月虹彼方

第二幕 朱の少女 06

 緩やかな夜風が、室の中に舞い込む。青白い月光に照らされた室の中で、金色の髪をした青年が一心に絵を描いていた。
 その姿を見つめながら、真朱は朱色の瞳を細めた。
 筆をとる青嵐の姿には、初めて出逢った時の幼さはない。四年と言う歳月を経て、華奢な少年だった彼は、立派な青年へと成長していた。
 ――彼の未来を占った日から、四年もの歳月が流れたことを実感する。
 蒼穹のような瞳には理知的な光が宿り、透き通るように白い顔は女神のように美しかった。
 真朱は、思わず感嘆の息を零した。
 成長した彼には、何処か危うくあでやかな魅力があった。
「調子はどうですか? 青嵐様」
 青嵐が筆を置いたのを見計らって声をかけると、彼はゆっくりと真朱を振り返る。
「いつもと変わらぬ」
 肩を竦めた彼に、真朱は苦笑した。
「綺麗な花ですね」
 彼が描いていたのは、朱色の大輪の花だった。花弁の一枚一枚が瑞々しく、今にも香り出しそうなほどつややかである。
「……、気に入ったならば、後で持っていくと良い。どうせ政務の間の遊びだ」
「良いんですか? ありがとうございます」
 真朱が部屋の何処に花の絵を飾ろうかと思案していると、青嵐がおもむろに真朱の手を叩いた。
「それより、貴様、家からの書状はどうした?」
 青嵐の言葉に、真朱は懐から慌てて書状を取り出した。絵に見惚れてしまい、すっかり本題を忘れていた。
「李家の当主――、李永樹りえいじゅ様からの書状です」
 青嵐は真朱から書状を受け取って、目を通し始める。
「……、李永樹は、漸く、色良い返事を渡してきたな」
「ええ。青嵐様の望むままに協力してくださるようです」
 李家は、国の政治の中枢にまで食い込む名家だ。まだ歳若い李永樹も、宰相であり李家の当主という身分だった。
 真朱が占いで見た未来では、李永樹は青嵐の傍らに控えて笑っていた。
「準備は、ほとんど整いましたね」
「ああ、後は時期を見るだけだ」
 そう呟いて、何処か疲れているような表情をした彼に、真朱は気遣うように声をかける。
「お疲れですか?」
「今日は、皇帝陛下の見舞いの日だったからな。……少し、疲れた」
 真朱は青嵐の命で李家におもいていたため不在だったが、本日は病で伏せている皇帝を青嵐が見舞う日だったのだ。
「陛下の容体は、どうでしたか?」
蘭香らんか姉上に邪魔されて遠目からしか見舞うことができなかったが、……、随分と弱っているようだった。この分では、皇帝の代変わりも、それほど遠い話ではないだろう」
 目を細めた青嵐に、真朱は頷く。彼が何を言おうとしているかなど、分かり切ったことだった。
「必ず、青嵐様に皇位を捧げます」
 青嵐は満足そうに口元を綻ばせてから、真朱を手招きした。内心で首を傾げながら真朱が近づくと、青嵐は真朱の額に自分のそれを重ね合わせる。
「青嵐、様……?」
 突然の行動に、真朱は目を見開いた。互いの吐息が重なりそうな距離に思わず頬が赤くなる。
「熱はないようだが、顔色が悪い。――少し休め」
「……、はい。お気遣い、ありがとうございます」
「礼は要らぬ。貴様には、やってもらわなければならぬことが山ほどあるのだ。無理をして倒れられても困るからな」
 想像していた通り、額を合わせたのは真朱を心配しての行動でなかった。彼が真朱を駒としか見ていないことは良く知っていたので、今さら、衝撃は受けない。
 それに、真朱が動けなくなると、青嵐が困るというのは事実なのだ。出来そこないの術師とはいえ、青嵐に自由にできる術師は真朱しかいない。
「ご期待に添えるように頑張ります」
 白い手をとって、真朱は彼の手の甲に口づけた。
 国を滅ぼす皇子だとしても、真朱は青嵐に皇位を捧げる。彼が生き残るためには、皇帝になるしか道はないのだ。
 愛しい主が生きていることこそが、真朱の幸福だった。


☆★☆★


 それから数日後、貴族たちの下に書状を届けていた真朱が離宮に戻ると、珍しい格好をした青嵐の姿があった。
「青嵐様? その、格好は……」
 市井の民が着るような服を纏った青嵐に、真朱は目を瞬かせた。
「やっと戻ったか。早く、これに着替えろ」
 青嵐が、手に持っていた包みを真朱に投げた。受け取ったそれを広げると、淡い朱色の衣が現れる。術師として黒衣しか纏わない真朱には、愛らし過ぎる衣だ。
「李家に行く。今日と明日、蘭香姉上は地方で起きた災害の慰問に行っているからな。既に李家に書状は送ってある」
 最初から今日を狙っていたらしい青嵐に、真朱は苦笑する。
「では、幻影を」
「そうだな。もう夜になるとはいえ、このような姿で出歩けば面倒なことになる」
「……、とても、綺麗なんですけどね」
 金の髪に蒼穹の瞳。翔の民が憎むべき色ではあるが、純粋に美しい色だと思う。否、青嵐が持つからこそ、真朱にとっては尊く見えた。
「我、天翔る翼に願う」
 祈るように、真朱は月神への祈りを口にした。
 黒い紋様が身体を這って、刺すような痛みがしたが、面には出さずに我慢する。青嵐を皇帝にするまでは、片翼の刻印で比翼術を扱う代償は、隠し通さなければならない。
 一瞬だけ淡い光が降り注ぎ、青嵐の髪と瞳を黒く染めあげる。これで、冠家の術師以外の目を誤魔化すことができる。
「では、参りましょうか」
「ああ。念のため、裏から出るぞ」
 青嵐の言葉に、真朱は頷いた。
 蘭香が都を離れているとはいえ、彼女に通ずる者が都に残っていないとは言い切れない。警戒するに越したことはないだろう。
 李家との接触を、今、蘭香に悟られるわけにはいかない。青嵐のことを気にも留めていない皇子たちと違って、蘭香は青嵐を憎んでいるのだ。
 ここで妨害されては、――この四年間の努力が、無駄になってしまう。
 人目を気にしながら、離宮の裏手に回る。高い城壁に囲まれた離宮だが、万が一の時のために、城壁にはいくつかの抜け道が用意されているのだ。その中の一つを通って、城壁の外へ出る。このまま歩けば、城下町の外れに通じていることは知っていた。
「青嵐様とお出かけするのは、久しぶりですね」
 以前、御忍びで城下町に向かう青嵐に付き添ったことは何度かある。だが、ここ最近は忙しくて、各方面に書状を届けていた真朱と違い、彼には出かける暇がなかった。
「遊びに行くわけではない」
「もう、それくらい、分かっていますよ」
 軽く頬を膨らませて、真朱は夜空を見上げた。
 漆黒の夜空に、淡い光の点が動いていた。あの光が何であるのかを、翔の民は良く知っている。
「……、良い身分なものだな、月の民は」
 夜空を翔る翼で、月の民が飛んでいるのだ。月神に祝福されたようなその姿が、翔の民の憎しみを駆り立てる。
「空を飛べば、地に堕ちるかもしれないのに……」
 白銀の翼を狂わせて、時折、月の民は地上に堕ちる。そのことを承知しているはずなのに、何故、彼らは夜空を翔るのだろうか。
「それでも、月神から授かった翼を使わずにはいられないのだろうよ。月の民に言わせれば、翼は月神からの愛の証で、……月に住まうことを赦された証らしいからな」
 ――この大地には、今や国は一つしかない。遠い、遠い、遥か昔は、何百もの国がせめぎ合い、いくつもの大陸が存在していたはずだった。
 だが、大地は穢され、終焉へと向かって駆け出した。土地も資源も少なくなり、人々は争い合い、大地と共に滅びに向かった。
 そして、大地の穢れは、人類を創造し守護していた神をも蝕んだ。
 穢れに蝕まれた神が、最期の瞬間に生みだしたのが月神だ。生まれたばかりの月の女神は、穢れた大地を切り捨てて、新たに人が暮らすために月を創造したのだ。
「翼を持たぬ翔の民にとって、……月は桃源郷だ」
 そして、白銀の翼を持つ美しい女神は、空に浮かべた月と揃えて、天翔る翼を人類の一部・・に与えた。
 空に浮かぶ月へと、人類を飛び立たせる翼だ。
 だが、翼を手に入れた者たちは、翼を授かれなかった人間を月に連れていくことを拒んだ。月神が翼を与えなかったのは、その人間が大地を穢した罪ある者だからと主張して、月を独占したのだ。
 故に、長い年月を経た今でも、月の民は翔の民にとって憎むべき相手だ。滅びゆく大地に置き去りにされた恨みが、今も翔の民には根強く残っている。
「大地が完全に朽ちるのは、まだ先だとしても……、終わりは必ず訪れます。その時、翼を持たないあたしたちは滅びるのでしょうね」
 翔の民は、いつか、天つ空を翔ることを夢見ている。穢れた大地を捨てて、月へと翔るための翼を強く望んでいるのだ。
 翼を与えられなかった――、愛しい女神に見捨てられたかもしれないという不安を隠しながら、女神を慕っていた。
「大地が滅びるよりも先に、人が駄目になりそうだがな。己を見捨てたかもしれない月神に縋り続けて、今を生きることを疎かにする。……、月への憧憬を募らせたところで、翼は授かれないだろうに」
「それでも、……欲しいんですよ。翼が」
 誰だって、幸せになれる桃源郷を夢見ている。
 翔の民は、滅びゆく大地よりも、幸せに満ちているはずの月を望む。憧憬だけでは翼は授かれないと感づきながらも、ただ、月神に祈りを捧げる。そうすることでしか、翔の民は希望を持てない。
 城下町に着いて繁華街を歩き始めると、茶屋の軒下に人影があることに気づいた。
「こんばんは、影のお嬢さん」
 それは、良く見知った青年だった。青嵐に命じられて、真朱は何度も彼に会いに行ったことがある。
永樹えいじゅ様、……こんばんは」
 翔国宰相、李永樹りえいじゅは、笑顔で真朱に手を振った。隣にいた青嵐が足を止めて、頬を引きつらせる。
「……、貴様、供もつけずに、出歩いて良いのか」
「それは、こちらの台詞ですよ。か弱いお嬢さん一人しか連れないで、良く夜の街を出歩けるものですね」
「これは、貴様が思うようなか弱い娘ではないぞ?」
 青嵐と永樹のやり取りに、真朱は苦笑いをする。
 彼の言うとおり、真朱はか弱い娘ではない。か弱い娘は、身体にいくつもの凶器を隠したりしない。
「それは、それは。随分と、頼もしいことですね。――だからと言って、李家を直接訪れるのは止めていただきたいですが。書状を見た時、心臓が止まるかと思いましたよ」
 永樹の深い溜息に、真朱は首を傾げる。
「貴方様が皇位を継ぐ際には、李家は味方致しましょう。しかしながら、その決定を不満に思う者も、李家の中に入るのですよ」
「そうだろうな」
「万が一、ということもあり得ます。李家も、貴方様にとって安全とは言えませんから」
 尤もらしい言葉だったが、青嵐と真朱には永樹の言葉の裏に潜むものが良く分かった。
「……、本音は別だろうに。私が李家を訪れれば、私が失敗した場合、李家にも火の粉が降りかかるからな」
 李家の邸に招き入れない限り、最悪の事態が訪れても、李家は青嵐との関係を誤魔化すことができる。宰相李永樹は、偶然、城下町で翔青嵐と出逢っただけ、と。
「……、さあ、何のことでしょうかね」
「まあ良い。私が欲しいのは、議会の承認だからな」
 皇帝に即位するためには、政治的な力を持つ貴族たちで構成される、議会の承認が必要なのだ。翔国の政治の中枢を担う李家は、議会においても、かなりの幅を利かせている。李家が動いてくれれば、青嵐が皇帝になる際に議会の承認は得られるだろう。
「残りは、私がやらねばならぬことだ。貴様ら李家の手を下手に借りて、見限られても面倒だ」
「御謙遜を、聡明そうめいな青嵐様。貴方様が、お変わりなく過ごしてくださるならば、李家は応えましょう。兄皇子たちでは、国の未来が心配ですからね」
「相変わらず厭味な奴だな、……正直に言えば良かろう。贅沢三昧の皇子ならば、憎むべき民の血を継ぐ皇子の方が良いと」
「国が滅びるのは、李家の本意ではありませんから」
 衣を翻して、永樹が笑う。政争の最中に身を置き続けている故なのか、喰えない青年である。
「本日は、議会の承認について確認しに来ただけなのでしょう?」
「ああ。私は疑り深いからな。――自分で確認しなくては、不安だ」
 本当は、ここで青嵐は李家を巻き込もうとしていたのだろう。
 青嵐自身が李家を訪れてしまえば、最早、李家が生き残るには青嵐に味方するしか道はない。そうなれば、他の皇子につくにしても、青嵐との繋がりが懸念されて袖にされるのは目に見えている。
 青嵐は、李家を己だけの味方にするつもりだったのだ。
「用件は済んだようなので、私は失礼しますね。影ながら、貴方様の望みが叶うことを願っております。青嵐様」
 去っていく彼の背を見て、青嵐が息をついた。
「相変わらず、喰えない男だな」
 真朱も、それに関しては同意だった。青嵐の使いで何度も永樹と会っているが、掴みどころがない青年だ。顔に浮かべられた笑みは穏やかに見えるが、笑顔のままでえげつないことも平気でする。
 四年間かけて味方してもらえるようになったが、その理由の大部分は、永樹が他の皇子を使えないと判断したことにある。
 残念ながら、月の血を継ぐ青嵐を快く思っているわけではない。
「……、せっかくだから、城下を回るか」
「良いですね」
 たいていの店は日が沈めば店を閉めるが、中には、夜にだけ開く店もある。いつも離宮に籠っている青嵐にとっては、それらを見ながら城下を回るだけでも、良い息抜きになるのだろう。
 疎らに開く店の中で、装飾品を取り扱う店の前を通った瞬間、真朱は思わず足を止めた。その店は、真朱にとって見覚えがあるものだった。
「……、この店が、どうかしたのか?」
「一度だけ、この店に母さんと一緒に入ったことがあるんです。……、髪飾りが欲しくて、駄々を捏ねました」
 あれは、八歳の頃だった。母が仕事の時につける美しい髪飾りに憧れていた真朱は、自分も髪飾りが欲しくて堪らなかった。
「ちょうど、あそこに並べられているような、白い花の髪飾りと赤の結い紐。片方なら買ってあげると言ってくれたのに、……あたしは、選ぶことができなくて。店の前で泣き喚いて、母さんを困らせました」
 困ったように笑った母の顔を、今でもはっきりと憶えている。
 母はそれほど位の高い妓女ではなかった上に、真朱という荷物も抱えていたのだ。真朱が強請ったところで、二つ髪飾りを買うことは厳しかった。
「……、貴様は、結局、どちらを選んだのだ?」
 青嵐の言葉に、真朱は首を振った。
「どちらも買ってもらえずに、泣きじゃくったまま妓楼に戻りました。……選べなかったんです、どっちも欲しくて」
「両方手に入らなかったのか。莫迦だな」
「ええ、莫迦です」
 泣いて選ぶことができなかった幼い日、何度も後悔をした。
「だから、……今のあたしは、そんなことしません」
 同じ過ちを繰り返すつもりはなかった。真朱は、もう、子どもではないのだ。たった一つの願いのためならば、他を切り捨てる覚悟を持てる。
 青嵐の未来と、彼の傍に在り続けたいという真朱に芽生えた淡い願い。片方を選べば片方は手に入らないのだ。
「……、すみません、つまらない話をしてしまいましたね。青嵐様、何処か行きたい場所はありますか?」
 真朱の問いに、青嵐は暫し思案してから口を開いた。
「貴様が住んでいた場所が見てみたい」
「……、花街ですか? 見て楽しいものではないと思いますけど」
「つべこべ言わずに案内しろ。私の命が聞けぬか?」
 強引に言いつけて来る青嵐に、真朱は戸惑いながら頷いた。花街など、彼が見ても気分を悪くするだけだろうが、命令を拒むこともできない。
「分かりました。ご案内します」
 真朱は、一瞬の躊躇ためらいの後、そっと青嵐の手を掴んだ。
「……、この手はなんだ」
はぐれないようにするためですよ。花街は、人が多いですから」
 彼の白い手を軽く握って、真朱は歩き出した。逸れることを防ぐため以外に、他意はないはずだった。
 だが、繋がった掌から伝わる熱に、心臓が跳ねる。自分が想像していたよりも、彼の手は大きくて男らしかった。
 二人並んで歩いているうちに、やがて、派手な建物が建ち並ぶ区域へと入る。
「ここから、花街ですよ」
 妓女を買いに来た男たちの足音が、花街を震わせていた。甘い香の匂いが鼻を擽って、真朱は懐かしさ憶える。
 四年前までは、真朱もこの街の一部だったのだ。
「……、随分と、騒がしいな」
「花街は、夜が一番賑やかですから」
 小奇麗な身なりをした男たちが、次々と、馴染みの妓楼へと入っていく姿を見ながら、真朱は目を細めた。
 この場所で暮らしていたのは四年も前のことになるが、花街はあの頃と何も変わっていない。
 白粉と甘い香の匂いが漂っていても、この場所は何処かしら殺伐とした雰囲気を孕んでいる。男女の間にあるのは、愛や恋などという甘いものではなく、金銭で結ばれた一時の契約に過ぎないからかもしれない。
 その契約で生まれた真朱には、――男女の愛や恋が良く分からない。
 誰かを大切に思うことが愛だと言うならば、真朱は間違いなく青嵐を愛している。だが、それが恋情だと言う確信は持てない。この想いは執着だ。ただ一人、傍に居続けてくれた故に、真朱は青嵐に固執している。
「……、貴様は、ここで生まれ、暮らしていたのか」
「はい。母さんが生きている頃は、花街の外れの妓楼で。……母さんが死んでからは、ここの路地裏で暮らしていました」
 真朱が十歳になった時、母は客から病を貰って死んだ。下女だった真朱は、母の死と共に妓楼を追い出された。
 実父の存在を知らず、行く宛のなかった真朱は、二年もの月日を鼠のように路地を這いながら生きた。名前さえ知らなかった比翼術を用いて、たくさんの悪さをした。
 まだ子どもであった真朱は、腕に広がる黒い紋様と刺すような痛みに怯えながらも、比翼術を使う道を選んだ。真っ当に生きようなどとは、少しも思わなかった。恵まれている者たちから奪うことで生きる。それを当然だと思っていた。
「父親のことも、冠家のことも知らないで生きていたんです」
 その生活の中で、飢え死にそうになっていた時、――真朱は初めて実父である冠士良に会った。自分が皇族に仕える冠家の血筋を継ぐことも、舌にある刻印の意味も、その時になって初めて教えられた。
「全部教えてもらった後も……、冠家の御子息と妓女が子を作るなんて、ばかみたいで信じられませんでした」
 父親に対して、家族の愛情を抱くことはできなかった。冠家のことを知るほど、父が真朱を引きとった理由は冠家の血を継いでいるからに過ぎないと分かった。
「私の命は、望まれて始まったわけではないんです」
 時折、母が真朱を身籠ったこと自体が間違いだったのではないかと思う。不幸にも真朱を身籠ってしまった母は、きっと、苦しんだに違いない。
「……、ばかみたいでも、貴様は生まれた。堕胎の選択肢もあっただろうに
貴様の母親はそれを選ばなかった。……、それは、貴様が望まれて生まれた証にはならぬのか?」
 驚いて真朱が顔をあげると、青嵐は視線を逸らした。彼の白い頬は、わずかに赤く染まっていた。
「それでも足らぬと言うならば、……私が貴様の生を望み、肯定してやる」
 彼の言葉が、とても嬉しかった。己の生を肯定してもらえたことが、真朱の心を震わす。
「だから、最期まで、ついて来い」
「……、はい。お傍に置いてください」
 彼の言葉で、迷っていたことの決心がついた。
 今まで、踏み出すことのできなかった道を選ぶことができる。
 自分の未来と、青嵐の未来。
 ――片方しか選べないならば、真朱は青嵐の未来を選びたい。
 ただ傍にいてくれた彼のために、生きて、死んでいきたいと思った。心の底から、そうありたいと願った。

 皇帝陛下が病によって亡くなったのは、――この、数日後のことだった。