farCe*Clown

幕間 過ぎた願い 24

 一連の出来事が収束を迎えてから、既に七日間が過ぎた。
 少しだけ暑くなってきた気温に、訪れるであろう春の終わりを感じながら、希有はわずかに痛む傷に視線を遣った。
 徐々に治りつつあるとはいえ、まだ、多少の痛みは残る。
 希有が溜息をついた時、来訪者を知らせるように足音が聞こえてくる。希有の元を訪れる人間は、一人しかいない。
「……、シルヴィオ?」
 入室してきた桜色の青年を見て、希有は首を傾げた。
 このような昼間に、彼が希有の元を訪れることは初めてだった。
 王となったシルヴィオには、処理すべきことが山ほどあるらしく、彼が会いに来るのは決まって夜遅くだったのだ。
「良かった、起きていたのだな」
 部屋に入ってくるなり、彼はソファに座っていた希有に近づいてくる。
「……、昼間まで寝ているわけないよ」
「いや、……昨夜は、大分遅くに訪ねてしまったからな」
 シルヴィオが、躊躇いがちに希有の頭に手を伸ばした。その手を避けずに、希有は軽く目を瞑って受け入れる。
「怪我、少しは治ってきたようだな」
 彼の骨ばった指が包帯の淵をなぞり、それから頬にわずかに残る傷に触れた。
「……、うん」
 頭の傷は出血の割に傷口は浅かったので、既にほとんどが治っている。
 矢で射られた足も、幸いにもそこまで酷くなることはなかった。数日は熱が出て苦しかったが、今では涙が滲むほどの痛みは感じない。
 ――、足には薄く傷痕が残ってしまうらしいが、後遺症は残らないとも聞いていた。
「無神経かもしれないが、足は仕方ないにしても、……顔には傷が残らないようで良かった。女の顔に傷が残るなど、あまりにも可哀そうだ」
「相変わらず、大袈裟。残ったところで、大したことじゃない」
「だが、残ったら残ったでお前は気にしただろう?」
 直ぐに否定できない言葉に、希有は苦笑いした。
 口では大したことないと言いながらも、顔に残っていたら、おそらく気にしていただろう。足に傷が残ると聞いた時も、ほんの少しだけ気落ちしたのだ。
「今日は、どうしたの? 忙しいから、昼は来れないって聞いた気がするんだけど」
「忙しいには忙しいが、とりあえず一区切りがついた。休憩を兼ねて、お前を部屋に案内しようと思ったんだ」
「部屋?」
 既に、希有には十分過ぎる部屋を与えられている。このまま、この部屋で過ごすものだと思っていたので、希有は目を瞬かせた。
「流石に、いつまでもこの部屋に泊めておくわけにはいかない。ここは、来賓室。本来なら使われてはならない部屋だ」
「……、来賓室なのに、使われてはならない?」
「この場所に、来賓など来てはならないからな。名ばかりの部屋なんだ」
 意味が分からず首を傾げる希有を余所に、シルヴィオは希有に手を差し出した。
「迷子になられると、困るからな」
「……、迷子って。子どもじゃないから、迷子になんてならない」
「この部屋の近辺は、特別に難解なつくりになっている。大人しく言うことを聞いていた方が身のためだろう」
 希有は頬を引きつらせた。
 リアノのは臆病な国。王城の作りを思い出してみれば、今の場所も分かりやすい構造をしているはずがなかった。
 希有は呆れながら、彼の手に自分の手を重ねる。
 繋がった温もりが妙に気恥かしかったが、シルヴィオは何とも思っていないようで、それが少しだけ悔しかった。
「案内よろしく。……流石に、こんな場所で野垂れ死にしたくない」
 わずかに頬を赤らめた希有に、シルヴィオは喉を震わせた。
「賢明な判断だな」


               ☆★☆★               


 シルヴィオに案内された先は、繊細な花の紋様が描かれた扉の前だった。
 彼は扉を開けて、希有を連れて中に入る。
「……、こんな大きな部屋、要らないんだけど」
 希有は、あまりの部屋の広さに唖然とした。先ほどまで過ごしていた部屋も広いと思っていたが、こちらは、それの比ではなかった。
「ここでは小さい方の部屋だ。安全面を考えたら一番都合も良い。――俺の部屋からも遠くないしな」
「ふうん。……、これで小さい方とか、あり得ない」
 ほぼ生返事でシルヴィオの言葉を聞き流して、希有は部屋の中を歩き回った。
 暫くしてから、中央に置いてあったソファに腰掛け、希有は深く息をつく。
 見渡す部屋は広く、見上げた天井は高く遠い。
 部屋の隅にある天蓋付きの寝台には、レースのカーテンが垂らされている。柔らかな赤を基調とした、非常に愛らしいものだった。方々に置かれた、小さな白いテーブルやソファ、鏡台も、どれも同じように愛らしいデザインをしている。
「お前の好みは知らないから、部屋の中身は適当に揃えさせた」
 ふわふわとした可愛らしいものは、可愛げのない自分には似合わない類のものだと思っているが、希有の好みとしてはあっている。
「……人形まで、ご丁寧にどうも」
 ソファに置いてあった兎の人形を手にとって、希有は苦笑いする。
 可愛くない言葉だと思ったが、シルヴィオが希有の年齢を誤解したままであることに苦笑せざるを得ない。
 実年齢についての説明はしたのだが、彼はまったく信じてくれなかったらしい。
「明日には、お前付きの侍女も来る。ミリセントという名の金髪の侍女だ。何かあったら彼女に聞いてくれ」
「……侍女?」
 侍女とは、貴人の傍に仕えて世話をする女性のことだろう。
 間違っても希有は貴人ではない。その上、世話をしてもらうほど子どもでもない。
「今のお前の立場は、ファラジア家――、滅びた黒の一族の血を引く、令嬢だ」
「……、ああ、そんなことになってたんだっけ……」
 ファラジア家。
 かつて、この世界に盗まれた異界の人間を祖とする、今は滅びた貴族。今の希有は、周囲を欺くような形で、彼らの血を継ぐ娘となっているのだ。
「でも、別に侍女なんて要らない。自分の世話くらい、自分でできる」
「俺も、お前が自分の世話をできないとは思っていない。だが、キユを一人にするのは、俺の心臓に悪い」
 さりげなく失礼なことを言われて、希有は眉間に皺を寄せた。
「失礼な。その侍女は監視ってこと?」
「違う。俺の心の安寧のための、目付役のようなものだ」
「……わたし、そんなに信用されていない?」
「信用の問題ではない。お前が無茶をしないように見ていてもらうだけだ」
 監視とあまり変わらない気がしたが、希有はとりあえず頷いた。ここで反論したところで、彼が自分の主張を変えるとは思えない。
「それと、部屋の外に出るときは必ず侍女を連れて出ろ。あまり部屋から遠い場所に行かずに、長居もするな」
 しかし、次の言葉には容易く頷くことができなかった。
「……、どうして?」
「お前をここに住まわせるのが、現状での最善だが、……色々と厄介な問題が、いくつか残っている。いずれ話すが、それまでは何も言わずに聞き入れてくれると助かる」
 言葉を濁したシルヴィオに、希有は察する。
 その問題の内容は知りたいが、無理に聞こうとしても、はぐらかされるだろう。それに、知らなくても良いことだと彼が判断したのであれば、希有は無理に聞かない方が良い。
 自らの立場が危うくなることを知りながら、シルヴィオは希有の命を助けた。それならば、彼が敢えて希有を危険に晒すことを、現時点・・・では選ぶと思えない。
「……、分かった」
 躊躇いがちに了承した希有に、シルヴィオは申し訳なさそうに頬を掻いた。
 そして、無理に話題を変えるように、部屋の隅に在るクローゼットを指差す。
「一つ、言うのを忘れていた。服はクローゼットの中に全部入っている」
 希有は、今の自分の格好を見下ろす。生成り色をしたワンピース状の服である。大ぶりの釦がつけられた胸元や、袖や裾に囁かなフリルがついていて、腰の辺りが軽く絞られている。別段、意識していなかったが、もしかしたら寝巻きのような服だったのかもしれない。
 もし、そうであるならば、いつまでも寝巻きで行動するわけにもいかない。
 希有はクローゼットの元まで歩き、勢い良く扉を開ける。
「…………、うわ」
 クローゼットの中にかけられていたのは、数着のドレスだった。
 綺麗に並べられたドレスには、裾や胸元に惜しげもなくレースやフリルがあしらわれており、布地には仕立て上げた職人の腕を感じさせる細やかな刺繍が施されている。
 まず、一着当たりの値段が気になった。少し見ただけで、そちらの方面に明るくない希有でさえ高価なものだと判断できるのだ。どれほどの値が張るのか、恐ろしかった。
「先ほど言った、ミリセントという侍女に、すべて取り揃えさせた」
 オルタンシアが希有に与えた服も似たようなものであったが、彼女はあまり華美な装飾を好まなかったため、ここまで可愛らしいものではなかった。
「その人に、なんて言ったの?」
「そのままのお前の容姿を伝えた。小柄で背が低く痩せている、と」
「……、そっか。こっちでは、痩せている人はあんまり好まれない?」
「俺は興味がないから良く知らないが……、お前ほど痩せている人間は、貴族では、あまり見かけないな」
 どうして、こんなにも愛らしいドレスばかり揃えたのか疑問だったが、良く良く見てみると、その侍女が気を遣った結果なのかもしれない。
 やむを得ないとはいえ、今の希有は貴族の名を騙っているのだ。
 並んだドレスは、一見、装飾が過ぎるようにも感じられるが、身につければそこまでのものではないのだろう。アンダースカートもいくつか用意されていることから、体型を感じさせない服を選んだようにも思える。
「まあ、……別に何処に行くわけじゃないんだから、地味で安いものの方が良かったんだけど」
 その気遣いは嬉しかったが、希有は何処に行くわけでもない。
 ある程度の自由は認められるだろうが、シルヴィオに保護されている身分だ、出過ぎた真似はできない。彼自身も不必要に希有を外に出したりはしないだろう。
 希有もまた、地球への帰り方が調べられるならば、多くは望まない。何も分からないまま外に出たところで、手掛かりなど見つかるはずもないのだ。王城にいた方が、希有の望む情報は集まるだろう。
 いつの間にか隣に立っていたシルヴィオを見上げると、彼は困ったような顔をしていた。
「……悪いが、それは却下だ。地味で安価ものなど着せたら、俺の評価に関わる」
「なにそれ」
「嫌がらずに着るといい。似合うと思うぞ?」
 意味が分からずに聞き返す希有に応えることなく、シルヴィオは一着のドレスに手を伸ばした。
 どうやら、聞かれたくないことだったらしい。
「寝言は寝て言って。たぶん、わたしが着るよりも、シルヴィオが着た方が似合うから」
 希有は肩を竦める。
 着たくない、と言ったら嘘になる。希有とて、可愛らしい服は好ましい。着てみたいとも感じる。
 だが、それが自分に似合うのかと言われれば不安になる。
「また、お前はそういうことを……」
 シルヴィオは呆れを含んだ声音で呟く。
「まあ、お前は素直ではないからな。――、着たいのであれば、素直にそう言えば良いものを」
 シルヴィオは、希有の頭を軽く小突いた。
「……うるさい」
 希有が視線を逸らせば、シルヴィオが噴き出したように笑った。上品で美しい彼の顔には似合わない笑みだ。
「笑うな!」
 ――、こうやって軽口を利きあうことは、本来ならば赦されないのだろう。
 シルヴィオが王であることを知らずに出逢ったとはいえ、彼が王であることに変わりはないのだ。
 手の届くはずのない、人だった。希有の手など、取ってくれるはずのない人だった。
 だが、今だけは、シルヴィオの手は希有に繋がっている。
「……しばらく、御世話になるね。よろしく、シルヴィオ」
 いつか地球に帰る日まで、こんな風に優しくて穏やかな日々を過ごしたい。できることならば、この関係性を壊したくない。
 ――、それが、どれほど厚かましい願いか考えるまでもなくとも、希有は願うのだろう。
 あと少しだけで良いから、この手が繋がれていることを。
「よろしく、キユ」
 微笑んだシルヴィオに、希有も小さく口元を綻ばせた。