春告姫

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  七の章 21  

 記憶にいる娘は、いつも幸せそうに笑っている。
 もとの世界が恋しくて泣いていたことも知っているのに、どうしてか、今となっては浮かぶのは笑顔ばかりなのだ。
『咲哉! 見て、こんなにたくさん花が咲いていたよ』
 幼子のように外を駆けまわって、衣を泥だらけにした美春が笑っている。白髪交じりの女房が絶叫して、他の者たちは優しい溜息をついた。
 いつか殺してしまう娘。桜の下に埋めなければいけないと分かっていながら、誰もが彼女の笑顔には弱かった。
 美春の小さな腕には、咲哉の知らぬ花々が溢れていた。
   彼女は、太陽のよく似合う娘だった。
 何処にでも駆けていってしまう彼女が、どうしようもなく憎らしかった。だが、同時にその姿を見つめていることが堪らなく好きでもあった。
 太陽を知らぬ己の肌さえも、美春が触れた途端、ひだまりの熱を与えられる。
 彼女だけが、あたたかなものを咲哉に運んできてくれる。こんなどうしようもなく惨めで、何処にもいけない咲哉を好きだと言ってくれる。
 空高く羽ばたくことのできる、美しい羽を持つ娘。その羽をむしって、桜の下に埋める勇気がなかった。
 冷たい土の下には、日の光も届かない。そんな不自由を、彼女にだけは強いたくなかった。
 別れのとき、必ず会いに来る、と美春は約束してくれた。
 その約束が、どれほど咲哉の胸を貫いたか。どれほど強く、咲哉の心に刻まれたか。その言葉だけで、供物として死を迎える覚悟を持てた。
 なのに、何故。どうして、この魂は朽ちることなく、さまようことになった。
 老いることのない傀儡に宿った心は、時が流れるほどに軋んでいった。親しい者たちと死に別れるほど、絶望は泥を呑むように溜まっていく。
 それでも、正気でいられたのは――。
 美春はもう死んでしまった、と思っていたからだ。
 百五十年も経てば、とうの昔に死んでいる。死者を恨んだところで、憎んだところで仕方ないと諦めていたからだった。
 あの頃より娘らしくなった美春は、あの頃と変わらず太陽の似合う子だった。
 ――こんな惨めな姿、お前にだけは見られたくなかった。
 変わり果てた咲哉のもとに、変わらずに現れた美春。
 愛していたからこそ、その存在に傷つけられる。



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