farCe*Clown
2009年ハロウィン企画番外編
「Trick or treat」
夜も更け始めた頃合い、突如、部屋に現れた来訪者。桜色を纏った男の、開口一番の言葉を聞いて希有は顔をしかめた。
「……、はい?」
Trick or treat――、お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ。
脳内でシルヴィオの言葉を消化しようとするが、訳が分からずに希有はさらに眉間に皺を寄せる。言葉の意味は分かるのだが、何故、彼がそのようなことを希有に向かって言っているのかが分からない。
「今日はハロウィンと呼ばれる日ではないのか?」
シルヴィオは、目を丸くして聞いてくる。
「……、こっちの暦を見る限りでは、そうだね」
希有は戸惑いながら、小さく頷いた。
基本的に、この世界の暦は三百六十五日周期である。
記録を照らし合わせる限りでは、本日が俗に言うハロウィンであることは間違っていない。
「ハロウィンが、どうかしたの?」
間違っていないのだが、何故、シルヴィオがハロウィンに触れるのかが、希有には分からない。
言わずもがな、ハロウィンは日本から発祥した文化ではない。
希有が知っているのは、製菓会社の第三の商戦と呼ばれていることと、Trick or treat、と言って子どもたちが菓子を貰いに近所をまわること。あとは、死者の魂が訪ねてくるなど、その程度のことだ。
「……、言っておくけど、ハロウィンなんてしたことないから」
地球で、希有の住んでいた場所は首都圏から離れた地域だ。
良く言えば自然にあふれているなどと形容できるが、実際は少子化と過疎化に苛まれる、俗に言うところの田舎だ。
それ故に、希有の住んでいた土地には、ハロウィンなどという外国の行事を行うような習慣はなかった。古い因習や迷信の名残で、神事のようなものは年に数回あったが、外国の文化を受け入れるような場所ではなかった。
そのような理由も相まって、希有はハロウィンに対する多少の知識は持ち合わせようとも、実際にやったことなど一度もない。友人同士で集まって小さな会を開いたりしていた子もいたようだが、希有はそのようなこととは無縁だった。
目の前の男は何がやりたいのだろうか。
「したことがないのか? つまらないな」
「……、子どもみたいなこと言うのは止めなよ」
「しかし、やったことがないならば、やってみれば良いだろう」
「Trick or treat」
「……、だから、やる意味が分からない」
希有が目を細めると、シルヴィオは肩を竦める。
「菓子は持っていないようだな?」
呆れる希有のことなど気にかけず、彼は思うままに聞いてくる。どうやら、希有の意見など端から気にするつもりはなかったようだ。彼の脳内には、ハロウィンがしたいからする、それだけしかないに違いない。
希有は小さく溜息をついて、シルヴィオのお遊びに付き合うことにした。
彼が簡単に考えを改めるような人間ではないことは知っている。それならば、適当に付き合ってやった方が希有としても楽だろう。
「……持ってないよ。持ってたら、食べて太るから」
シルヴィオの下に来てから。食事が良いものになったために食べ過ぎているのだ。健康的になったから良いと、自分を甘やかしていたが、実際は無駄な脂肪をつけてしまった気がしてならない。心なしか、顔の輪郭も丸くなったような気がしないでもないのだ。
希有が手に持っていた本を閉じて顔を上げると、シルヴィオは呆れたような目で希有を見ていた。
「なに?」
「お前はもう少し太れ。それだから、絶壁なんだ」
「……余計なお世話。もう少し成長すれば大きくなる……、はず」
何について言われているか、はっきりと言われなくとも、分かってしまったことが嫌だった。
「絶望的だと思うがな」
鼻で笑って、シルヴィオは吐き捨てた。
「俺は別に大きさなど気にしないが、もう少し太らないと抱き心地が悪い」
「シルヴィオの趣味なんて関係ない」
何故、彼にそのようなことを言われなければならない。
希有が視線を逸らして、不貞腐れると、彼がゆっくりと歩み寄ってくる。
次の瞬間、一気に近づいた顔に、希有は息を止めた。
「し、シルヴィオ?」
彼は、自分の容姿が美しいことを自覚しているはずだ。自覚しているのだから、いきなり近くに寄るのは、希有の心臓に悪いので止めてほしい。
「そもそも、お前は元々が痩せすぎていたんだ。身体もそれほど強い方ではないだろう」
「それは……、倒れられたら迷惑だろうから、気をつけるけど」
声を小さくしながら希有が言うと、目の前で彼は大きな溜息をついた。
「迷惑などという問題ではない。心配するだろう」
意外な言葉に驚き、希有は思わずシルヴィオをまじまじと見てしまった。
「……何故、そのような顔をする」
シルヴィオは、若干うろたえるように、軽く眉をひそめた。
「心配、してくれるの?」
「当たり前だろう。それ以上言うならば、怒るぞ」
「……、そっか、ありがと」
心配してくれると言った彼に、少し恥ずかしさを覚えながら礼を言うと、シルヴィオは額に手を当てた。そのまま彼は宙を仰ぎ、小さく息をつく。
「お前は、俺の扱いが上手いな」
「…………、どういう意味?」
「そのままだ。はぁ……、菓子は持っていないのだから、悪戯をするしかないな」
「それ、まだ言っているの。……地球の行事にシルヴィオが付き合う必要はまったくないから、悪戯をする必要はないよ」
「それでは、俺がつまらないだろう」
言い切った彼に、希有は頬を引きつらせた。
「まあ、生憎と、俺には何をすればお前が嫌がるのかが分からなくてな」
希有の両肩にシルヴィオの手が置かれる。思っていたよりも大きな手が肩に乗せられて、希有は首を傾げた。
次の瞬間、額に柔らかな何かが触れた。
それが彼の唇だと気付いた頃には、希有はわずかに口を開いて、呆然としてしまう。
「だから、好きなことをして、悪戯する」
「な、何をして……」
動揺のあまり、上手く舌がまわない。思わず彼の唇の触れた額に手を伸ばして、希有は顔を真っ赤に染め上げた。
この男は、こういった恥ずかしい仕草が様になるから、なおのこと、性質が悪いのだ。
「悪戯」
止めとばかりに包み込むように抱き込まれて、希有は赤い顔のままに頬を引きつらせた。
「放せ、……は、放して!」
「嫌がっていると言うことは、立派な悪戯だな。なるほど、楽しい行事だな」
意地の悪い声で囁かれ、心音が聞こえそうなほど近い距離に彼がいることに鼓動が逸る。
「……っ、はは、顔が真っ赤だ」
噴き出したように笑う彼に、希有は唇を噛んだ。
背中にまわされた腕は力強く、希有の力では抜け出せそうにはない。
――、頭の中でぐるぐると回るのは、彼が接触を好むように度々触れている理由だった。
それが決して単純な理由からではないことは、希有とて察している。
シルヴィオが育ってきた過去は、おそらくとても寂しいものだ。過去に彼に触れ、抱きしめてあげた人は、どれほどいたのだろうか。そのような人間など、ごく少数だったのだろう。
それ故に、彼は誰かに触れることを望んでいる。触れられなかった過去を、触れられる現在で取り返すように、シルヴィオは温もりに飢えているのだ。
彼の精神が妙なところで子どものようであるのも、また、彼自身の過去が強く影響しているのおかもしれない。
この抱擁に込められているのは、甘えたい幼子の衝動であろう。身体が大きくあろうとも、その心は多分に幼さをはらんでいる。
自分は、誰かに甘え続けていた人間であるから、シルヴィオのその気持ちが良く理解できた。
「……、Trick or treat」
希有は、観念して呟いた。
これくらいのことで彼の心が楽になれるならば、刺激される羞恥心は見ないふりをして、希有は喜んでそれを受け入れることにしよう。
望んだのは、出来得る限りの対等な関係。与えられるばかりではなく、与えることのできる心地よさなのだ。
「お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ」
彼の背中に、恐る恐る手をまわす。そのまま、彼が痛いと思うくらい強く抱きしめ返して爪を立てた。
悪戯などとは呼べない、稚拙な反撃だ。だが、これくらいはさせてもらわなければ、希有の気がすまない。
途端、シルヴィオは喉を震わせた。
「お前の悪戯は可愛いものだな、キユ」
少しだけ顔を上げると、美しい顔が目に映る。
唐突に、彼は物語の中の美しい吸血鬼さながらなのだと思った。人間よりも、そちらの方がよほど似合う。こんなにも美しい人に誘惑されれば、皆、喜んで血を差し出すに違いない。この美貌に惑わされない人など、おそらくいない。
希有だって、まったく心揺らされないわけではない。
悔しいので、シルヴィオには言うつもりはないが、彼の一挙一動や、たまに呟く、恥ずかしい言動に鼓動を早まらせることなど頻繁にあるのだ。
「なんだ、……もう、抵抗しないのか?」
動きを止めていた希有に、シルヴィオは不思議そうに訪ねてくる。
希有は苦笑いを浮かべる。
「今日だけ、特別。甘えん坊な誰かさんのために」
返事はない。
代わりに、縋りつくように、抱擁に力がこもった。
「今日は、……死者が還ってくる、らしいな」
シルヴィオの呟きを聞いて、希有は彼に視線を合わせる。抱き締めれているせいか、互いの吐息が感じられるほど顔が近く、その表情が良く見えた。
「還ってこないよ、還ってくるはずがない」
春の光を帯びた若草の瞳、美しく輝いているその瞳が、哀しげに揺れていた。
その弱さを見せてくれることが、少しだけ嬉しかった。
「……、神など、世界など、信じていない」
「うん」
「だが、少しだけ懐かしくなった」
今日は、ハロウィン。
死者が還ると聞いて、彼は決して還ることのない故人を偲んだのだろう。
「誰が?」
希有は、シルヴィオの何処まで踏み込んで良いのか分からないが、思い切って問いかけてみると、彼は目を伏せた。
「……、母親だ。死んだのは随分前の話で、こんな風に懐かしむことは、最近では、ほとんどなかった。だから、……」
まるで何かに追い立てられるかのように、彼は早口で言う。母親を懐かしむことさえも後ろめたいと言うように、その唇はわずかに震えていた。
「少しだけ、寂しくなって、ありもしない笑い声が聞こえるんだ。……、情けないな」
彼の言葉を否定するように、希有は首を振る。
何も言わずに、彼の背中にまわした手に力をこめると、弱々しい反応が返ってくる。
伝わる互いの体温に身体を預けて、ひたすらに夜が去るのを待とう。
「……、朝になれば、寂しさなんて、きっと分からなくなるから」
この夜が明けてしまえば、変わらぬ日々が流れ続けてシルヴィオの寂しさも日常の中に紛れてしまうだろう。
自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、希有は自嘲した。
――、人肌が恋しかったのは、シルヴィオだけではなく、希有もだったのかもしれない。
「眠れないなら、子守唄でも歌おうか?」
冗談を口にするように、できるだけ明るい声で言う。
「……もう、十分だ」
誰かが笑う声がするのは、きっと、この寂しさが感じさせた小夜の幻であろう。
死者が還ってくるなど、二人とも、信じてはいないのだ。
「悪戯も、菓子も、もうどうでもいい。だから、……今日は、このままでいさせてくれ」
「それじゃあ、ハロウィンと関係ないよ」
「構わない。……ただ、触れたかっただけだから」
子どものように正直な言葉に、希有は眉を下げた。
何か理由をつけて、やっと、恐る恐るに寄り添うことができる。それは、臆病である証拠なのかもしれない。
「今日だけ、だよ」
子守唄は歌わない、必要ないことを知った。
少しだけ懐かしくなって寂しくなったハロウィンの夜には、鼓動が感じられれば、それだけで十分なのだ。
優しく生を刻む音に耳を澄ませながら、希有はそっと目を閉じた。
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