花の魔女は二度燃える

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  第二幕-07-  

 葬儀が終わると、教会にはカグヤとイヴだけが残された。
「良いのか? 最後まで付き添わなくて」
 母の棺は、魔女たちによって運び出された。
 魔女たちの風習に倣って、彼女の身体は火に沈められる。火葬された魔女は、骨のひとかけら、灰のひとつさえ残らず、消えてゆくのが常だった。
「身内は立ち会えないんです。同じ魔女であれば、なおのこと。――離宮の火事。放火って、どういうことですか?」
 カグヤにだけ聞こえるように囁かれた、不穏な言葉。その真実が知りたい。
「そのままだ。あれは仕組まれた火事だった」
「わたしたちは! 不幸な事故だった、としか聞いていません。それ以上の質問だって許されませんでした」
 カグヤはうつむいて、爪が喰い込むほど強く拳を握った。
 数日前、邸に帰ってきたのは、布に包まれた母の遺体だった。母を運んできた王城の人間は、不幸な事故としか語らなかった。
 とうてい納得できることではなかった。カグヤも父も、哀しみと遣る瀬無さで押し潰されそうになりながら、母を弔うための準備を進めたのだ。
「不幸な事故として説明するしかなかったんだろう。出火原因が分からなかったから」
「分からない?」
「火の不始末ではない。不審な者がいたわけでもない。あのときの離宮には王族のほとんどが揃っていたから、警備も厳重だった。万が一にも、火事なんて起こるはずがない」
「でも、離宮は燃えました!」
「そう。あの夜、離宮は一瞬にして炎に包まれた。前触れもなく突然に」
 カグヤは弾かれたように顔をあげる。
 出火原因も分からず、ただ離宮が燃えたという結果だけが残った。
 故に、イヴは《放火》と呼んだ。離宮を一瞬で包んだ炎。どういった手段か分からないが、不可思議な炎を放った何者かがいる、と。
「本当に、そんな炎だったとして。消火は、できなかったんですか。離宮が全焼する前に火が消えたら、誰かが助けに入ってくれたら! 母は助かったのではありませんか?」
 カグヤの胸には疑惑がある。母は魔女だ。王国の民として認められていないから、見捨てられたのではないか、と。
「残念ながら、何をしても炎は静まらなかった。また、奇妙なことに、離宮から出ることはできても、入ることは叶わなかったんだ。見えない壁のようなものが、離宮を囲っていたそうだ」
 一瞬にして離宮を包んだ原因不明の炎、助けに入ろうとした者を阻む壁。聞けば聞くほど、異常な火事だった。
「母は、逃げ遅れたんですね」
 負傷者のなかで、亡くなったのは母だけだ。他の者たちは、自力で離宮から逃げることができたのだろう。
「ミレイユ一人ならば、逃げられたのかもしれない。だが、ミレイユは病弱な王太子を助けるため、最後まで離宮に残った。王太子を担いで離宮から出てきたときには、もう助からなかった」
 だから、母の遺体はひどい火傷を負っていたのか。
「王太子様は、ご無事だったんですか?」
「療養中だ。ミレイユのおかげで、この国は王太子を喪わずに済んだ。そう言えたならば、良かったんだが」
 その先の言葉は、カグヤにも簡単に推測できた。
「魔女の呪いを疑っているんですね? 母が離宮に火をつけた、と」
「人知を超えた力は、魔女の領分だろう? 離宮を燃やした不可解な炎は、魔女の呪いによって為された、と考えるのが自然だ」
「……っ、でも、お母様だって死んじゃったのに」
「自分も一緒に死ぬつもりで、火事を引き起こしたのかもしれない。魔女とは災厄を運ぶもの、長らく定住を許されなかった余所者だ。疑われても無理はない」
「昔のことを持ち出さないで! 魔女は、もう王国に住まうことを許されています。それだけの対価は払いました、西国との戦争にだって従軍したでしょう⁉ ……っ、それに、善良なる魔女は、呪いで誰かを傷つけることはありません」
「軍に所属するような魔女が、果たして善良と言えるのか? 人間からすると、魔女の呪いとは、得体の知れない恐ろしい力でしかない。すべてが魔女の仕業と片付けられても、誰も驚きはしない」
 ひどい侮辱に、目の前が真っ赤に染まった。
「帰ってください」
「どうして? 迎えに来たと言っただろう」
「得体の知れない、恐ろしい力を使う魔女なので、王子様の《お嫁さん》にはなれません。あんな十年前の約束、律儀に守ってもらわなくて結構です」
 教会の出口を指差す。イヴのことを、命に代えても守りたい主君、と言った母が可哀そうで仕方ない。
 イヴは顎に手をあて、こてん、と子どものように首を傾げる。
「ダリウスは元気か?」
 父親の名に、カグヤは眉をひそめた。
 最愛の妻を亡くして、まだ数日しか経っていない。ダリウスは妻の遺体を綺麗にしたあと、糸が切れたように寝込んでしまった。
「西国との停戦条約から、まだ一年だ。王都はともかく、余所は荒れているところもある。強盗の一人や二人、王都に流れ込んできたとしても、不幸な事件として片付けられるだろうな」
「何が言いたいんですか?」
「お前の返答によって、今夜、町医者が強盗に殺されるかもしれない」
「……嘘、ですよね?」
「試してみるか? どんな結果になっても後悔しないなら、もう一度、帰ってください、と言えば良い」
 喉がからからに渇いて、額に脂汗が滲んだ。
 イヴの言葉を跳ねのけることができない。十年前ならともかく、大人になった今の彼のことは信用できない。
 カグヤが拒んだとき、本当に父が殺されるかもしれない。
 だが、どうしてもイヴの意図が読めないのだ。魔女を娶ったところで、王子であるイヴに何の利益もない。むしろ、彼の立場を悪くするだけだ。
 そのとき、カグヤの思考を遮るよう、甲高い音が響いた。
「銃声?」
 その音が何であるのか、カグヤの耳は憶えていた。数年前、何度も聞いたことがある音だ。
「イヴ様! さすがに移動してください。変な連中、集まって来ているみたいなので」
 教会の外から、イヴの部下らしき声がする。
「どうやら、あまり時間もないらしい」
 先ほどの銃声を皮切りに、外では物騒な音が響いている。そして、その音は徐々に教会に近づいるようだった。
 何が面白いのか、イヴは声をあげて笑っている。
「なに、呑気な顔して笑っているんですか‼」
「慣れている。忘れたのか? 俺は呪われた王子だ。この呪いがある限り、俺の命は常に狙われる。そういう運命にある」
 カグヤは青ざめる。十年ぶりの再会で、すっかり意識の外に追いやっていた。
 イヴは魔女に呪われ、死を願われた王子だ。
 息をしているだけで、彼は死への階段を駆け降りる。魔女の呪いは、彼を殺すために、あらゆる不幸を引き起こす。
「父親よりも先に死にたいなら、ここに残っても構わない。一緒に仲良く、俺と心中しようか?」
 カグヤは唇を引き結んで、声にならない悲鳴をあげた。

◆◇◆◇◆

 連れられてきたのは、王都にある邸宅街だった。しかし、イヴに言われるがまま移動したため、どのあたりに建てられた邸なのか分からない。
「……吐きそうです」
 窓のない部屋のソファで、カグヤは口元を押さえた。前世を含めて、人生で一番緊張する移動だった。
「大丈夫か?」
 イヴが心配そうに手を伸ばして来る。その手を振り払って、カグヤは目を吊り上げた。
「なんにも大丈夫じゃないですよ! 誘拐犯!」
「誘拐はしていない」
「誘拐でしょう!? お父様のことまで使って脅して! お母様が死んじゃったばっかりなのに、こんなことされても困るんですよ。ぜったい、あなたの《お嫁さん》になんてなりません!」
 瞬間、耳の横で大きな音がした。
 ソファの背もたれを、イヴが軍靴で蹴りつけた音だった。横目にしたとき、背もたれに穴が空いているのが見えた。
「……えっと」
「手が滑った」
「手じゃないですよね!?」
「お前がひどいことを言うから。乱暴なことはしたくないのに」
 すでに乱暴なことをした男の台詞ではない。
 小柄で、まだ少女と言っても良い年齢のカグヤは、単純な力ではイヴに敵わない。抵抗する暇もなく、一方的に踏み躙られて終わりだ。
 穴のあいたソファから、恐る恐る、イヴに視線を戻した。
 そうして、カグヤは後悔した。
 こんなとき、魔女の身体を憎らしく思う。十年前の記憶であろうとも、魔女の頭は鮮明に記録している。
 脅すような言動に反して、イヴは十年前と同じ表情をしていた。
 小さな子どもが母親を探しているようで、捨てられた仔犬が健気に鳴いているようで、思わず手を差し伸べたくなってしまう顔だ。
 カグヤは力なく両手を下ろした。抵抗の意志がないことを示すように。
「良い子だな」
 カグヤの頭を撫でると、イヴはそのまま室を出ていってしまう。
 扉が閉まった瞬間、窓のない室は暗闇に包まれた。
 カグヤは這いずって、壁伝いに移動する。探りあてた扉を揺らすが、錠が下ろされているのか、いくら揺すっても開かない。
 閉じ込められた、と思った瞬間、全身から花弁が咲きはじめる。動揺して溢れた花を押え込むよう、カグヤは必死になって深呼吸を繰り返す。両耳に掌を押しあて、出来る限り外界の情報を遮断する。
 暗闇は苦手だ。カグヤが落ちこぼれの魔女になった出来事を思い出す。
 ――鳴りやまない剣戟、怒号と悲鳴に混じった硝煙の香り、赤黒い血の色。
 今にも落とされる砦には、絶望と死だけが満ちていた。逃げ場もなく棚の影に隠れて、息をひそめた夜を思い出す。
「どうして、今さら迎えに来たりするんですか?」
 母の死も、イヴが現れたことも、すべて悪い夢を見ているかのようだ。


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