鋼の翼

- 水の楯 -

 ――君がいる世界が、僕を生かし、僕を殺した。
 それでも、後悔は一つもなかったんだ。



 温かな日差しが、木漏れ日となって降り注いでいた。晴れ渡った空は、眩しいほどの青に満ちている。
 木陰の下に佇む僕は、愛しい少女に視線を遣った。
 赤茶の長い髪を躍らせて、花を飛び回る蝶々のように、彼女は軽やかな足取りで庭の中を駆けていた。
「テオ! 見て、花が咲いたのよ」
 庭に咲いた花を指差しながら笑う彼女に、僕も笑みを向ける。
「良かったね、コレット」
 コレットは、ワンピースの裾を翻しながら何度も頷いて、僕の元へと走ってきた。
 この庭を含めた森一帯は、妖花の僕が根を張っているため、植物が芽吹かないはずがない。僕が生きている限り、花が咲くのは当然のことなのだ。
 だけど、僕は敢えて何も言わないことにした。
 嬉しそうに笑うコレットが、とても可愛らしかったから、その笑顔に水を差すようなことを言うべきではない。
「今日は本当に良い日ね。温かくて、天気が良くて、それに……」
「洗濯物も渇くし、ね」
 僕が揶揄するように言うと、彼女は頬を膨らませる。
「もう、笑わないでよ。大事なことでしょ?」
「ごめんね、大事なことだ」
 コレットの小さな頭を撫でると、彼女は猫のように目を細めた。本当に、可愛い子。
「コレットの言う通り、今日は天気が良いから、昼食は庭で食べようか。準備して来るから、庭の手入れをお願いしても良い?」
「任せて。美味しいお昼御飯、待ってるから」
「僕の作る食事が不味い訳ないだろ? 全部君のために覚えたんだから」
「知ってる。テオはわたしだけの料理人だもの」
 悪戯な笑みを浮かべて手を振る彼女に、僕は肩を竦めてから家へと入った。
「……、わたしだけの料理人、ね」
 妖花と呼ばれる魔族の僕は、この地に根付く花である。適度な養分をとり、核を失わない限りは生きていられるため、人のような食事は必要ない。
 だが、僕と違って、コレットは食事を採らないと死んでしまう。
 彼女は、人間の女の子だ。儚くて弱くて、愚かしい生き物の仲間。本人がそう在ることを望んでいなくとも、それは変えようのない事実である。
 現に、ほとんど変化のない僕と違って、彼女は日々成長をする。拾った時は子どもにしか思えなかったというのに、今では美しい少女となった。
「本当に、……綺麗になった。まさか、この僕が人の子に誑かされるなんて」
 そのことに対して悪い気がしないのは、僕がコレットを大切に思う証なのだろう。
 コレットの好きな野菜を炒めて味付けして、今朝焼いたばかりのパンに挟んだ。僕は味覚を持っていないけど、彼女の好む味付けは、ここ数年で知り尽くしている。
 不器用な彼女が漸く編めるようになった籠を取り出して、麻布を敷く。その上に、できあがったばかりの昼食を入れた。少々作り過ぎた気もしたが、問題はないだろう。
 嬉しそうに目を細めて、残さずに食べてくれるに違いない。
 だが、庭に戻っても、コレットの姿は何処にも見当たらなかった。
「……、コレット?」
 真面目な彼女が、僕が任せた仕事を放り出すとは思えない。不意に嫌な予感がして、僕は辺りを探し始めた。
「コレット! 何処にいるの?」
 彼女の名を呼びながら庭を歩くと、大樹の傍にワンピースの裾を見つけた。
「……っ、どうして、貴方が!」
 困惑したようなコレットの声に、気付けば僕は走り出していた。
 コレットは、大樹を背に座りこんでいた。
 身を震わせる彼女と対峙しているのは、青年騎士だった。庭に踏み込んできた彼は、僕の大切な家族に剣を向けている。
「コレット。……っ、何故、妖花と共にいるんだ!」
 青年の瞳が翳った瞬間、彼は、コレットに向けて駆け出した。
 それを目にした彼女は、恐怖のあまり上手く立ち上がれずに、そのまま地面に崩れ落ちた。
 騎士の手には、一振りの剣が握られていた。動けないコレットに、銀色に輝く剣が振り下ろされる。
「……っ、コレット!」
 僕は、騎士と彼女の間に飛びこむようにして、彼女の身体を抱き込んだ。
 迷いのない一撃が僕の核を貫き、魔族の証である青い血が流れ出す。
 抱き締めた君の身体が、僕の腕の中で震えた。
「テ、オ……?」
 最期の力を振り絞るように、彼女の身体を強く抱きしめた。
「大丈、夫? コレット」
 青白い顔で、コレットは震える指を僕の頬に這わした。大きな瞳から、陽光を浴びて煌めく滴が溢れ出す。
 ああ、やはり、時が流れるのは随分と早い。
 ――、腕に抱く君は、六年前の幼い少女だった頃よりも、ずっと美しい娘になっていた。
 僕の脳裏に、幸せに満ちた記憶が駆け巡る。
 六年前の冬、人を喰らう妖花である僕に捧げられた君に出会った。殴られて真っ赤に腫れた肌、血の匂いを纏った少女は、涙を堪えて僕を見上げた。傷だらけでも、美しい子どもだった。
 君を助けたのは、気紛れだった。
 魔族は美しいものを好むから、綺麗な君を、もう少しだけ見ていたいと思ったのかもしれない。
 そんな漠然とした理由で、僕は君を拾った。
『……、貴方は、わたしを食べないの?』
『どうして、君を食べるの?』
 僕にとって、人を食料とすることは容易い。あの時は言わなかったけど、村に帰れない君を食べてあげるのも、一つの道だと思っていた。
『貴方は優しいのね、テオ』
 それなのに、君があんまりにも優しく笑うから。
 まるで、僕と一緒にいたいと言うように指を絡ませてくるから。
『ずっと、ここにいれば良い。コレット』
 言うつもりのなかった言葉を、君に与えてしまった。
 僕は君が思うほど優しくはなくて、君が考えるよりもずっと残虐な魔族だった。人々の生気を根こそぎ奪い、自らの養分としてしまうような妖花でしかない。
 だけど、柔らかに笑う君を愛しいと思ったのは本当だった。
 君と過ごした一瞬が、これから続くはずだった、永遠に近い僕の時間を上回ったことも真実だ。
「……、愛してるよ、コレット」
 この身に流れる青き血は、決して、君の命と同じではない。それでも、僕は、柔らかな水のように君に命を与えられる存在でありたかった。
 大切な家族である君を、すべての悲しみから守る楯になりたかった。
 崩れ落ちた僕の身体を抱き締める君を、愛していた。

 ――どうか泣かないで、可愛い人。

 君の家族になれた僕は、世界で一番の幸せ者だ。



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