派手な衣装を身に纏い、煌びやかな装飾品をつけた人々が、舞踏場を賑わしていた。
今夜の主役であるライナスは、舞踏場の隅に立ち、声をかけてくる者たちを適当にあしらっていた。いつも張りつけていた笑みさえも今日は上手く作ることができず、舞踏会の参加者たちは不思議そうにライナスを見ている。
自分の成人を祝す舞踏会だが、少しも嬉しくなかった。
「一人か? ライナス」
背後から聞こえた声に、ライナスは振り向く。
「……、母上」
黒いドレスを身に纏ったガレン国の女王が、グラスを片手に嬉しそうに笑っていた。
「賭けは私の勝ちのようだな」
その言葉に、ライナスは曖昧な笑みを浮かべる。
この舞踏会が終わりを迎えるまでに、イーディスがライナスの元に来なければ、ライナスは賭けに負ける。
おそらく、彼女はライナスの元へは来ないだろう。二年の歳月は彼女を臆病にしていた上に、一度拗れた関係を修復することは、ライナスには無理だったのだ。
「……、まだ、時間ではありませんよ」
しかし、ライナスは未だに淡い期待を抱かずにはいられない。我ながら諦めが悪いことだが、それほどまでに好きなのだから仕方がない。
幼い頃から女王の寵を受けていたライナスは、好き勝手振る舞うことを赦されていた。だが、与えられるすべては灰色にしか見えず、心揺さぶられるほど強く望むものはなかった。
ライナスの心は、いつも空虚を抱えていて、満たされることはなかった。それを寂しさだとも知らなかった。
そして、気紛れに入学した王立学院で、ライナスはイーディスに出逢った。 欠けた何かを補うように、満たしてくれるように、彼女の存在はライナスを幸福にした。
何もかも興味がなくて、世界を見下していたライナスの心に触れてくれたのは、イーディスだけだった。それは彼女の幼さが生んだ偶然だったのかもしれないが、それでも、ライナスは嬉しかった。
生まれて初めて、誰かを強く望んだ。灰色の世界で、唯一の色を持った鮮やかな灼熱の色。心を焦がさずにはいられなかった、ライナスの心を焼け付かせる真っ赤な太陽。
――幸せに生きてほしかった。できることならば、傍にいてほしかった。
「お前らしくない、負けを前提にしたような賭けだったな。……、だからこそ、私もお前の我儘を聞き入れたのだが」
「……、僕の我儘を汲み取ってくださり、感謝しています」
イーディスを傍に置きたいという、ライナスの我儘。それは、女王が聞き入れるには度が過ぎた願いだったが、彼女は賭けと言う形で応じてくれた。
「初めから賭けに勝つ気などなく、……ただ、あの子に会いたかっただけか」
「……、負けるつもりは、ありませんでしたよ」
「嘘をつくな。あの子が、今さらお前の傍に戻るとは思っていなかったのだろう? あと数年も生きられぬかもしれないあの子に、お前を選べと言うのは酷だよ」
女王は意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前は健気な子だな。この二年、……あの子のために、灰化を阻止する研究までしていた」
「……、ご存知でしたか」
「息子の愚かしい行動くらい、母親として知っていて当然だ。……灰の民は、生きながら魔力を喪失していくから希少なのだ。灰化を阻止するための研究など、国の不利益にしかならないと分かっているだろうに」
灰の民は、生きながらに灰化を起こすからこそ、薬を精製できるという価値を持つ。彼らは国に利益をもたらす道具でしかない。女王は、そのようにしかイーディスを見ることができない。支配者にとって、必要なのはイーディスの心ではなく、道具としての価値だ。
「……、結果は、出なかったのだろう?」
ライナスは、頷いて肯定の意を示す。結局、ライナスはイーディスを灰化から救う術を手にできなかった。むしろ、研究を進めたことで、彼女を救う手立てなど存在しないことを突き付けられた。
彼女の身体ごと取り換えでもしない限り、灰化は止まらない。そして、それを行えるだけの技術は、今の時代にはない。もし、その技術が完成したとしても、それは数百年も後の話だろう。
「ライナス。私は頭の良いお前を気に入っているし、特別愛している。あの男が私に遺してくれた、大切な忘れ形見だからな」
ライナスの他にも息子を持つ身でありながら、女王はライナスを特別に可愛がる。それは、ライナスの父親が彼女の愛した男であるからだろう。
灰の民を傍に置いてほしくないという親心も、理解はしていた。
「イーディス・ティセ・ディオルは諦めろ」
ライナスは目を伏せた。
――、この恋は、決して、祝福されるようなものではない。ライナスが歩んでいく未来で、イーディスの存在は汚点になると周囲は思うだろう。ほんの短い時間しか共に在れないイーディスのために、人生を棒に振っているかのように見えるはずだ。
それでも、彼女を望んだのは自分だ。遠くない未来に別れが訪れるとしても、傍で笑っていてほしいと願った想いは、何物にも代えがたいライナスの真実。
「未来のないあの子は、王となるお前に相応しくない」
たとえ、女王が己を王に推すつもりであろうとも、それはライナスの望みではない。
「贔屓《ひいき》も度が過ぎれば、非難を浴びますよ。……、次の王は、兄上たちの中からお選びになるべきです」
「愛した男の息子に跡を継がせたいと思うのは、母として当然のことだろう? お前の兄たちも可愛い息子だが、あの子たちは、私が欲しかった血を継いでない」
「ガレン国の女王は、後継者選びに私情を挟むのですか」
「恋情に浮かされ、母親に女を強請る息子よりは、良いと思うがな」
ライナスが言葉に詰まると、女王は笑んだ。
「お前の未来は私が選ぶ。それが、お前が負けた時の約束だろう」
「……、ええ、そうですね」
ライナスが投げやりに応えると、急に、舞踏場が騒がしくなった。
「何やら騒がしいな」
女王が呟くと同時、ライナスは人混みの中に鮮やかな赤を見た気がした。
ライナスの隣にいた女王が、驚いたように目を見開いた。ライナスもまた、信じられなかった。
喧騒を打ち破るように少女の叫びが耳に届く。それは、ずっと欲しかった少女が、己の名を呼ぶ声だった。
◇◆◇◆◇
ライナスがいる舞踏場へと、イーディスは走っていた。後ろでスタンが何か言っていたが、今は頭に入らない。
ただ、ライナスの傍に行きたかった。
「そこの女、止まれ!」
イーディスの姿に気づいた警備兵が叫ぶ。その怒声に怯むことなく、イーディスは走り続けた。警備兵の一人が、剣を引き抜いてイーディスに向けた。
「通して」
舞踏場への道を妨げる剣に足を止めたイーディスは、警備兵を睨みつけた。
「……っ、貴様!」
一歩も動かずに見つめて来るイーディスに、痺れを切らした警備兵が剣を振り上げる。
瞬間、イーディスを庇うように振り上げられた剣を受けとめる者が現れる。
「……、スタン?」
「……、お前は、莫迦なのか。一人でライナスの元まで辿りつけるはずがないだろう」
呆れたように呟いて、スタンは警備兵を見た。
「通せ。ライナス様の望みだ」
スタンがライナスの護衛であることを知っているのか、警備兵は困惑したように瞳を揺らした。
「……っ、しかし! 誰も通すなと、陛下からのお達しです」
「なるほど。……陛下も、本気というわけか」
剣を握り直して、スタンはイーディスの肩を叩いた。
「ここは俺に任せろ。少しくらいなら、時間稼ぎしてやる」
彼の言葉に強く頷いて、イーディスは舞踏場へと飛び込んだ。
突如姿を現したイーディスに、談笑をしていた貴族たちが目を丸くする。
舞踏場の隅に、眩い金色を見つけた瞬間、イーディスは駆け出した。騒然となった会場の中、転びそうになる足を必死で動かす。視線の先には、ライナスしかいなかった。
「……っ、ライナス」
目を閉じて耳を塞いでいた。そうすることで、臆病な心を守ろうとしていた。それが逃げだと知りながら、イーディスは世界を拒絶した。
だが、見えなくても、聞こえなくても――温かな日の光を、いつだって感じていたはずだ。
「ライナス、……っ、ライナス!」
太陽は、いつだってイーディスの心にあった。ずっと、照らし続けてくれていたのに気付かないふりをしていた。
この身のすべてから溢れ出す想いのままに、イーディスは声を張り上げた。
「何処にも行かないでっ……、傍にいて!」
ライナスの身体に、イーディスは勢い良く抱きついた。彼の背に腕をまわして強く力を込める。
何もかも、諦めようと思っていた。
――だが、この人だけは諦めたくない。
「……、イーディス?」
堪えていた涙を目に溜めて、イーディスは彼を見上げた。
「私の未来は限られている……、だけど、一緒が良いの。笑ってほしいと願ってくれるなら、……貴方が私を笑顔にして、ライナス」
それこそが、イーディスの幸せだ。
彼の手が躊躇うように、ゆっくりとイーディスの背に回された。
望み続けた人が、イーディスに応えてくれている。彼の胸に顔を埋めて、イーディスは大粒の涙を零した。
「賭けは、僕の勝ちですね」
女王が、大きな溜息をつく。
「ライナス。お前は、きっと、不幸になるよ。灰の民を選んだことを、いつか後悔する」
「いいえ。――僕は、幸せになります」
ライナスの声が、力強く舞踏場に響いた。
「母上。今まで、愛し育ててくださったこと、感謝しています」
「親不孝者が。……お前のような息子は、私から願い下げだよ」
言葉こそ辛辣だったが、女王の声は優しい響きを持っていた。
「ライナス・レト・エレン・シルファ・ガレン」
ガレン国の第五王子。自らの息子の名を、女王が厳かな声で呼んだ。
「貴殿から、王位継承権をはく奪する」
女王の宣言に、その場にいた誰もが言葉を失う。
「以後、臣下として、ガレン国に力を添えよ」
「拝命、承りました。女王陛下」
ライナスは、琥珀の瞳を細めて嬉しそうに笑った。
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