ラヴィニアのおいしい魔法

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  03  

 執務室にいるリエトは、気だるげに長椅子に腰かけていた。朝は調子が悪い日も多いので、おそらく今日も体調が芳しくないのだろう。
「これは、どういうことかな?」
 リエトは困ったような眼差しをラヴィニアに向けた。彼の前にあるテーブルには、二つの皿が並べられている。
「選んでほしいの」
 ラヴィニアの言葉を補足するよう、隣にいるディアナが口を開く。
「どちらかが私が作ったもので、どちらかがこの獣の作ったものです。盛りつけは護衛の獣に頼んだので、見た目では区別がつきません。――食べて選んでくださいませ、おいしい方を。そして、選んだ方を料理人として離宮に置いてください」
 赤い皿と青い皿に、同じ盛り付けで同じ料理が載せられている。リエトに食べてもらい、彼が選んだ料理をつくった人間が、離宮の厨房を使うことになる。
「なるほど。よく考えているね。私がラヴィを贔屓ひいきしないための策かな? あなたは、ずいぶん魔獣が嫌いなようだ」
「殿下も御存知でしょう。故郷である伯爵領の雪害が、魔獣の引き起こしたものであったことを。季節外れの雪にも限度があります、あれは真夏だったのですから」
 ラヴィニアは納得してしまった。
 人が魔獣を狩るように、魔獣もまた人を害するときがある。雪害が魔獣の仕業ならば、ディアナの当たりの強さや、彼女が魔獣を憎むのも無理はない。
「ラヴィには関係のないことだけれどね。……まあ、良いよ。こんなことであなたが穏便に引き下がってくれるなら」
 ラヴィニアは申し訳なさでうつむく。本当ならば、リエトにこのような真似をさせず、上手にディアナを説得するべきだった。
 挑発に乗って安易に勝負を受けたのは、ラヴィニアの失態だ。
「リエト。毒見はバルトロがしたから」
「私が料理に毒を盛るとでも?」
 ディアナは眉を吊り上げるが、それだけは譲れないことだ。
「ラヴィ、ありがと。それじゃあ、選ばせてもらおうかな」
 ラヴィニアはうつむいて、祈るように胸元に手を当てる。ディアナは最初から勝負にならないと確信しているのか、わずかばかりも不安に思っていないようだった。
 ディアナが勝負のために選んだのは、意外なことに一般的な家庭料理だった。
野菜をたっぷり煮込むそれは、決まったレシピがあるというより、親から子へと代々受け継がれてくる味だ。ディアナのような貴族には馴染みがないはずなのだが、彼女は実に手際よく作っていた。
 ラヴィニアには厳しい少女だったが、得意の異国料理を持ち出さないあたり、勝負事には真剣なのだ。
 リエトはゆっくりと咀嚼する。片方の皿を一口ずつ食べて、それから指を差した。
 ――リエトが選んだのは、ラヴィニアが作った料理の載せられた皿だった。
「そん、な」
 ディアナが唇を震わせて、ラヴィニアを睨んだ。
「な、なに」
「あなた、まさか何か細工をしたの? 同じ獣同士で共謀して、あの護衛の獣に何かさせたのでしょう!」
「それはないよ。ラヴィはそういうことができるほど賢くないから。バルトロも無粋な真似はしない」
「ならば、何故! 私の方が、ずっと腕が良いはずなのに! だって、あんな不味いアマレッティを作るような獣ですよ!?」
 リエトは困ったように眉を下げて、ゆっくりと唇を開いた。
「愛の力、なんて言えたら恰好がついたのかもしれないけれど……。単純な話だよ。こちらの方が味付けが雑だったから。ラヴィは味覚がないから細やかな味の調整はできないし、基本的に私に合わせて濃い味になる」
 ディアナは眉をひそめた。
「なおさら納得がいきません! 味付けが雑なんて言うのならば、リエト様は私の料理が優れていると御認めになっているのでしょう? おいしい料理を選ぶなら、私の勝ちです。お約束と違えていませんか」
 声を荒げるディアナの目は潤んでいる。
 伯爵令嬢として型破りな彼女は、幼い頃に家を飛び出して料理の道を志した。彼女にとって、料理とは自らの根幹を支える誇りそのものだ。
 魔獣であるラヴィニアに負けるなど、あってはならないことだった。
「違えてなどいない、私はおいしい方を選んだよ。……あなたは知らないのだろうけど、私の身体は少し訳ありでね」
「リエト!」
 制止するラヴィニアを、彼は鋭い視線で制した。
「子どもの頃、魔獣の毒を盛られたんだ」
 ディアナが息を呑む音が、静かな部屋に響いた。
 ――魔獣は、人にはない特性を持つ。
 高位の魔獣のなかには、特殊な毒を持つ種も存在する。リエトに盛られた毒は、そんな魔獣の体液から精製されたものだった。
「私の身体には、その毒のせいで多くの後遺症が残っている。毒というより、治る見込みのない呪いだ。……味覚も、細かい味を判別できるほど機能を残していない。よほど濃い味じゃないと分からない」
 ラヴィニアは痛みを堪えるよう、うつむいた。
 リエトが毒を盛られたのは十二のときだった。その魔獣の毒は、少し含んだだけで危篤状態になるほどの猛毒であり、リエトの身体のあらゆる機能に爪跡を残した。
 リエトの言うとおり、呪いとでも呼ぶべきなのかもしれない。どれほど力を尽くしても、人の力では治せない。
 使われた毒の持ち主だった魔獣の影さえ掴めず、リエトたちは泣き寝入りするしかなかった。
 リエトが長子でありながら王とならず、実弟の補佐となったことも、その毒が原因だ。
 彼は子孫を遺すことさえ叶わない。病知らずの元気な少年だった彼は、儘ならない身体に苦しみながら今日を生きている。
 ディアナは突然の告白に動揺を露わにしていた。リエトが王位を継がなかった背景に、まさか毒を盛られた過去があったとは思わなかったのだろう。
 しかし、狼狽えながらも、彼女は引き下がらなかった。
「やはり、納得いきません。それなら、あなた様に合わせた味付けに変えて、この獣よりおいしいものを作ります」
 ディアナはなおも自らの価値を訴える。しかし、リエトは首を縦には振らなかった。
「だめだよ。そういうことではないんだ。私がラヴィの料理をおいしいと思うのはね、作るのがラヴィだからだ」
「……っ、そんなの。おいしさなんて分からない魔獣の料理が、どうして!」
「ラヴィだけは私を裏切らない。だから、私にとって一番おいしい料理は、彼女が作ったものに他ならない」
 リエトはそっとラヴィニアの肩を抱き寄せた。彼の手が震えていることに気づいて、目の奥が熱くなった。
「リエト。大丈夫だよ」
この人は、いまだにあの毒の恐怖を克服できずにいる。
 時折、ラヴィニアは思う。
彼の意識は、まだ暗く深い闇をさまよっているのではないか、と。生と死の狭間で、心を擦り切らせながら泣いているのだ。
「一度でも殺されかけると周りを信頼できなくなる。私はいつも誰かを疑うしかない、この命を脅かす誰かを」
 天真爛漫てんしんらんまんで人懐こかった少年の面影は何処にもない。ここにいるのは、仮面のような笑みを張りつけた悲しい男だった。
 あのときから、リエトはラヴィニアだけを信じている。裏を返せば、それ以外を敵になるかもしれない他者として疑っている。
 家族の情を傾ける弟ですら、おそらく心の底から信じてはいない。
 だからこそ、ラヴィニアは、はじめて彼に料理を作った日に決めた。生きることを諦めて、頑なに食べ物を拒んでいた彼が、ラヴィニアの料理だけは食べてくれたから――。
 何があろうともリエトを裏切らないと誓って、彼と契約を交わした。この命を懸けて、彼に寄り添う覚悟を決めた。
 ――ずっと傍にいるから、生きて。
 そんな風にすがって、彼を生かしたのだ。
 死なせてやることが優しさだ、と責められたことがある。毒に苦しみ続ける人生よりも、安らかな死を選ばせるべきだったと諭されたこともある。
 それでも、ラヴィニアはリエトを諦められなくて、無理やりその命を繋ぎ留めた。
「……はじめから、勝負にすらならなかったということですね」
 そうして、離宮に来た料理人は、当初の予定どおり王宮仕えの名誉を得る。リエトの離宮には、以前と同じ日々が流れはじめた。



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