花の魔女は二度燃える

02 | 04 | 目次

  第一幕-03-  

 子ども部屋の寝台のうえで、カグヤは紙とインクペンを広げる。
 小さく息を吸ってから、日本語で前世の情報を書きだしていく。
 ほとんどの記憶は朧気だが、たしか名前の響きは今と変わらない《カグヤ》だった。十五歳、女子中学生。そこで記憶が終わっているのは、おそらく十五歳で死んだからだ。
「どうして、死んだんでしたっけ?」
 享年十五。あまりにも若すぎる死だったが、はっきりとした死因が思い出せない。目を瞑るとよみがえるのは、とても熱くて、堪らなかったことだけで――。
「勉強か?」
 いつのまにか戻ってきたイヴが、カグヤの手元を覗き込んでいた。
 カグヤは慌てて隠そうとするが、すぐに隠す必要はないことを思い出す。これは日本語。前世の自分だけが知っている言葉だから、イヴに読めるものではない。
「もう古代文字のひとつが使えるのか。幼くても、やはり魔女は魔女だな」
「古代、文字?」
「星の女神が遺した言葉。特別な魔女だけが読める、特別な言葉だ」
 カグヤは眉をひそめた。
 いまのカグヤが魔女として生まれついたことからも、ここは明らかに地球ではなかった。女神の遺した言葉が、何故、日本語として残っているのか分からない。
「女神様って、星の時間を巻き戻した?」
「ああ。古代文字は、星の亡びを覆すために記されたもの。……カグヤは幼いから、まだ難しいか? 同じ間違いを繰り返さないための言葉だ」
「もう一回、星が亡びないように?」
 一度は亡びた星だ。時間を巻き戻しただけでは、同じように亡びを迎えてしまう。亡びないためには、一度目とは異なる道を選ばなくてはならない。
 古代文字とは、一度目と同じ間違いを繰り返さないための言葉。
「そもそも、再星神話さいせいしんわとは、星を蘇らせるための物語だ。一度は間違えてしまったから、二度目は間違えないために記された神話」
「……ちょっと難しいです」
 今のカグヤは、この国で生きた五歳の幼女と、日本にいた十五歳の中学生が混ざり合ってしまった。亡びた星、女神の神話、前世の自分の知らない物語を、素直に受け入れることができない。
「難しいのならば、忘れても良い」
「忘れても良いんですか?」
「女神がどうたら、と王城や教会の連中はうるさいが、あんなものに祈る必要はない。女神に祈ったところで、救われるわけではないのだから」
 寝台に腰を下ろしたイヴは、カグヤを膝のうえに載せた。抱きかかえられたまま、カグヤはじっと彼の顔を見つめる。
「なら、イヴ様は何を信じるんですか?」
 星の女神。この星で最も信仰されているであろう存在。彼女に祈らないならば、イヴはいったい何を信じるのだろうか。
「何も信じない」
 表情こそ微笑んでいるが、ぞっとするくらい空っぽの声だった。
「それは、苦しくないですか?」
「苦しい?」
 カグヤとて、神を信じてはいない。
 だが、惜しみない愛情を注いでくれた両親のことは信じている。前世を思い出して、五歳のカグヤと十五歳だったカグヤが混ざった今も変わらない。
「哀しいとき、苦しいとき、どうするの? 一人でいるんですか」
 誰しも、心の拠り所を、信じるべきものを持っているはずだ。そうでなくては、生きていくことはできない。
「……ああ、そういう。哀しいとか、苦しいとか、俺には良く分からないんだ。いま死んでも、きっと後悔しない。お前には難しいだろうが」
 難しいからこそ、吐露したのだろう。これはイヴにとって、独り言のようなものなのだ。五歳の少女には、生も死も分からない、と決めつけている。
「イヴ様は、死にたいんですか?」
 問いかける声は震えてしまった。だが、ここで問わなければ、取り返しのつかないことになる予感があった。
 ここではない何処かに思い馳せるように、イヴは目を細めた。
「待っているんだ、ずっと。俺を殺してくれる誰かを。いちばん良いかたちで、ふさわしいときに殺されたい」
「良いかたちって、何? 殺されることに良いことなんてありませんよ」
「そうか? 殺された方が良い命もある。生まれただけで、生きているだけで、他人を不幸にするならば。せめて、いちばん役に立つとき殺されたい」
 イヴの言葉を、上手に呑みこむことができなかった。悲壮な言葉と裏腹に、彼の声も、表情も穏やかで満ち足りたものであったから、なおのこと。
「……どうして、そういうこと、わたしに言うんですか」
「お前は、俺のことなんて何も知らない女の子だから。小さくて、幼くて、きっとぜんぶ忘れてくれる。そうでなくては、こんなこと誰にも言えない」
 堪らなくなって、カグヤは手を伸ばした。
 華やかで美しいかおだ。染みひとつない肌はつるりとして、けぶる睫毛に囲まれた緑の目は宝石そのものだった。
 女神に一等愛された、そんな美貌。
 だから、なおさら、そう感じてしまうのかもしれない。この美しい男の子は、どこか虚ろで、魂のない人形のようだった。
「言わないで。死にたい、なんて」
「でも、疲れてしまった」
「なら、元気になるまで、お休みしましょう? この邸には、イヴ様に痛いことをする人はいません」
「そうして、また戦場に戻されるのか?」
 カグヤは唇を噛んだ。かける言葉が見つからなかった。
 イヴがこの邸にいるのは、一時的なものだ。そう遠くない未来、イヴは本来の居場所に戻る。彼が望まなくとも、戦場に戻されるのだ。
 王都で能天気に暮らしていたカグヤが、何度も戦場に立たされる王子に、いったいどんな慰めを与えることができるのか。
「良いな、お前は。ぜんぶを持っている」
 切なそうに目を細めるイヴは、捨てられた仔犬のようだった。
「……イヴ様だって、ぜんぶ持っていますよ」
「何もないよ、俺には」 
 その言葉を最後に、急に力が抜けたように、イヴの身体が倒れてきた。彼の腕に閉じ込められたまま、カグヤも寝台に倒れ込む。
「イヴ様?」
 真っ青で血の気のない顔だった。青紫の唇からは、呼吸と呼ぶには頼りない、か細い吐息だけがあった。
 頬に触れると、死人のように冷たかった。
 このまま放っておけば、イヴが死んでしまう気がした。
 頭が真っ白になってしまう。父は診療のため城下町に向かっている。母はいつもどおり軍部で働いている。
 今の邸には、イヴとカグヤしかいない。
 自然と、いろんな恐怖で涙が溢れた。
 感情の制御ができない。いくら、十五歳の自分の意識が混ざり合っていても、この身体は五歳の女の子でしかない。
 まなじりから、髪から、肌から、生花が咲いてゆく。魔女の身体は、感情の制御ができなくなると、普段は身体の内側に在る魔力が発露する。
 カグヤの魔力は、花のかたちで顕れるものなので、あちこちから花が溢れた。
「イヴ様。起きて! ねえ」
 花に塗れた掌で、イヴの頬を叩く。睫毛が震えて、薄っすらと彼は目を開く。
 ほとんど意識がないのか、夢現で、彼はカグヤを見据えた。そうして、その薄い唇を、カグヤの掌に押しつける。
 唇が開いて、赤い舌が揺らめいて、そうして――。
 イヴは、カグヤから咲いた花を食べてしまった・・・・・・・・・・・
 花弁を唇で食んで、赤い舌で転がして、嚥下する。心なしか肌に赤みが戻って、小さくなっていた呼吸が戻っていく。
「なに、いまの?」
 安らかな寝息を立て、イヴはそのまま寝入ってしまった。
 圧し潰されたままのカグヤを、王城から帰ってきたミレイユが見つけたのは、それから半日後のことだった。




02 | 04 | 目次
Copyright (c) 東堂 燦 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-