花の魔女は二度燃える
序幕
あなたを地獄に突き落したこと。
それが、わたしの犯した罪だった。
◆◇◆◇◆
春風には、甘い花の香がよく似合う。
五歳になったばかりのカグヤは、全身から色とりどりの花を咲かせていた。
波打つ黒髪から赤い雛罌粟が散って、瞬きをするほど涙の代わりに白いカスミ草が零れる。指先から咲き初めたのは、冴え冴えとした勿忘草だった。
あっという間に溢れた花々は、小さなカグヤを覆ってゆく。
「カグヤ」
芝生に寝転んでいた少年が、座り込んでいたカグヤに手を伸ばす。じゃれるように、甘えるように、彼はカグヤの膝に頭を預ける。
「イヴ様?」
指先から、掌から零れた花を、そっと彼の唇に押しつける。赤い舌に触れた途端、花は融けて、彼を生かすための糧となった。
可哀そうな男の子。魔女がいないと、この呪われた王子は死んでしまう。
十歳も年上の少年を、ずっとカグヤは憐れんでいた。
だって、前世の自分――人間だったときのカグヤは、ちょうど彼と同い年くらいの中学生だった。朧気ではあるものの、両親や兄たちに守られていた幸福な記憶もある。
だが、イヴには、本当の意味で守ってくれる人はいない。
彼は生まれたときから呪われて、疎まれて、大勢の人から死を願われている。身も心もすり減らして、空っぽになってしまった彼が、可哀そうで堪らなかった。
「死んでしまいたい」
「ダメですよ、死んだら。大人になったら、お嫁さんにしてくれるって約束ですから」
もちろん、本気ではなかった。だが、幼い少女が駄々を捏ねるような、そんな約束で、彼を此の世に繋ぎ止めたかった。
今にも死んでしまう、自分の命など簡単に捨ててしまう彼には、未来を生きるための約束が必要だ。
「お前が大人になったとき、俺はいくつだ?」
「いくつになっても、きっとイヴ様は格好良い王子様ですよ」
イヴは珍しく、顔をくしゃくしゃにした。まなじりに涙はなくとも、彼が泣いているのだと思った。
敬虔な信徒が女神に祈りを捧ぐように、彼はそっと目を伏せる。
「いつか、俺の花嫁になってほしい。必ず迎えに来るから、誰のものにもならないでくれ」
迎えになど、来てくれなくて良かった。
魔女に呪(のろ)われた彼を、魔女である自分が幸せにできるはずがない。ただ、未来の約束をすることで、彼の生きる道を、ほんの少しでも助けてあげたかった。
空っぽで可哀そうな男の子を、生かしてあげたかった。
それは十年も前、二人が出逢ったときの話。
いまならば分かる。カグヤがイヴにしたことは最低な仕打ちだった。
子どもが捨て犬を拾って、中途半端に情をかけて放り出すような、そんな残酷な行為だった、と。
荘厳な佇まいの聖堂は、赤い炎に包まれていた。
不思議と、壁も女神像も、祭壇も燃えることがないのは、これが呪いの炎であるからだ。
たった一人の王子を殺すために、放たれたものだからだった。
カグヤの身体の下で、美しい王子が微笑んでいる。乱暴に祭壇に押し倒したところで、彼は少しも痛がらない。むしろ嬉しそうに笑うのだ。
「カグヤ」
十年前に出逢った王子は、十年経った今も、あの頃と変わらない声で名を呼んでくれる。愛しくて、可愛くて堪らない、と言外に語るように。
「俺の可愛い、花の魔女。いまも愛してくれるなら、どうか俺を殺してくれ」
あのとき十五歳だった少年は美しい男となって、カグヤに懇願する。緑のまなざしに射貫かれて、カグヤはその首に手をかけた。
「イヴ様」
カグヤの瞳から、白い花弁と一緒に涙が溢れた。
この人を地獄に突き落したことが、きっとカグヤの犯した罪だった。
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