farCe*Clown

第一幕 鮮やかな嘘をつく道化師 31

 ミリセントに案内された場所には、見覚えのある扉があった。彼女は部屋の中まで入れないため、後で迎えに来ると言い残して去って行った。
 小さく息をついて扉を開けると、大広間が広がっていた。
 ――あの日、カルロスが不遜に座っていた玉座が、一番目立つ場所に置かれている。
 あらかじめ教えられていた自分の席に向かう間に、明らかな奇異の目が寄せられる。黒髪も黒い目も、この国では珍しい。仕方ないことだと思いつつも、視線が堪らず、ミリセントの元に戻りたくなった。
 教えられた席は、一番右端にあった。玉座の良く見える席だ、シルヴィオが用意してくれたのだろうか。
 始まるまでに、少し時間があるようだ。
 希有がそれとなく隣を見ると、赤毛の少年が眠たげに小さな欠伸をしていた。これから戴冠式が行われると言うのに、随分と不真面目な態度だ。
 彼は希有の視線に気づき、わずかに微笑む。
 リアノ人であるため背はそれなりに高そうだが、見るからに若く、幼さの残る顔つきをしている。年の頃は、希有よりも、一つ、二つは年下と言ったところだろう。
 まさか、彼のような少年が戴冠式に出席しているとは考えてもいなかったため、少し驚いた。
 少年は、未だに眠いのか目を瞬かせている。周囲を見渡すと、他の参加者も、少年と同様、どこかやる気のない表情をしていた。それは、王の戴冠式にはそぐわない態度だ。密やかに交わされる会話も、彼らの表情を見る限りでは、あまり良いものとは言えないようだった。
 やはり、シルヴィオの立場は、あまり良くないらしい。
 暫くして、重い扉が開かれた。
 途端に、辺りは静寂に包まれる。
 緊張した空気を肌で感じながら、希有は背筋を伸ばした。
「……、ベアトリス様だ」「相変わらず、お美しい」
 誰かの呟きを拾って、希有は部屋の中央に目を遣った。
 茶の髪を結い上げた、紫のドレスの女性が歩いている。それなりに歳を感じさせるものの、美しいと賛するべき女性だ。
 王族特有の銀の瞳を細めて、ベアトリス・ローディアスは玉座の前で足を止めた。
 それに続くようにして、桜色の髪をなびかせた青年が現れる。
 一同が息を呑む中、美貌の王は歩を進める。向けられる厭な視線をものともしない凛とした態度で、その視線の先には玉座があった。
 シルヴィオは、ベアトリスの前で膝をつく。
 ベアトリスは、黙したまま小さな王冠をシルヴィオの頭の上に被せた。
 誰もが見つめる中、シルヴィオは静かに立ち上がり微笑んだ。周囲の雰囲気が、ほんの少しだけ柔らかになる。
「新しき王に、どうか祝福を」
 ローディアス公爵家に降嫁した元王女、ベアトリス・ローディアスの言葉に、皆が気まずげに顔を見合せながらも拍手を贈る。
 それは決して大きなものではなかったが、シルヴィオの顔は晴れやかだった。
「リアノのために、尽くしなさい。――シルヴィオ・リアノ」
「この身が朽ちるまで、リアノのために在りましょう」
 シルヴィオの誓いを最後に、慎ましやかな戴冠式は幕を閉じた。
 視線の先で微笑む人は、本当はとても遠い人なのだ。当然の事実を思い知って、希有は自嘲した。


               ☆★☆★               


 戴冠式が終わってからも話しかけてくる人間はいなかったが、品定めするような視線が居心地が悪くて仕方なかった。
 部屋に人がいなくなったのを確認して、希有は立ち上がる。流石に、未だに廊下に残っている人間はいないだろう。
 扉を開けて廊下に出ると、聞きなれた声が耳に入った。
「キユ」
 正装に身を包んだシルヴィオが、少し離れた場所に佇んでいた。まるで絵画から抜け出して来たような美しい姿に、希有は一瞬息を呑む。
「シルヴィオ。……ミリセントは?」
 ゆっくりとした足取りで近寄ってくる彼に、希有は首を傾げる。予定では、ミリセントが迎えに来てくれるはずだった。
「ミリセントには先に戻ってもらった。せっかくだから、少し散歩をしていかないか?」
 それは、外に出られない希有を慮っての提案だった。シルヴィオの気遣いに頷いて、彼の元へ歩こうとした瞬間だった。
 足元の段差に気づくことができず、希有はつまずく。
「キユ!」
 着なれない服では上手く身体の均衡を保てず、希有の身体は床に吸い込まれるようにして倒れていった。
 咄嗟に、シルヴィオが叫んで手を伸ばした。

「大丈夫?」

 だが、転びそうになった希有の身体を支えたのは、シルヴィオではない少年だった。
 立派な衣装に身を包み、水銀を溶かしこんだような銀の瞳を細めて、少年は希有を見た。
 少年の燃えるような赤い髪が、痛烈なまでに網膜に焼きつく。
 この色を目にするのは、二人目になる。一人目は、シルヴィオのロケットペンダントの中で笑っていた少女。二人目は、この少年――戴冠式の際に隣の席に座り、欠伸をしていた彼だ。
「足元には気をつけて。せっかく可愛い格好をしているのに、転んだりしたら台無しだよ」
「あ、ありがとう、……ございます」
 戸惑いながら礼を言って、希有はシルヴィオを見る。
 中途半端に伸ばした手をそのままにして、シルヴィオは苦々しげに少年の名を呟いた。
「……、アルバート」
 希有の身体を支えたままに、アルバートは悪戯な笑みを浮かべる。
「お久しぶりです。シルヴィオ・リアノ様?」
 明らかな揶揄を含んだ声音だ。
 シルヴィオは何も言わずに、アルバートを睨みつけた。
「怖い、怖い。そんな目で睨まないでよ、長い付き合いでしょ」
 肩を竦めたアルバートは、希有の肩に手をまわし、耳元に唇を寄せた。
「君も大変だね、こんな男の傍にいるなんて」
「……っ、アルバート!」
 怒鳴りつけたシルヴィオに、アルバートは嗤う。
「挨拶くらいで怒らないでよ、心の狭い奴だな。そんなに大切なら、今度こそ・・・・、誰にも見られない場所に仕舞っておけばいいのに」
「……黙れ」
「冗談だよ、真に受けるなよ。僕とお前の仲でしょ」
 顔の前で手を振って、アルバートは喉を震わした。シルヴィオの眉間に、深い皺が寄せられる。
 ここまで怒りを露わにするシルヴィオも珍しい。それほどまでに、アルバートが嫌いなのだろうか。
 状況の分からない希有は、黙って二人の遣り取りを見るしかなかった。
「ごめん、ごめん」
 立ち込める重い雰囲気を打ち破ったのは、アルバートだった。
「僕が悪かったよ。赦してね? 僕って、まだ子どもだから」
 幼さを楯にするように、アルバートは飄々ひょうひょうとした態度で逃げていく。シルヴィオの顔は、相変わらず険しいままだったが、彼は小さな溜息を零して呟いた。
「……、戴冠式はとっくに終わっている。さっさと、仕事場に戻ったらどうだ」
「残念ながら、仕事は休暇中だよ。それより、一応、今日の僕は客人なんだけど。そんな態度で接して良いの?」
「何故、ルディではなく末子のお前が来た」
 アルバートの質問に答えることなく、シルヴィオは苛立たしげに問うた。
「兄様はどうしても外せない用事があって、代理として来るべきだった姉様は仮病で療養中。だから、僕が来たんだ。お前が僕じゃ不満なのは分かるけど、傷つくなぁ」
 眉間の皺を深めたシルヴィオに、アルバートは両手を上げる。
「本当に、嫌そうな顔をするね。まったく、憎たらしい」
 不敬罪で罰せられても不思議ではない言い草だった。
「まあ、別に僕はお前を怒らせに来たわけじゃないからね。――即位おめでとう、シルヴィオ」
 アルバートは大した感懐かんかいもなさそうに呟いて、希有の身体を放した。いきなり解放されて希有がよろめくと、アルバートは希有にだけ聞こえる声で囁いた。
またね・・・、キユ・ファラジア」
 踵を返したアルバートに、希有は無意識のうちにシルヴィオの元まで駆け寄る。アルバートの後ろ姿を見つめてから、シルヴィオは疲れたように片手で顔を覆った。
 よほど、会いたくなかった相手らしい。
「誰なの?」
「……気にするな。キユには関係のない奴だ」
 知られたくないという意味なのか、それとも、この先会う機会などないと言っているのか。
 黙ってシルヴィオを見上げると、彼は困ったように苦笑した。
「すまない」
 シルヴィオとアルバートは良好な仲とは呼べない関係なのだろう。だが、そのような顔をされては、問い質すこともできない。
「別に、謝らなくていい。……話したくないことなら、話さなくていいよ。全部打ち明けろなんて言わないし、わたしたちはそんな親しい関係じゃない」
 親しいから、傍に置いてもらっているわけではない。
 親愛の情でも、恋情でもない。玩具に対するような愛着で、ただ、シルヴィオの傍に置いてもらっているだけだ。
 彼は紛れもない王で、希有とは遠い場所に立っている。そのことを忘れてはならない。
 希有の頭にシルヴィオは手を置いた。
「……なに?」
「お前はいつも本心を隠す。俺は、それが心配なんだ」
 寂しげな表情で、シルヴィオは言った。希有などのために、そのような顔をしないでほしい。
「先ほども言ったが、辛いことは辛いと、苦しいことは苦しいと言え」
 辛いことも苦しいことも、打ち明けて良いと彼は言ってくれる。それは、希有にとって、ありのままでいて良いと言われることと同義だと、気づいているだろうか。
 甘やかされれば、希有はつけ上がってしまうことを、シルヴィオは知っているはずだ。それなのに、何故、慈しむような言葉をかけ続けるのだろう。
「それを受け止められないほど、俺は小さくない」
 笑ったシルヴィオに、釣られるようにして希有はわずかに口元を綻ばせた。
 何一つ苦しみのない生活を送らせてもらっているというのに、胸が締め付けられるような切なさがあった。
 希有の歩んできた道は、シルヴィオが思うほど綺麗ではないから、すべてを彼に打ち明けることはできない。
 だが、彼の気遣いが嬉しくなってしまうのだ。
 そして、嬉しく思うたびに、また一つ怖くなる。
「……、ありがと」
 胸中を複雑にしながら、希有がシルヴィオに礼を述べた瞬間だった。

「シルヴィオ」

 高圧的な声が、辺りに響き渡る。
 反射的に振り返ると、紫のドレスを身に纏った女性が立っていた。長い茶髪を結い上げた彼女の銀の瞳には、シルヴィオと希有が映し出されていた。
 少しだけ皺枯れた声には歳を感じずにはいられなかったが、その洗練された佇まいは、見る者を萎縮いしゅくさせるような鋭さを持っている。
 老いたからこその美しさをもつ女性は、シルヴィオの名を呼んだ。
「姉上」
 シルヴィオは、女性に向かって頭を下げた。シルヴィオにならうように、希有も慌てて礼をする。
 シルヴィオに王冠を乗せた、女性。
 ――、ベアトリス・ローディアス。
 ローディアス公爵家に降嫁した、先王唯一の王女だ。
「この度は、このような機会を設けていただき、ありがとうございます」
「礼など、必要ありません。当然のことをしたまでです」
「そのようなことを仰らないでください。本当に、感謝しています」
 つらつらと謝辞を述べるシルヴィオを横目で見ながら、希有は違和を感じた。
 シルヴィオが何を考えているのか分からないのは、いつものことだ。だが、今はいつにも増して、彼の考えていることが不透明だった。
 顔は微笑んでいるというのに、目は全く笑っていない。
 シルヴィオから姉について聞いたことはなかったが、不仲だからだったのだろうか。
 そうであるならば、シルヴィオにとって、育てられたローディアス公爵家は、安息の地ではなかったのかもしれない。
「そちらが、キユ・ファラジアですか」
 考えにふけっていた希有を、ベアトリスが品定めするように見た。
 その視線に居心地の悪さを感じながらも、希有は何とか愛想笑いを浮かべる。
「ええ。キユ、挨拶を」
 そうして、シルヴィオに言われるがままに挨拶をする。
「……キユ・ファ、ラジアです。お初にお目にかかります、ベアトリス様」
 ミリセントから習った作法を必死に思い出したが、上手く挨拶ができたかまでは分からない。それをフォローするかのように、シルヴィオは、彼が捏造した希有の略歴を述べ始めた。
「ご気分を害されたのであれば、申し訳ございません。キユは、東の小さな村で育ったものですから。なにぶん、こちらのことに関してはほとんど無知に近い状態でして」
 シルヴィオが希有を保護する際に、まず決めたのは希有の素性についてだ。 二十年ほど前に滅んだファラジアの血を継ぐ少女。
 滅んだ当時は生まれておらず、父母は二十年ほど前のファラジアが滅びた事件の生き残りだったが、希有が幼い頃に流行り病で死亡。ファラジアの血を引きながら、希有は一切の己の素性を知らずに過ごしたことになっている。
 捏造ねつぞうはなはだしいが、何一つこの世界での過去がない希有には必要なことだった。
 異界から来たことに関しては、誰にも言わないように釘を刺されていた。シルヴィオの話では、異界のことに関しては、危険な思想を抱く者も少なからずいるらしい。
 そのような輩から身を守るためにも、希有には偽りの過去が必要であった。
 顔を上げれば、ベアトリスが冷めた瞳で希有を見ていた。
「…………、いつまで」
 その眼睛がんせいには氷のような鋭さが宿り、希有に対して明確な敵意を持っていることがうかがえる。
 希有が小さく息を呑むと、ベアトリスは嘲笑した。
「いつまで、見え透いた芝居を続けるつもりですか? シルヴィオ」
 あざけりをそのままに、彼女の視線はシルヴィオさえも射抜いた。
 額に、わずかに脂汗が滲む。
 深く考えずとも、ベアトリスが事情を知らないはずがなかったのだ。シルヴィオが希有を助けに来た時に、彼は引きとめる声を振り切った。
 シルヴィオは、ベアトリスの制止の声を無視して、希有を助けたのだ。それを知る彼女が、希有を歓迎するはずがない。
 希有を助けたことは、シルヴィオの我儘だ。
 シルヴィオを長年支援してきたベアトリスが、彼女の嫁いだローディアス公爵家が、その我儘をいつまでも赦すはずがない。
「私は、お前がその娘を傍に置くことを赦しはしません。何の価値もない小娘――お前の傍に在るだけで、邪魔な存在です」
 胸に突き刺さるような言葉に、希有は平静を保つために拳を握りしめた。
 邪魔者であることなど、とっくの昔に知っている。
 知っていたから、シルヴィオの傍にいることに、罪悪感が増すばかりなのだ。
「姉上、何を仰ってるのですか?」
 笑みを絶やさず、あくまで白を切るシルヴィオに、ベアトリスは不愉快だと言わんばかりに眉をひそめる。
「……、いいでしょう。お前がそこまでして偽り続けると言うのであれば、こちらにも考えがあります」
 高圧的な態度で、彼女は目を細めた。
「お前が誰の手によって生かされてきたのか、努々ゆめゆめ忘れないことです。シルヴィオ」
 シルヴィオがローディアス公爵家の所有物であるような、何処までも身勝手な台詞だった。
 隣にいるシルヴィオを見上げても、彼は黙って笑みを浮かべるだけだった。
 そこには、悲しみも憎しみも浮かべていない凪いだ瞳が在る。
 そのようなシルヴィオの態度も、気に入らなかったのだろう。去り際に、ベアトリスは顔一面を不快感に染め上げて言い捨てた。
「次にお会いできるのを楽しみにしています、異界の娘」
 その言葉に、肩が震える。
 再び出会った時には、ベアトリスは躊躇うことなく希有を害するのかもしれない。それだけの動機を、彼女は持っている。
 本来、シルヴィオは、希有を助けるという形で姿を現す予定ではなかった。シルヴィオの身勝手で希有の命は助かったが、彼を支援する者たちからすれば、憤らずにはいられない。
 希有は積み上げられてきたであろう計画を、最後の最後で崩した原因なのだ。シルヴィオの我儘の理由を、公爵家は決して赦しはしないだろう。
 希有は、震える手で隣にいるシルヴィオの服を掴んだ。
 心悸が激しくなり、思うように息ができなかった。真っ直ぐに立っていられず、吐き気がする。
 シルヴィオは、何も言わない。
 壊れたように微笑みながら、ベアトリスの後ろ姿を見つめていた。