花蓋の檻

01

 昔々、とある王国に、花のように美しい王女がいました。
 世継ぎの姫として育てられた彼女は、右に聡明な魔術師を、左に勇敢な騎士を従えて、それは幸せに暮らしていました。
 彼女は、生来の不思議な力故に民に最も慈しまれた王女でした。
 淡い赤髪に蒼の瞳をした王女は、様々な草花を芽吹きへ誘う力を持っていたのです。芽吹きの力に愛された姫君は、誰よりも気高く美しく育ちました。
 しかし、――王女が十六歳を迎えた春に、悲劇は起こりました。
 王女が左の騎士と恋仲になった時、王国は右の魔術師の手によって転覆されたのです。
 魔術師は、滅ぼした母国の代わりに、この地に帝国を築きあげました。
 皇帝となった魔術師の手により、亡国の王女は、その不思議な力を封じるために白亜の塔に閉じ込められたのでした。
 美しき王女の悲鳴は、今も塔に響き渡ります。


☆★☆★


 外界から、小鳥のさえずりが聞こえる。
 小さな窓から差し込む朝日と共に、わたしは目を覚ます。
 冷たい床に頬ずりしていた状態から身体を起こすと、寒さを凌《しの》ぐため身体に巻き付けた毛布から埃が立ち、わたしは思わず咳き込んだ。
 上質な絹で作られ、幾重にもレースが重ねられていたはずの白いドレスは、その面影も無残に襤褸と化していた。これでは、いくら毛布に包まったところで、寒さなど凌げるはずもない。
 何十日も柔らかな寝台で眠っていないせいか、身体中が軋んで悲鳴をあげていた。
 身体を動かすと、足枷に繋がれた鎖が音を立てて石畳の床と擦れる。垢だらけで血が滲んだ足首は青紫色をしていて、上手く動かすこともできなくなっていた。
 ――、涙は、もう出ない。
 嘆き悲しむことは、思いの外、体力を使う。満足に食事も与えられず、休眠も安らかにはできない。そのような状態で泣き続けることは、命を縮めることと同義だ。
 生きたいと願うならば、泣くのは止めなければならなかった。悲しみに蓋をすることはできなくとも、おもてに出すことは控えなければならない。
 乾き切った涙の痕を指でなぞってから自嘲して、わたしが顔をあげると、視線の先に淡い赤の薔薇が咲いていた。天井近くの小窓へと茨を伸ばし、ひたすらに塔の外を目指す薔薇だった。
 無駄な努力だ。どれほど茨を伸ばしたところで、塔にかけられた魔法が解けぬ限り、決して外には出られない。その現実を、薔薇に宿った彼女・・は誰よりも知っているはずなのに。
「……、ダガ、いるのでしょう?」
 か細い声で彼女の名前を呼ぶと、薔薇が幽かに輝きを放つ。
 次の瞬間、現れた美しい女の姿に、わたしは目を細めた。
 壁に伝う薔薇と同じ色の髪が、柔らかに波打っている。長い睫毛に縁取られた蒼の瞳には、恵みの雨のように鮮やかな潤いが在った。
 決して触れることのできない美しい花の化生は、わたしに微笑んだ。
「レーナ」
 塔の中に響くのは、どこまでも優しくわたしの名を呼ぶ声。
 わたしが無言で手を伸ばすと、彼女は透き通る身体で近づいてきて、そっとわたしを抱きしめてくれた。
 実体も温もりも何一つ感じられないが、心の中に安堵が広がる。
 ――、レーナっ……!
 塔の外から、まだ歳若い青年の叫び声が聞こえる。焦がれ続けた、愛しい青年の声だ。
「彼、今日も来ているのね」
 わたしは、ダガの胸に甘えるようにすり寄った。
 駄々を捏ねる子どもを宥めるように、彼女はわたしの身体を包み込む。
 塔の外で、大好きな人が名を呼ぶ声がしても、この鎖に繋がれている限り外の世界に出ることはない。
 ――、花蓋の檻からは、誰も出ることは叶わない。
 わたしを抱く花の化生を閉じ込めるために、わたしのように皇族の血を継いだ娘が必要なのだ。
 塔にかけられた魔法の要の一つとして、わたしは死ぬまで白亜の塔の外に出ることはない。
「……あは、魔術師は、魔法をかけました」
 物語には描かれることのなかった、塔に閉じ込められた亡国の姫君の末路。
 魔術師は、魔法をかけました。愛しい亡国の姫君を、白亜の塔に閉じ込め続けるための魔法を。
 花の化生の蓋として、己の血に連なる娘を犠牲にすることで、姫君の魂までも塔の中に閉じ込めたのです。