――貴方に救われた命が、貴方を殺した。
どうか赦して。
貴方のためと口にしながら、自分のために誰かを憎む弱い私を。
幸福な世界を生きることが、そんなにも罪深いことだったのか。わたしには、穏やかな時間すらも赦されないと言うのか。
漸く手にした幸せが、掌から砂のように零れ落ちて行く。
ああ、翼が欲しい。
飛び立つための翼ではない。相手を殺すための鋼の翼が欲しい。
「……、テオ?」
青い血に濡れた、貴方の身体を強く抱き締めた。
わたしを抱きしめてくれていた温もりは消え失せ、心まで凍えさせるような冷たさだけが残る。瞑られた瞼の奥の紅い瞳を目にすることは、もう二度とない。
頬を撫でても、微笑んで応えてくれた貴方はもういない。
――優しい彼は、
永久に喪われてしまった。
今を生きていた彼の心は、決して元に戻りはしないのだ。
「テオ、テオっ……!」
永遠に近き時を手にしながら、たった一人の愛しい家族は、その命を散らした。止め処なく流れる涙を拭ってくれた柔らかな指先は、もう、わたしに触れてはくれない。
わたしを庇うように楯となった貴方の微笑みが、わたしの胸を穿つ。
「……仕方ない、だろう」
幼い頃、村で共に過ごした幼馴染の騎士が地面に膝を付いた。地に落ちた剣が、テオの血に濡れて青く光っている。
「俺は、君のために騎士となり剣をとった! 君を喰らった魔族を倒して、……っ、君の仇をとるために! ……、コレット」
うろたえる騎士の言葉は、ひどく矛盾をはらんでいた。彼の剣は、魔族であるテオにではなく、わたしに向けられていた。
「それに、そうだ。……飢えを
齎す魔族を殺さなくては、皆が苦しむ、だろう?」
「……っ、雨が降らないのも、土地が枯れるのも! 全部……、テオのせいなの?」
雨が降らなくなり、土地が枯れて、作物が実らなくなった。
数年前と同じ苦境に
喘いだ村人たちは、かつて生贄を捧げた森の主こそが、飢えを引き起こした犯人だと口々に呟いた。村の外れの森に住まう魔族は、人々の間では恐ろしい化物として囁かれていた。
「違うでしょう! 貴方たちの咎よ! テオのせいじゃない、この人にそんな力はなかったのにっ……!」
テオは、その力の弱さ故に、祖国から遠く離れたこの地の森に住まうようになった。人を喰らう妖花でありながら、何一つ害することなく、寂れた森で慎ましく暮らすことを選んだのだ。
彼は、穏やかな日々を何よりも尊いものとして、生きていた。
「わたしをテオに捧げた年、実りはあったのでしょう? 生贄を捧げたからだと皆は笑っていたのでしょう! 見なさい! わたしは生きている!」
まだ幼かった六年前の日。村人たちは、泣き叫ぶわたしを痛めつけて、森の奥に置き去りにした。
「生贄なんて関係ないのよっ……、全部、貴方たちの勝手な幻想じゃない。捧げられた贄に意味などないのに! テオを殺しても、実りを授かれるわけじゃないのにっ……!」
生贄として捧げられたわたしを、テオは手厚く保護してくれた。
殴られた傷を治療し、温かな食事を与えてくれた。悪夢に苛まれるわたしを抱きしめて夜を明かしてくれた。大丈夫だと、何度も優しく囁いてくれた。
魔性と称される紅の瞳は、その実、誰よりも優しかった。
ここにいても良い、と。わたしが寂しくないように、わたしが死ぬまで傍にいてあげる、と言ってくれた。
親を失くしたわたしに、村人たちが決して与えてくれなかった愛情を、テオは注いでくれたのだ。
「返して……、わたしの家族を返してよ!」
「コレットっ……! 俺は、君の、ために」
「貴方なんて、知らないっ……!」
人々に踊らされるがままに、騎士はテオを殺した。与えられた甘言を鵜呑みにして、英雄になったつもりで誇らしげに立っているのだ。
その力でわたしから全てを奪い、さぞ愉快だったのだろう。何度、わたしを傷つければ気が済むというのだ。
「わたしには、テオしかいなかったのに、……どうして、奪うの? 貴方は、わたしのことを助けてくれなかったじゃない!」
親を亡くして都合が良いと、村人たちは嗤った。生贄されるわたしを、目の前の幼馴染は助けてくれなかった。
「信じていたのに、わたしのこと村の人たちと一緒に殴ったじゃない」
それどころか、村人と一緒になって彼は拳を振り上げた。助けを求めるわたしのことなど見ないふりをして、彼は背を向けた。
「赦さないわ」
優しく気高い、テオ。
人間のわたしを家族にしてくれた、たった一人の愛しい人。
頬を滑り落ちる涙は、テオを悼むものではない。どれほどの時が経とうとも、貴方を愛し続け、貴方を奪った同族を恨み続けるための決意なのだ。
「……、人間は滅ぶべきよ。テオ」
奪うことでしか生きられないならば、人間など滅ぶべきだ。
己の咎を背負うこともできず、他者から奪い続けるだけならば、人以上に愚かな存在はない。
紅月《あかつき》に照らされた空を、鋼の翼を躍らせて竜が舞う。
大粒の涙を流して、わたしは嗤った。
本当に欲しかったのは、貴方を守るための翼だった。
貴方と共に在ることが、――わたしの幸せだったのに。
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