花の魔女は二度燃える
第一幕-04-
寝台には、綺麗な男の子が眠っていた。
「特に異常はありませんね」
ひととおりの診察を終えて、ダリウスはそう言った。
「ありがと。ほら、カグヤ。もう泣かないの」
ソファで膝を抱えていたカグヤを、ミレイユが慰める。しかし、涙は止まらず、目元からはらはらと花弁が散ってゆく。
「だって。イヴ様、大丈夫なんですか?」
「平気よ、いつものことだから。あのね、イヴ様には魔女の、呪いがあるの」
「呪い?」
「そう。放っておいたら、死に至る呪い」
ようやく、イヴに覚えていた違和感の正体が分かった。
彼を人形のようだと思ったのは、決して間違いではなかったのだ。
死人のように冷たい肌、宝石そのものみたいな瞳は、ここに在りながらも、ここに存在しないような不安定さを醸していた。その身体は何処かつくりものめいて、空っぽの印象を受けた。
魔女に呪われた彼は、常に死の淵に立っている。だから、人形のように生気の感じられない美しさを持っていた。
「ねえ、カグヤ。イヴ様のこと好き?」
突然の質問に、カグヤは目を丸くした。
直感的に分かったのは、ミレイユの言う《好き》が、《恋しい》と同じ意味ということだった。五歳の娘に尋ねる内容ではない。
「わたし、まだ五歳です。イヴ様とも会ったばかりですよ」
「魔女の恋はね、年齢も時間も、あらゆることが関係ないのよ。……イヴ様を連れてきた日、あなた、人見知りしなかったもの。あたしとダリウス以外を怖がって、いつも隠れちゃうのにね」
カグヤは曖昧に笑う。人見知りしなかったのは、前世を思い出したからだ。しかし、そのような世迷言を、母親に打ち明ける勇気はなかった。
「初めての恋ね。でも、初恋って叶わないのよねえ。お母様がそうだったもの」
「お父様じゃないんですか?」
「愛しているけれど、恋とは違うかしら。お父様は一番ではないから」
耳を疑う言葉に、カグヤはぎょっとした。
「ミレイユ。僕は薬草園にいますので、何かありましたら呼んでください」
特に気にした様子もなく、ダリウスは部屋を出て行く。
恋ではない、一番でもない、と断言された父が憐れだった。無口で無表情だが、あの人は心の底から母に惚れているのだ。
「お父様よりも、好きな人がいるんですか?」
「ええ。あの人の願いなら何でも叶えてあげたいって、今でも思っているわ。叶わなかった恋だけれども、あれが最初で最後よ。カグヤもきっと、そんな風にイヴ様のことを好きになるの。だって、あたしの娘だもの」
「イヴ様のことなんて、別に好きじゃないです。……それに、初恋は叶わないって、いま言ったのに」
「叶わないものを叶えるのが魔女よ。あたしはダメだったけれど、あなたの恋は叶うかもしれない」
「お母様が、そこまで好きになった人って。どんな人?」
父よりも、おそらく娘であるカグヤよりも特別な人だ。
母の愛情を疑ったことはないが、母が家族よりも特別に思っているであろう人を思うと、胸が痛んだ。
「あたしじゃない、別の男を愛した人。別の人に恋をする彼女が好きだったの」
「女の、人?」
「そう。とっても綺麗で、優しくて、柔らかい手をしていた。大好きだったのよ。こんなあたしを、魔女ではなく人間としてあつかってくれた。イヴ様も同じでしょう?」
魔女ではなく、人間として。それは、カグヤにも覚えのある出来事だった。
「髪を、結ってくれたの」
イヴも、同じようにカグヤのことを一人の女の子としてあつかった。
「とっても可愛かったわ。気持ち悪いなんて言わなかったでしょう?」
「……うん」
カグヤを魔女という化け物ではなく、普通の女の子として見てくれた。薬草園に忍び込んで、石を投げてきた子どもたちとは違う。
「あなたがイヴ様を好きになってくれたら嬉しい。イヴ様は、あたしが命に代えても守りたい主君だから」
「……なら、わたし、きっとイヴ様のこと好きになりますね」
家族の大事なもの、命に代えても守りたいものならば、どうしたって気にかけてしまう。ミレイユの語る《恋》でなくとも、情をかけてしまうだろう。
「それくらいにしてくれ。起きていると、分かっていただろう」
衣擦れの音がする。寝台で上半身を起こして、イヴが溜息交じりに零した。
「ごめんなさいねえ、死にたがりの王子様に、ちょっと反省してほしくて。カグヤがいるから大丈夫だと思ったのに、これだもの。趣味が悪いんじゃないのかしら?」
「本気で死ぬつもりはなかった。ここで死んだら、お前の首が飛ぶだろう」
「私の首が飛ぶくらいで済むかしら? 信用ならないわ、本当。カグヤ、あたしは軍に戻らなくちゃだから、ちゃんと見張っていてね」
ミレイユは呆れたように肩を竦めて、子ども部屋を出て行ってしまった。取り残されたカグヤは、思わず、助けを求めるようにイヴを見た。
青白い顔をした王子には、色濃く死の陰があった。その原因が何であるのか、さきほど母から聞かされたばかりだ。
「イヴ様は、魔女に呪われているんですね」
「俺の母親は、美しい女だったらしい。だが、魔女だった。自らの息子に呪いをかけるような。俺を産んですぐに火事で死んだから、顔も知らないが」
「魔女が、王子様の母親になれるんですか?」
「本来であれば認められない。だが、彼女は魔女であることを隠して、劇場の歌姫として人間社会に溶け込んでいた。王は何も知らず、美しい歌姫を迎え入れた」
数は少ないものの、人間社会に溶け込む魔女は存在する。
カグヤのような容姿では難しいが、王国民と似た顔立ちで生まれた魔女は、社会にまぎれ込み、人間の振りをしていることもあった。
何も知らなかった王が、魔女を娶ってしまうことはあるのかもしれない。
「でも。イヴ様、生きていますよ?」
死に至る呪いをかけられたならば、今日まで彼が生きているはずがない。
「ミレイユが、呪いを打ち消している」
魔女の呪いとは、基本的に覆すことはできない。一度かけられた呪いは、成就するまで終わらないのだ。
唯一の対処法は、別の魔女から、正反対の呪いをかけてもらうことだ。
「お母様がイヴ様を連れてきたのは、自分が傍にいられないときのため? ここには、わたしという魔女がいるから」
「正解。お前は賢いな、十歳は年上のようだ」
くすくすと笑うイヴに、カグヤは眉をひそめる。
「どうして、最初からそう言わなかったんですか」
「ミレイユが戻って来るくらいまでなら、大丈夫な自信があった。死ぬほどのことにはならない」
「本当に死んでしまったら? ふさわしいとき、いちばん良いかたちで死にたいって言ったじゃないですか」
「そうだな」
彼の言動は矛盾していた。ふさわしいときに死にたいならば、いたずらに命を危険にさらすべきではない。
「イヴ様。今日からずっと一緒です」
危うい少年だった。目を離した途端、簡単に死への階段を駆け下りるつもりだ。彼は、自分の命など、本当にどうでも良いのだ。
「……うん?」
「今日から、わたしがイヴ様のこと見張ります」
自分の家で誰かが死ぬなんて冗談ではなかった。そもそも、死んだら、イヴに仕えているミレイユの責任問題にもなる。
そんな風に言い訳を並べながらも、カグヤは気づいていた。
空っぽのくせに、捨てられた仔犬のような顔をするから放っておけない。
何も持っていないと言いながら、何かを求めるような目をするから、どうしたって気になってしまうのだ。
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