farCe*Clown
第二幕 泣きながら嗤う裏切り者 38
騒々しい場に、セシルは眉をひそめた。
会議の場は、とても話し合う雰囲気ではない。
それは、先王が死した後、シルヴィオが即位してからも変わらない。
先王の時代も会議と呼ぶにはあまりにも稚拙なものであったが、このように下卑た笑いが溢れかえったりはしていなかった。
無論、黙したまま真剣な表情をしている者もいるが、そちらの方が圧倒的に少数だ。
やはり、国は腐敗しかけている。
「……、王から、皆への言葉を伝えます」
不快感に軽く拳を握りしめて、セシルは声を張り上げた。
その声に、場に集まっていた重臣と貴族たちが、一斉にセシルを見る。明らかな侮蔑を含んだ表情を浮かべる者が大半だった。
「王?」
年配の男が、おどけたように声を上げた。
セシルは静かに睨みつけるが、伯爵である男は気にかけることなく続けた。
「真に王か分からぬような男だろう。あのような顔をして、ベアトリス様に媚でも売ったのか知らんが、あれが王などと誰が認める」
下品な言葉に頷くように、嫌らしい笑い声が会議の場を満たす。
セシルは、自らの血が冷たくなっていくような感覚に、そっと目を伏せた。
「……、貴方こそ、伯爵と認められないのではないですか」
唇から零れ落ちた嘲笑に、周囲が静まり返る。寄せられた視線は、どれも困惑とわずかな憤りをはらんでいた。
セシルは、構うことなく続ける。
「随分と領地で好き勝手していたようですが、それも今日までの話ですね。調べはもう着いてます、直に、貴方の財の一切は引き払われ、他の者に与えます。明日からの貴方は、権力の何一つも持たない庶民だ」
「……、庶民は、お前だろう。何を言っておる、セシル・ソロー」
たっぷりと蓄えた髭を弄りながら、伯爵は忌々しげに呟いた。セシルの出自が平民であることは有名な話である。それを快く思わない人間が多々いるのも知っていた。
だが、自分は宰相だ。
「ああ、お気に入りの女の所に逃げても無駄ですよ。口を割ったのは彼女ですからね」
「……何のつもりだ」
「不正を暴くのも、また、資格を持った王の仕事でしょう? 私は、王の代理人。忠実なる代弁者です」
――、王を支える、王の代弁者だ。
漸く、分かった。見ないふりをしてきたことに気づいた。
子ども染みた意地など、抱いている場合ではなかったのだ。国を腐りかけにさせた原因は、何も先王だけにあるわけではなかった。彼を敬愛していながら、セシルは死者に責のすべてを押し付けていただけなのだ。
セシルもまた、知りながらも見ないふりを続けていた愚か者だ。
妄信するように、優しい先王のやることのすべてを赦してきたのはセシルだった。自分を取り立て、慈しんでくれた先王の望むことばかりを叶えようとしていたセシルは、それがどのような結果をもたらすのか考えようともしなかった。
過去のセシルの行動が、今の状況を招いた一端でもあるのだ。
「あの男を、王として認めるのか?」
セシルは応えない。
黙って、会議の場を去った。青い顔をした伯爵の引きとめる声も無視して、食えない笑みを浮かべる王の元へ向かう。
彼を王として認められるかどうか、心の整理がついていないセシルには分からなかった。
だが、今やるべきことだけは、頭の中にあった。
まずは、会議の場を改めなければならない。然るべき対応をして、出来る限り王が上に立ちやすい足場を、確保しなければならなかった。
今の状態では、何度会議を開いたところで、得られるものなどありはしない。
頭の中で算段を立てながら、セシルは腹をくくった。
感情が追いつかずとも、行動は起こさなければならない。
☆★☆★
「ふわぁああ、眠い」
ソファにだらしなく腰掛けて、アルバートが眠たげに身体を伸ばす。その光景を見ながら、希有は頬を引きつらせた。
出かけ先から戻ってきたカミラは、何とも言えない微妙な表情をしている。
ローディアス公爵家に来て、既に半月が経った。
仕事の休暇中で暇だと言っていたアルバートの言葉は、冗談かと思っていたが、どうやら真実だったらしい。彼は、暇を理由に何度も希有の部屋に入り浸るようになっている。
立場上断れないため仕方のないことだが、良く知りもしない他人と同じ部屋にいるのは苦痛である。
シルヴィオと出逢った時のような特殊な状況ならば、心細くて一人は怖かった。死への怯えと、孤独に侵されていく心は、ひたすらに温もりを求めるしかなかったのだ。
だが、今はとにかく一人になって、ゆっくりとしたかった。状況は芳しいとは言えなかったが、牢屋に入れられた時のような、直接的な死への恐怖は感じられない。
ほとんど四六時中傍にいるカミラ、それに加えて、ベアトリスの息子であるために油断はできないアルバート。
何より、棘のように刺さって痛い、――フローラと言う存在。焼き餅というよりは、子どものような嫉妬に近い感情なのだろうが、会ったこともない彼女の存在が気にかかって仕方がなかった。
これでは、心労は重なるばかりだ。
二人に気付かれぬように溜息をついて、窓の外を眺めると、忙しく働く使用人たちが目に映った。
絶え間なく、入れ替わるように動いている彼らは、皆笑顔を浮かべながら働いていた。自分の仕事に誇りを持っていると言えば聞こえは良いが、まるで働くことこそが至上の幸せような態度の彼らが、どうにも気味が悪かった。
「良く働くでしょう? この家の使用人は」
ソファに座っていたアルバートは、いつの間にか希有の隣で外を見ていた。
「……、ええ。それに、……なんだか、楽しそうです」
下にいる使用人たちは、一層のこと薄気味悪いほどに、楽しそうな表情をしている。
「当然だよ。そうなるように、育てられてきた人間たちだからね」
当然、という言葉に違和を覚えて、希有はアルバートを見上げた。燃えるような赤毛が秋風に揺らめいて、長い睫毛が幼さの残る顔立ちに影を落としている。
「この家も、君が半年暮らしてきた場所と一緒。生まれた時から、使用人には教育が始まっている。それを行なえるだけの財力と権力が、この家にはあるからね」
つまらなそうに語るアルバートに、希有は相槌を打つ。
ミリセントがあの場所で生まれた時から育てられたように、この使用人たちも同様なのだ。
「僕から言わせれば、教育なんて生易しいものじゃなくて洗脳だけどね」
「……、アルバート様」
それは、内心で思っていたとしても、公爵家の人間であるアルバートが口にしてはいけない言葉だ。
希有は急いでカミラに視線を遣るが、彼女は平然と立っているだけだった。希有の視線に気づいたのか、外で働く者たちと同じ公爵家の使用人であるカミラは、黙って希有たちを見た。
アルバートが、思いついたようにカミラを振り返る。
「ね、カミラ。僕のこと嫌い?」
佇む彼女に、アルバートは無邪気に問う。
間髪を容れず、カミラは反射的に答えた。
「いいえ」
「じゃあ、僕のこと好きかな?」
「はい」
決まり文句のように繰り返したカミラに、アルバートは笑う。
「凄いでしょう? 誰に聞いても、同じことを言うんだよ。オルタンシア叔母様の下にいたカミラでさえ、同じことを言うんだ」
何も言えない希有を余所に、アルバートは饒舌だった。
「シルヴィオも同じだよ。あいつは生まれてから、ずっとこの家で育てられてきた」
シルヴィオが生まれた時からこの家で育てられてきたという事実を、漸く本当の意味で理解した。
それは、洗脳と何ら変わりのない教育だ。
用意されていた道を歩かされていた――彼は、用意された道しか知らなかったのだ。
「公爵家の宝、大切に大切に、決してこの家とリアノを裏切ることのない王として……、育てられてきたはずだった」
「はずだった?」
「母様は、何を間違ったんだろうね。シルヴィオは、あの日、初めて母様に反抗した」
アルバートの言うあの日など、考えるまでもない。
希有が処刑されそうになっていた、半年前の春の日のことだ。
「キユを助けるために、泣きわめく姉様と、怒鳴り散らす母様の手を振り払ったんだ。すべてを与えられていたのに、与えられるために生かされてきたのに、――あいつは、この家を裏切った」
希有は俯く。
シルヴィオには、すべてが与えられるはずだった。それは、シルヴィオの本当に望むものではなかったのかもしれないが、ベアトリスが考え得るすべての栄華と幸福を与えられるはずだったのだ。
それは、シルヴィオが希有を助けたことによって崩れ去った、当然のように予定されていた未来。
「意味が分からなかった。今も分からないよ。全部貰えるのに、どうして、キユを選んだのか。全部与えられてきたはずなのに、これからも与えられるはずなのに……、どうしてなの?」
そのようなこと、希有の方が知りたい。
自分には、大した価値などない。シルヴィオが、希有の価値は希有の決めるものではないと言ってくれたが、それでも、自分が無価値だと思う心を捨てきることはできなかったのだ。
どうして、彼が自分を助け、傍に置いてくれたのか。
玩具に対する愛着でも、構わないと思っていたはずなのに――。それだけでは、希有は不安になっているのだ。
もっと欲しい、と我儘になった心が飢えを訴えている。
「シルヴィオは、ずるいよ」
アルバートの顔に影が差す。
「何でも貰えるのに棄てるなんて、酷いよ。それを欲する人間は、たくさんいるのに」
身勝手な言葉だが、ひどく説得力がある言葉だった。
本当に欲しいものは、大抵は他人の手にある。それでいて、自分が望むものは、手にしている当人にとって大したものでないことなど多々あるのだ。
シルヴィオが座す玉座を、必死に欲した翁がいた。理由は知らないが、カルロスにとって、玉座とは何をしてでも手に入れたかった場所だった。
だが、シルヴィオにとっては違う。王にならなければ彼に生きる道はなかったかもしれないが、彼自身が望んで王になりたかったわけではない。
「……ごめん、今の、忘れて。部屋に戻るよ。あんまり遅くまでキユの部屋にいるのは、兄様に怒られそう」
白々しく話題を変えて、アルバートは部屋を出ていく。
重苦しい空気に、希有は俯いた。
「どうして、世の中は、上手くできてないんだろうね」
望む人に望むものが与えられたならば、妬んでばかりの醜い心など持たなかっただろうに。
それこそ、希有があの子を妬むこともなかったはずだ。父母に愛されるあの子に嫉妬して、彼女を死も同然の行方不明にさせたりしなかっただろう。
「それが、世と言うものです。望むものを与えられないからこそ、人はどこまでも不自由であり、愚かしいほどに愛おしい生きものなのです。――、オルタンシア様は、そう仰っていました」
「……、違いないね」
欲しいものを全部手に入れたところで、きっと満たされはしない。望むものすべてを手にしていたならば、それほどに虚しいことはないのだろう。
「でも、……欲しかった」
だが、昔の希有は望んでいた。
あの子と同じになったなら、父母が愛してくれると信じていた。
同じになんて、なれるはずなかったのに。
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