キーラの着替えを手伝いながら、ジリヤが顔を歪めた。
普段は衣に隠れて見えないキーラの肌には、無数の火傷の痕が散らばっている。ジリヤの前にキーラを世話していた乳母が、何度も火を押し付けたせいで残った火傷の痕。爛れて引きつったような傷痕は、見ていて快いものではない。
「……、気持ち悪い?」
キーラの言葉に、ジリヤは肩を揺らした。
乳母が死ぬまで、キーラが彼女に虐げられていた事実は誰にも気づかれなかった。乳母は実に巧妙にその事実を隠していた上に、大神官たちはキーラが生きてさえいれば、傷を負おうが無関心だったのだ。
神殿の外の村で刻印を持って生まれたキーラは、赤子の頃に両親から引き離され、神殿に引きとられた。生後間もなくして親から離されたキーラを憐れんだ大神官は、キーラに故郷を忘れさせないために、乳母を同じ村から選出したらしい。せめてもの、情けのつもりだったのだろう。
だが、乳母にとって――神殿の外で生まれた人間にとっては、キーラは自分たちを苦しめる元凶としか思えない。再生の足がかりのために生を受けたとはいえ、キーラ自身は世界を砂漠で覆い尽くす毒だ。
一滴の水が手に入らず死んでいく民がいる。その原因は、毒であるキーラそのものなのだ。
「ええ、……とても」
淡々と口にしたジリヤに、キーラは頷く。
「こんな風に火を押し付けて、痛めつけたい?」
ジリヤは、動きを止めて眉をひそめた。
「当然でしょう? 憎まずにはいられない。お前は、世界を滅ぼす毒なのだから」
キーラの肌に爪を立てて、ジリヤは呟いた。
彼女の射抜くような眼差しに、幼い頃の彼女の姿が頭に浮かぶ。ジリヤは勝気で堂々としていて、美しい少女だった。皆から大事にされていた彼女に、幼かったキーラは嫉妬と羨望を抱いていた。今もそれは変わらない。
キーラの欲しいものを、何でも持っている少女だった。
愛してくれる父親も、守り慕ってくれる人々も、アラムの未来も。キーラには決して手に入らないすべてを持つ彼女が、いつも妬ましくて、羨ましかった。
「そっか。……でも、もう、憎まなくても良いよ。だって、神子の予言の通り、あと七日経てば煉獄の門が開くもの」
キーラが生まれた日は、五百年に一度きりの煉獄の門が開く日だ。世界の狭間である煉獄に、この世界の毒を落とすことを、かつての神子が予言で定めた日。
「そうですね。……、貴方が待ち望んだ女神になれる日です。おめでとうございます」
――赤い月が昇る夜、キーラは世界の狭間にある煉獄で女神となる。幼い日から、大人たちが何度もキーラに言い聞かせてきた言葉だ。死んでいくキーラのために、大人たちが作り上げた夢のような話。
その内容が出鱈目だと分かっているだろうに、彼女は祝いの言葉を口にした。
「……、ありがとう」
ジリヤの気持ちも、分からなくはない。アラムの婚約者であるジリヤにとって、キーラは愛しい人に集る蝿のようなものだ。できる限り早く、目の前から消えてほしいと思っているのだろう。
そのことに関して、今さら傷つくことはなかった。この世界の何処を探しても、キーラに生きてほしいと願ってくれる人などいない。
優しく微笑んでくれるアラムも、心の何処かでキーラの死を願っているに違いない。否、自分が殺す娘だからこそ、優しい彼はキーラを放っておけなかったのだろう。
「ねえ、私ね、……とても、とても嬉しいの」
キーラが心底幸せそうに笑みを作ると、ジリヤは身じろぎをした。
「赤い月が昇る夜、私はアラム様に殺される」
胸の奥が酷く痛んだが、キーラは笑顔を保ち続けた。
もしかしたら、キーラはジリヤに嫉妬しているのかもしれない。これから続く未来、アラムと一緒になれる彼女が憎いのだ。好きな人と結ばれて、子を成し、幸せに死んでいくであろう彼女が妬ましい。
キーラだって、そのような幸せが欲しかった。
だが、キーラはアラムの隣は立てない。ジリヤが手にする幸せは、キーラにとって、永遠に夢物語だった。
「あの人に消えない傷を遺すの。優しいアラム様は、私を忘れない。貴方がアラム様の隣に立った未来も、……私は、アラム様の心の中で生き続けるの」
アラムは、己が手にかけた少女のことを何時までも心に住まわせることになる。優しい彼には、キーラを忘れることなどできない。
「アラム様は、貴方だけのものには、ならないの」
キーラの死がアラムを傷つけても、――キーラはアラムの心に残りたかった。浅ましいと知りながらも、願わずにはいられない。
ジリヤは目に涙を浮かべて、乱暴な足取りで部屋を出て行った。その背が震えているのを、キーラは確かに見た。
ジリヤは、キーラがアラムと出逢うずっと前から、彼のことを好いている。並々ならぬ愛情を十数年も育んで、ただ一心にアラムを慕っていることも知っていた。
それでも、これだけは譲れなかった。
「それくらい、……赦してよ。ジリヤ」
アラムに傷を遺して、彼にいつまでも憶えてもらう。そうして漸く、震える身体を諫めて、キーラは死を選ぶことができるのだ。
この血肉のすべては、世界を侵す毒だ。瑞々しい世界を砂漠で覆い尽くす忌まわしい存在で、それ故にキーラは煉獄へ落ちなければならない。
――滅びつつある世界が、再生を迎えるために。
そのためだけに、今日まで生かされてきたのだ。
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