 暗に、これからの国交を期待するようなサーシャの言葉に、シルヴィオは笑みを深めるだけだった。


              ★☆★☆★☆              


 部屋に戻ると、控えていたミリセントが紅茶の用意をしてくれた。
 何故か部屋までついてきたアルバートは、希有の向かいに座って、紅茶に口をつけた。
「美味しい。お姉さん、今度、僕たちのところにも淹れに来てよ。侍医って、茶も満足に淹れられないような奴ばかりだからさ」
 満足に淹れられない筆頭であるアルバートが、給仕をするミリセントを上目遣いで見上げる。
「申し訳ありません。私はキユ様の専属ですから」
 金色の髪を肩口で切り揃えたミリセントは、それは優しくアルバートに微笑む。
「えー、付き合いは僕の方が長いんだから、ちょっとくらい良いでしょ?」
 軽く頬を膨らませたアルバートの姿に苦笑してから、希有も紅茶を一口飲んだ。
「サーシャ様、……すごく、綺麗な人だったね」
 銀色の短い髪をした、妖艶な美女の姿が希有の脳裏に蘇る。
 サーシャ・ウル・レイザンドは、希有とは何もかも正反対な大人の色香に満ちた女性だった。
 アルバートは、希有の呟きを拾って眉間に皺を寄せた。
「ただの若作りのおばさんでしょ。あと数年で三十路になるんだから、若いキユの方が良いよ」
「……三十路? それなのに、王女殿下なの?」
 妙齢の女性だったが、まさか、そこまで年上だとは思っていなかった。
 未だに王女殿下と呼ばれているのだから、独身だろう。あと数年で三十路ということは、少なく見積もっても二十代の中頃。普通は、降嫁、或いは婿を取るなりしているはずだ。どちらにせよ、王女という肩書を名乗り続けることは難しい。
「世間知らずなキユに、優しい僕が教えてあげるけど、レイザンドの王族は婚姻をしないのが通例なんだ」
 意味が分からず、希有は首を傾げる。
「レイザンドは、国教の関係で、王族が表立って人間と血を交えることはない。だから、あの年で独身、王女殿下なんて肩書を名乗り続けても、誰からも文句は言われないんだ」
「国教……、王女が言ってた男神おがみと関係があるの?」
 国教とは、つまり、宗教のことだろう。
 リアノに宗教はないために、久しぶりに聞いた単語だった。臆病なリアノが特別なだけであって、当然ながら、他国に宗教があっても可笑しな話ではない。
「男神を祀っているレイザンドの直系王族は、女児だけしかいない。彼女たちは、皆、男神の伴侶とされているんだ。莫迦なキユのために、すごく噛み砕いて言うと、女王が男神の正妻で他は妾って感じかな」
 俗物的な例えを持ち出したアルバートに、希有は目を瞬かせた。
「神様との間に、子どもができるの? しかも、女だけなんて」
 人間は人間からしか生まれ得ない。この世界でも、その点においては差がないはずだ。
「キユが疑問に思うのは、すべて知っているからだよ。子どもがどうして生まれるかも、実体のないものとの間には、何一つ授かれないことも」
「……、でも、知らないからと言って、鵜呑みして全部信じ切れるもの?」
「何も知らないレイザンド人からすれば、女王が語る言葉は男神の言葉で、すべて真実だ。砂漠の民レイザンド人にとって、男神はオアシスを与えてくれる唯一絶対の存在とされている。生きるためには水が必要不可欠で、そのためには男神の加護が必要なんだよ。そんなの、縋るしかないでしょ」
 アルバートの言うとおりだった。
 真実がどうかなど、砂漠の民には関係ないのだ。彼らには男神しかいないのであれば、それに縋るしか選択肢はない。希有とて、同じ状況にあれば、生きるための恵みを与えてくれる存在を崇め祀ったかもしれない。
「でも、それは神を信じることのない、わたしたちには、……本当の意味では理解できないことだよ」
「そうだね。僕たちにとって、神を信じるということは世界を信じることだ。レイザンドの男神信仰も、ラドギアの女神信仰も、どちらも同じ存在――世界を、唯一絶対のものとして祀っている」
 何でもできる――希有が否定する全知全能の神に等しき存在が、世界である。だからこそ、世界を崇め奉る宗教が生まれたのかもしれない。
「蜜腺のあるリアノが、神を――世界を信じることなんて、端から無理な話だ。僕らは、確かに恩恵を手に発展を繰り返して来たけど……、その過程で失われてきた犠牲を忘れることなんてできない」
 寂しげに笑って、アルバートは大きな溜息をついた。
「ああ、本当、憂鬱」
 無理に話題を変えるように、彼はひどく落ち込んだような声音で言う。
「年増は嫌いなのに。あの王女に専属する侍医、僕なんだよ」
 アルバートには悪いが、希有は思わず納得してしまった。
 ミリセントの話では、アルバートは侍医として優秀で、患者や同僚からも評判は良い。勘当された件で様々な噂があるものの、どれも割と好意的なものばかりだったと聞き及んでいる。
 若くて優秀なアルバートは、王女のご機嫌取り係としての役目も兼ねているのだろう。美しい少年に傅かれて嬉しくない女はいない。
「今、なるほど、とか思ったでしょ」
「……、まさか」
「まあ、僕が若くて美しいのは認めるけど、それは別に年増のおばさんの相手をするためではないんだけどね」
 燃えるような赤毛を掻きあげて、物憂げに彼は目を伏せる。
 健康的な肌に影を落とす睫毛は、シルヴィオほどではないが、希有よりもよほど長くしなやかに見えた。少し厚めの唇も、その近くに添えられた黒子も、少年らしさを残す無垢な顔に妙な色香を加えている。
 前々から思っていたが、盗蜜者で希有の周りにいる人間は、少し顔立ちが整い過ぎていないだろうか。
「アルの自信、ちょっと分けてほしい」
 自分の容姿は、希有自身が良く分かっている。彼らに比べたら、月と鼈《すっぽん》も良いところだ。だが、せめて、もう少し自分の顔や体型に自信が持てたならば、この根暗な性格も少しは改まるような気がするのだ。
 言ったところでどうにもならない我儘だと分かっていても、羨む心は捨てきれない。
「ええと、そんな真面目に取らないでほしいな。キユだって、十分可愛いよ?」
 アルバートの可愛いは、小さくて、子どもみたいで可愛いの意だ。リアノ人に囲まれると、希有の年齢は、多く見積もっても十三、四歳にしか見えない。
「ほら、僕や君の美醜なんて、シルヴィオの前では、どうでも良いと思わない? あいつの顔には、誰も敵わないしさ」
「……、それを言ったら身も蓋もないよ」
 シルヴィオを引き合いに出す時点で、勝敗など決している。
「ふふ、ごめん。顔だけは無駄に良い男だからね」
 アルバートは、肩を竦めてわずかに笑みを零す。
 ――そうして、いつになく真剣な顔つきで希有を見た。
「何にせよ、荒れるよ。キユは、暫く後宮から出ない方が良い。君は自分が思っているより、ずっと危ない立場にいるんだから」
「大袈裟だね」
「……肝が大きいのか鈍いだけなのか知らないけど、気をつけてね。感情のままに行動すれば、君は傷つく。どうせ、上手く立ち回ることなんてできないんだから、今回くらい大人しくしてなよ」
 釘を刺すようなアルバートの言葉に、希有は曖昧に笑むことしかできなかった。