farCe*Clown

第一幕 砂塵が運びし影 59

 昼間、アルバートから思いもよらぬ事実を告げられてから、気付けば夜を迎えていた。
 ミリセントが自室に下がった深夜、青白い月明かりに照らされた寝台の上で、希有は薄手の毛布に包まりながら膝を抱える。
 あれから、ずっと、カルロス・ベレスフォードの死が頭から離れなかった。
 彼の死を悲しんでいるわけではない。生憎と、希有は自分を酷い目に遭わせた男の死さえ嘆き悲しむほど、お人好しにはなれない。
 ――だが、突然の死に動揺を覚えたことは確かだった。
 カルロスの人柄を考えれば、何処で恨みを買っていたか分かったものではない。殺される理由など、探せばいくらでも出てくるだろう。
 そう思っても、一抹の不安が拭いきれない。彼の死は、何か大きなことと関連しているのではないかと思わずにはいられなかった。
 不意に、希有の耳は夜の静けさに紛れた衣擦れの音をとらえる。
 このように足音一つ立てずに部屋に来る存在を、希有は一人しか知らなかった。
「シルヴィオ」
 確信を持って彼の名を呼ぶと、一人の青年が姿を現す。
 薄紅色の柔らかな髪を揺らした、美しい青年だ。染み一つないような白磁の肌に、春の光を浴びた若草の瞳が良く映えている。その不思議な色合いの双眸そうぼうと、整った鼻梁や薄い唇が、絶妙な場所に配置されている。
 傾城、と言っても過言ではない美貌だ。彼が女性であれば、国の一つや二つ簡単に傾けてしまいそうだった。
 妖しい魅力を湛えた彼の美貌は、まさに、毒と呼ぶに相応しい。
「キユ。まだ、起きていたのか」
 美しき王、シルヴィオ・リアノは、希有を見るなり口元を綻ばせた。
「起きていたら悪いの?」
「悪くはないが、最近は、来ても明りが消えていることの方が多かったからな。今日も、会えないと思った」
 シルヴィオの言葉に、希有は頬を引きつらせた。まったく気付かなかったが、ここ数日、希有が寝ている間に彼はこの部屋を訪れていたらしい。
「起こしてくれて良いのに」
 希有は小さく溜息をついた。
 希有は、ただ保護されているだけの居候だ。寝ているところを起こされても、文句を言うつもりはない。むしろ、最近忙しかった彼と話せるならば、喜んで起きただろう。
「安らかな寝顔だったからな。起こすのも忍びなかった」
 肩を竦めたシルヴィオに、希有は曖昧に笑うことしかできなかった。
 気を遣われると、反応に困ってしまう。そのように気にかけてもらえる存在ではないと、誰よりも希有自身が知っていた。
「勝手に人の寝顔覗いて帰るのは、どうかと思う」
 だから、拗ねたような態度をとって誤魔化してしまった。
「起きない方が悪いだろう?」
 悪びれもせずに主張する彼は、相変わらず、性質が悪くて意地も悪い。この一年で良く知れた、彼の人柄だった。
 それを知りながらも、嫌悪を抱くことはない。むしろ、心の奥底から、自分らしくもない穏やかな気持ちがこみ上げてくるから、手におえなかった。
「ああ、そうだ。アルバートは、今日、ちゃんと来たか?」
 シルヴィオの問いに、希有は頷く。
「うん、忙しい中、ちゃんと来てくれたよ。……それで、あの、アルから聞いたんだけど」
 希有が口籠ると、希有が何を言いたいのか察したシルヴィオが、急に不機嫌そうに眉をひそめた。
「カルロスのことか」
 シルヴィオにとって、カルロスは政敵であり、王位継承の際には散々な目に遭わされた相手でもある。シルヴィオが不機嫌になるのも頷けるが、先ほどまで上機嫌だった分、その落差に希有は思わず肩を揺らした。
「アルバートも余計な真似を」
 吐き捨てるように言ったシルヴィオに、希有は軽く唇を噛む。
「そんな、言い方しなくても。シルヴィオたちが聞いても答えてくれなかったから、アルが教えてくれただけで……」
「カルロス・ベレスフォードの死を、お前は知りたかったのか?」
 シルヴィオの視線が、静かに希有を射抜いた。その瞳に、まるで糸で縫いとめられたかのように、希有は身動き一つできなくなる。
「一年の歳月が流れたが、その程度の時間で、お前はカルロスを赦せるのか。俺には、そうは思えない。記憶は薄れていくだろう。だが、受けた苦渋まで忘れてしまうのか?」
「……それ、は」
「知らなくて良いことだった。少なくとも、自分を苦しめた人間がどうなったかなど、お前は知りたくもなかったはずだ」
 シルヴィオの言うことは図星だった。
 ――カルロスの生死など、希有は知りたくなかったのだ。
「……っ、勝手なことを言わないで」
 だが、何もかも見透かしたように、身勝手に判断して黙っていたシルヴィオに希有は怒りを覚える。
「そうやってむきになるのは図星だからだろう。教える必要がないと思った。それがお前にとって最善だった。どうして、今さら怒るのか理解できない。ずっと、お前は何も言わなかっただろう」
 希有は反論しようと口を開くが、何も言うことができなかった。
 希有は、長い間シルヴィオを問い質すことはなかった。
 たとえ何か疑問に感じても、敢えて問うことをせずに、今の現状に満足していた。それこそが正しいことだと、まるで言い聞かせるように、何も聞かなかったのだ。
 自分は異邦人だから、深入りしてはいけない。そうやって、言い訳して逃げ続けていたのは他でもない希有だ。
「誰にだって、隠し事がある。お前だって、俺に言えないことがあるはずだ」
 言えないことがあるのは、シルヴィオも希有も同じなのだ。
 どれだけ距離が近くなったと思っていても、心の距離は分からない。互いに胸に秘め事を持ち、一定の距離を保ったままではないか。
 傷も罪も相手が受け入れてくれると信じることができないならば、近くで寄り添うことなど、できるはずもない。
 それを知りながらも、二人して、傷も罪も明らかにすることを拒んでいる。
「寝台に隠した本は、俺への当てつけのつもりか?」
 シルヴィオの言葉に、希有は息を呑んだ。
「……、どう、して」
「まだ、俺は信用ならないか? 疑り深いとは知っていたが、少しは気を赦してくれていると思っていた」
「違う! そうじゃなくて」
 何もかも、与えられる知識だけでは嫌だと思ったのだ。
 それでは、彼に頼って縋っているだけの寄生虫のままだ。希有が望むように、彼の隣に立つことはできない。
 だからこそ、何もできない自分から脱却しようと、希有は動き始めた。
 もちろん、切欠は、アルバートの言葉ではあったが、選んだのは希有の意思だ。
「……っ、そうじゃ、ないの」
 だが、上手く、そのことを伝えられない。
 シルヴィオは、希有を甘やかし続けてくれた。それはとても嬉しいことだったが、希有はそれに見合うものを返せているとは思えない。それ故に、彼の隣に並びたいと口にすることが躊躇ためらわれてしまった。
「まあ、良い。今日は、お前に伝えることがあって来ただけだからな」
 自嘲するような笑みを浮かべているシルヴィオに、希有は目を伏せる。
 ようやくシルヴィオと面と向かって話せたことに対する嬉しさも、何処かに霧散してしまった。
 シルヴィオは、希有を冷たく一瞥いちべつしてから、深い溜息を吐いた。
 久しぶりに会えたというのに、どうして、言い争ってしまったのだろうか。胸の奥が酷く痛んで、後悔ばかりが押し寄せる。

一月ひとつき後、レイザンドから第一王女が来る」

「レイザンド、の王女……?」
 何の感情も見えない淡々とした声に、希有は思わず聞き返してしまった。
 ――砂漠の大国レイザンド。
 広大なルサ山脈を挟んで、リアノの東に位置する大国だった。
「向こうから書状が届いたんだ。新王就任の祝いの挨拶に来る、と。レイザンドとは、ほとんど国交は断絶している。その上、最後の交流はカルロスが若い頃にレイザンドを訪問したくらいだ」
「カルロスが若い頃だと……、かなり、昔のことだよね?」
 先日亡くなったカルロス・ベレスフォードは、シルヴィオの父親の兄にあたる。希有が憶えている限りでは、随分と老齢だった。
「ああ。カルロスが第一王子だった頃の話だからな。今さら、新王就任の挨拶なんて笑わせてくれる」
 シルヴィオの言葉は尤もだった。今では、ほとんど国交を断絶しているような国に、新王就任の挨拶に来る意味などない。
「それに、レイザンドはラドギアと並ぶ大国だ。国の面積や民の数においては、リアノよりも遥かに広く多い。奴らが信仰する男神《おがみ》の名の元に、レイザンド人は、小国で無宗教なリアノのことなど見下してるだろうに」
 希有は、今になって漸く理解する。
 最近のシルヴィオの忙しさの原因は、国内の出来事ではなく、レイザンドのことだったのだろう。その案件に頭を悩ませている間に、カルロス・ベレスフォードの死だ。
「でも、受け入れるんでしょ?」
 希有の言葉に、シルヴィオが力なく頷いた。
「王女を国内に入れるなど願い下げだが……生憎と、今のリアノがレイザンドに攻め込まれたら、勝てるとは思えない。即位して一年だ、国の統率など、まともにとれるか怪しいところだ」
 ――それは、彼の即位が、希有のせいで狂ってしまったからだろうか。
 口にすれば、優しい彼は否定してくれるかもしれない。だが、希有には問いかける勇気が持てなかった。
「何にせよ、時間が必要だ。奴らの狙いである蜜腺を守るためにも、今すぐ攻められるわけにはいかない」
 蜜腺。
 それは、今日の昼間にアルバートから聞いた、地球から盗まれた物が流れ着く場所だ。
「そんなに、地球からの恩恵は大事なの?」
「リアノの今日こんにちまでの発展は、蜜腺のおかげと言っても過言ではない。いや、……蜜腺がなければ、このような国、とうの昔に滅びている」
 それ故に、リアノは蜜腺を独り占めするのだろうか。
 リアノは、己と同じ能力を有する存在が恐ろしいのだ。手に入った力を分け与えるという考えは、端から捨てている。分かち合う、という選択肢は、リアノにはない。恩恵を独占し続けてきた国がリアノで、これからもそれは変わらない。
「蜜腺は、リアノの要だ」
 重々しい空気の中、希有は膝を抱えたまま目を伏せる。
 レイザンドの王女の来訪が、これ以上リアノに暗い影を落とさないことを、希有は願った。