太陽と灰
05
式典の会場となったのは、華やかな舞踏場だった。
今夜の主役であるライナスは、壁際に立って、声をかけてくる者たちを適当にあしらっていた。いつも張りつけていた笑みさえ、今日は上手く作ることができず、参加者たちは不思議そうに首を傾げる。
自分の成人を祝す式典だが、少しも嬉しくなかった。
「一人か? ライナス」
「母上」
黒いドレス姿の女王は、嬉しそうにグラスを差し出してきた。乱暴に受け取って飲み干すと、酒気に喉が焼かれるようだった。
「珍しい。だが、自棄酒はほどほどにしておけよ。これから大事な場面も控えている」
「……分かっていますよ」
「賭けは私の勝ちのようだな」
ライナスは曖昧な笑みを浮かべる。この式典が終わりを迎えるまでに、イーディスがライナスのもとに来なければ、ライナスは賭けに負ける。
おそらく、彼女はライナスの元へは来ない。一度こじれた関係を修復することは、ライナスには無理だったのだ。
「まだ、時間ではありませんよ」
しかし、ライナスは淡い期待を捨てられない。我ながら諦めが悪いことだが、それほどまでに好きなのだから仕方がない。
幼い頃から女王の寵を受けていたライナスは、好き勝手振る舞うことを赦されて、すべて与えられてきた。だが、与えられるものすべてが灰色にしか見えず、心揺さぶられるほど強く望むものはなかった。
ライナスの心は、いつも空虚を抱えており、満たされることはなかった。それを寂しさだとも知らなかった。
そうして、きまぐれで入学した王立学院で、ライナスはイーディスと出逢った。欠けた何かを補うように、満たしてくれるように、彼女はライナスを幸福にした。
何もかも興味がなくて、世界を見下していた少年の心に触れてくれたのは、イーディスだけだった。それは彼女の幼さが生んだ偶然だったのかもしれないが、それでもライナスは嬉しかった。
生まれて初めて、誰かを強く望んだ。灰色の世界で、唯一の色を持った鮮やかな灼熱。心を焦がさずにはいられなかった、ライナスの心を焼けつかせる真っ赤な太陽。
ただ、幸せに生きてほしかった。できることならば、傍にいてほしかった。
「お前らしくない、負けを前提にしたような賭けだったな。だからこそ、お前の我儘を聞き入れたのだが」
「感謝しています」
イーディスを傍に置きたいという、ライナスの我儘。女王が聞き入れるには度が過ぎた願いだったが、彼女は賭けという形で応じてくれた。
「初めから賭けに勝つ気などなく、ただ、あの子に会いたかっただけか」
「負けるつもりは、ありませんでしたよ」
「嘘をつくな。あの子が、今さらお前の隣に戻るとは思っていなかったのだろう? あと数年も生きられぬかもしれないあの子に、お前を選べと言うのは酷(こく)だよ。……ああ、可哀そうなライナス。灰の民になどたぶらかされて、この二年、灰化を阻止する研究までして」
女王は意地悪くささやいた。
「ご存知でしたか」
「息子の愚かしい行動くらい、母親として知っていて当然だ。――灰の民は、生きながら魔力を喪失していくから希少なのだ。灰化を阻止するための研究など、国の不利益にしかならないと分かっているだろうに」
灰の民は、生きながらに灰化を起こすからこそ、この国で唯一、薬を精製できる。彼らは国に利益をもたらす道具だ。女王は、そのようにしかイーディスを見ることができない。必要なのはイーディスの心ではなく、道具としての価値だ。
「結果は、出なかったのだろう?」
ライナスは頷く。結局、ライナスはイーディスを灰化から救う術を手にできなかった。むしろ、研究を進めたことで、彼女を救う手立てなど存在しないことを突き付けられた。
彼女の身体ごと取り換えでもしない限り、灰化は止まらない。そして、それを行えるだけの技術は、今の時代にはない。その技術が完成したとしても、数百年も後の話だろう。
「ライナス。私は頭の良いお前を気に入っているし、特別愛している。あの男が私に遺してくれた、大切な忘れ形見だからな」
ライナスの他にも息子を持つ身でありながら、女王はライナスを特別に可愛がる。それは、ライナスの父親が彼女の愛した男であるからだろう。
灰の民を傍に置いてほしくないという親心も、理解はしていた。
「イーディス・ティセ・ディオルは諦めろ」
ライナスは目を伏せた。
この恋は、決して祝福されるものではない。ライナスが歩んでいく未来で、イーディスの存在は汚点になる、と周囲は思うだろう。ほんの短い時間しか共に在れないイーディスのために、人生を棒に振っているかのように見えるはずだ。
それでも、彼女を望んだのは自分だ。遠くない未来に別れが訪れるとしても、傍で笑っていてほしいと願った想いは、何物にも代えがたいライナスの真実。
「未来のないあの子は、王となるお前に相応しくない」
たとえ、女王が己を王に推すつもりであろうとも、それはライナスの望みではない。
「贔屓(ひいき)も度が過ぎれば、反感を買いますよ。次の王は、兄上たちからお選びになるべきです」
「愛した男の息子に跡を継がせたいと思うのは、母として当然のことだろう? お前の兄たちも可愛い息子だが、あの子たちは、私が欲しかった血を継いでない」
「ガレン国の女王は、後継者選びに私情を挟むのですか」
「恋情に浮かされ、母親に女をねだる息子よりは良いと思うがな。お前の未来は私が選ぶ。それが、お前が負けた時の約束だろう」
女王は片手をあげる。ライナスは苦笑して、その手をとった。
◇◆◇◆◇
イーディスは走る。お仕着せのドレスの裾をあげて、舞踏場へと向かう。後ろでスタンが何か言っていたが、もう耳には入らなかった。
ただ、ライナスの傍に行きたかった。
舞踏場へと続く門には、警護のための騎士たちが連なっている。明らかに灰の民と分かる風貌のイーディスを、彼らは静かに睨みつけた。
「通して」
騎士の一人が、剣を引き抜く。だが、イーディスは足を止めなかった。怯える様子もなく近づいてくるイーディスに、痺れを切らした騎士が剣を振り上げる。
「誰も通すな、とお達しです。特に、灰の民、あなただけは」
イーディスの首筋に剣を突きつけて、騎士は苦々しく零した。
「止めろ」
騎士の剣を弾いたのは、イーディスの背後から伸びた剣だった。まだ鞘に入れられたままであるため、刀身は出ていない。
「スタン?」
「バカなのか? お前ひとりでライナスの元に辿りつけるはずがないだろう。通してくれ。ライナス様の望みだ」
スタンがライナスの護衛であることを知っているのか、騎士たちは困惑したように顔を見合わせる。
「しかし! 陛下は、舞踏場に誰も通すな、と」
「……わかった。俺たちは引き返そう」
騎士たちは安堵したように、剣を下ろした。顔見知りと争いたいわけではなかったのだろう。
だが、スタンの方は別だった。
「悪いな。俺は女王よりライナスが大事なんだ」
油断した騎士たちに向かって、スタンは容赦なく剣を振るった。鞘に仕舞われたままとはいえ、大の男が振るえば、それなりの威力になる。
「ありがとう!」
スタンの行動に背中を押されて、イーディスは走りだした。騎士たちの手をすり抜けて、舞踏場へと飛び込む。
突然、開け放たれた扉に、舞踏場にいた貴族たちが目を丸くする。
舞踏場の中心に、まばゆい金色を見つけた。ライナスは片膝をついて、黒いドレスを着た女王に首を垂れている。
イーディスは走った。騒然とする会場の音も、寄せられる視線も気にならなかった。まなざしの先にはライナスしかいなかった。
イーディスはずっと目を閉じて、耳を塞いでいた。そうすることで、臆病な心を守ろうとしていた。だが、見えなくても、聞こえなくても――あたたかな陽の光を、いつだって感じていたはずだ。
「ライナス!」
太陽は、いつだってイーディスの心にあった。ずっと照らし続けてくれていたのに、気付かないふりをしていた。
この身のすべてから溢れ出す想いのままに、イーディスは声を張りあげた。
「何処にも行かないで、傍にいて!」
床に片膝をついていたライナスに向かって、イーディスは勢い良く抱きついた。彼の背に腕をまわして強く力を込める。
何もかも諦めようと思っていた。だが、この人だけは諦めたくない。
「イーディス?」
堪えていた涙を目に溜めて、イーディスは彼を見上げた。
「私の未来は限られている。だけど、一緒が良いの。笑ってほしいと願ってくれるなら、……あなたが私を笑顔にして、ライナス」
それこそが、イーディスの幸せだ。
彼の手がためらうように、ゆっくりとイーディスの背に回された。望み続けた人が、イーディスに応えてくれている。彼の胸に顔を埋めて、イーディスは大粒の涙を零した。
「母上。賭けは、僕の勝ちですね」
女王が、大きな溜息をつく。その手には、普段は頭に飾られた王冠があった。それだけで、イーディスは今から何が行われようとしていたのか理解する。
長く玉座にあった女性は、この場で次の王を決めるつもりだったのだ。
「ライナス。お前は、きっと不幸になるよ。いつか灰の民を選んだことを後悔する」
「いいえ。僕は幸せになります」
ライナスの声が、力強く舞踏場に響いた。
「親不孝者が。お前のような息子は、私から願い下げだ」
「申し訳ございません。今まで愛し育ててくださったこと、感謝しています」
「ライナス・レト・エレン・シルファ・ガレン」
女王は厳かな声で、自らの息子であり、この国の第五王子である青年を呼ぶ。はりつめたような空気が流れて、静寂があたりを満たした。
「貴殿から、王位継承権をはく奪する。――以後、臣下として国に力を添えよ」
女王の宣言に、その場にいた誰もが言葉を失った。
「拝命、承りました。女王陛下」
ライナスはイーディスを抱きあげて、嬉しそうに笑った。
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