花の魔女は二度燃える
第三幕-10-
はじめて足を踏み入れた王城は、別世界のようだった。
イヴに頼んで、カグヤは燃えてしまった離宮跡に連れて来てもらった。
眼前には何も残っていなかった。芝生の真中に、ぽっかりと剥き出しの地面があって、辛うじて離宮が建っていたことを推測できるくらいだ。
カグヤが想像していた以上に、大規模な火災だったのだ。死者が母だけであったことが不思議なくらいだ。
「そういえば、どうして離宮に王族が集まっていたんですか?」
当時、離宮にはイヴを除いたほとんどの王族が揃っていたという。
「父上の誕生祝いだな」
「国王様の? 御病気されていますよね、たしか」
国王が長らく病に伏しているのは、カグヤですら知っている。病床の王を献身的に支えて、公務の大半をこなしているのが王太子であることも有名な話だ。
王太子ヨアンは、亡き王妃の忘れ形見だ。国王はことさら彼を寵愛し、特別に引き立てている、と父から聞いたことがあった。
「お前の言うとおりだ。父上は患っているから、本当に身内だけの祝いだったらしい」
「……らしい、って。イヴ様、もしかして」
「俺だけ呼ばれなかった。父上から嫌われているからな。あの方にしてみれば、自分を騙した魔女の子だ。顔を見るだけでも我慢ならない」
「そんな明るく言われると、反応に困るんですけど」
イヴの母親は、人間の振りをして、劇場で歌姫をしていた魔女だ。王を騙して、魔女でありながら妃の一人となった。
以来、国王は魔女という存在そのものを忌み嫌っている。
カグヤの母のように軍に属し、その関係で王城に出入りすることもあった魔女は稀だ。
王城における魔女は、どうしたってイヴの母親を思い出させる。王を騙していた悪辣な女、王城に災いの血を招いたもの。
「幸い、火事が起きたのは、父上が離宮にいらっしゃる前だった。これで父上まで巻き込まれていたら、俺の首は一発で刎(は)ねられていたな」
イヴは左手の親指で、首を斬るような仕草をした。
「なんだか、話を聞けば聞くほど、イヴ様が疑われるの分かります。誰かがイヴ様を犯人に仕立て上げたみたい」
「俺も魔女だ。疑うな、というのが無理な話だろう」
王国法では、血の繋がった三親等に魔女がいる者は、総じて魔女と定義される。母親が魔女であったイヴも、法の上では魔女とされるべきだ。
しかし、あの法は、魔女たちの認識とは異なる。
「でも、イヴ様、本物の魔女じゃないでしょう? 男性型の魔女って、とっても珍しいんですよ。魔女から生まれた男の子って、たいてい魔力も持たない普通の人間です。魔女の多くは、女型として設計されているので」
少なくとも、王都の魔女街に男性型の魔女はいない。母の身内にはいるらしいが、カグヤは会ったことがなく、ほとんど幻みたいなものだ。
「設計。機械仕掛けようなことを言う」
「まあ、それに近いのかもしれません。魔女は、容姿、魔力の形、いろんなものが最初から仕組まれているんです。生まれる前から、魔女は魔女になることを定められているんですよ」
そう話しながらも、カグヤ自身、常に葛藤している。
カグヤには、前世、平凡な女子中学生だった頃の記憶がある。一方で、この星で生まれ育った魔女としての思い出もある。
ふたつは混ざってしまい、今さら分断することは叶わない。
前世の記憶と、今の気持ちがせめぎ合って、魔女としての自分を完全に受け入れることができずにいる。
いまいち納得がいかないのか、イヴは不思議そうな顔をしている。
魔女から生まれた王子であり、長らく部下として魔女――カグヤの母を従えておきながら、イヴは《魔女》という生き物を、本質的には理解していないのだ。
「イヴ様は、ここに立っても何も感じないでしょう?」
「感じる?」
カグヤは離宮跡に向かって両手を広げる。燃えた離宮跡には、一見、何も残っていないが、カグヤには感じとることができる。
「離宮が燃えた日、ここに魔女がいたことを。そして、その呪いがまだ成就していないことを。――火事のあと、王城で奇妙なことが起きていませんか?」
おそらく、離宮の火事は始まりでしかない。魔女の呪いは、今もなお王城で牙を剥いているはずだ。
呪いとは、成就するまで終わらないものなのだから。
「……王城では、小火が続いている。二十四年前に亡くなった王妃の私室、弟たちの遊んでいた庭園。昨夜は、王太子が療養している部屋だな。離宮のときと同じで、突然、火の手があがったそうだ」
たった数日間で三度の小火だ。偶然で片づけることはできなかった。
「やっぱり。だって、ここにはまだ呪いが残っています」
「俺には、さっぱり分からないな」
「なら、イヴ様は魔女じゃないんです。本物の魔女には、他の魔女の痕跡が分かるんですよ。わたしたちは、根本的には同じ存在で、同じように呪いを使う。同じだから、呪いの痕を探すこともできます」
「それは、離宮で呪いを使った魔女を特定できる、という意味か?」
イヴは眉をひそめた。まるで、魔女が特定されると困る、とでもいうような表情だ。
「いいえ。残念ながら、わたしたちは同じ存在だから、誰が呪いを使ったかまでは判別できません。……もしかして、イヴ様、お母様が犯人だと思っていますか? だから、特定されると困る?」
教会でイヴに言われたときは、怒りのあまり冷静に考えることができなかった。
しかし、あらためて整理してみると、離宮を燃やした魔女がミレイユである可能性は、十二分にあるのだ。
「普通に考えるなら、いちばん可能性が高い。当時、離宮にいた魔女はミレイユだけだった。あの場にいた者たちはそう認識している」
「でも、動機が分かりません。だって、お母様が呪いを使ったのなら、それは……」
「自殺、あるいは心中だな。自分の命を犠牲にしても、成し遂げたいことがあったか。それとも、隠したい何かがあったのか」
話し方や性格のせいで誤解されがちだが、母は考えなしの無鉄砲ではなく、むしろ計算高い人だった。最初から、自分の命を捨てることさえ決めて、離宮を燃やした可能性もあった。
「なんだか、分からないことばかりです」
離宮に火をつけたのが、魔女であったことは分かった。しかし、あとはすべて疑惑でしかない。
「イヴ様! こんなところで時間食っている場合じゃないですよ。迎えが来ちゃったじゃないですか。約束の時間、とっくに過ぎているみたいですけど」
驚いて、カグヤは飛びあがる。
イヴの部下、ディオンが腰に片手をあてて怒っている。カグヤは気づかなかったが、後ろからずっと付き従っていたらしい。
ディオンの隣には、見覚えのない男がいた。
妙に威圧感のある男だ。見上げるほど背が高く、いかにも屈強そうな身体つきをしていた。華奢で、つくりものめいた印象を受けるイヴとは大違いだ。
「昼前にはいらっしゃる、と聞いていたのですが」
「そうだったか?」
「あなた、あいかわらず適当ですね。そちらのお嬢さんは、ミレイユの娘ですか? 御噂はかねがね」
「カグヤ、と言います」
「ご丁寧にどうも、魔女のお嬢さん。アガートです」
カグヤと目線を合わせるよう、アガートは屈みこんだ。眉間のしわや鋭い目つきのせいで不機嫌そうに見えるが、背の低いカグヤに合わせてくれるあたり、気性は穏やかなのかもしれない。
「可哀そうに。イヴ様の我儘に巻き込まれて」
アガートは心底憐れむように、カグヤの頭に触れた。まるで、幼い子どもにするように、ゆっくりと撫でられる。
「あ、あの……?」
「すべては二十四年前の罪を償うため。魔女のお嬢さん、どうか忘れないでください。あなたは悪くありません、何も」
カグヤにだけ聞こえるよう、アガートは囁いた。真意を問う前に、カグヤは後ろから腕を引っ張られる。
「イヴ様⁉」
「あまり触るな、俺の魔女だ」
「珍しい、あなたが嫉妬するなんて。明日は槍でも降りますか?」
「言ってろ。カグヤ、しばらくディオンと一緒にいてくれ。あとで迎えに来る」
「え。別に迎えに来てくださらなくても結構ですよ。一人で帰れますし、なんなら、魔女街にも顔を出したいので。お父様の様子も確認したいし……」
そこまで言って、カグヤは口を閉ざした。イヴが怖い顔をしている。
「ダリウスには、お前を預かっていることは伝えてある。何の心配も要らない」
「……あはは、そうでしたね。大人しく待っています」
イヴと再会してから数日のうちに学んでしまった。下手に抵抗すると面倒なことになるので、我慢できないこと以外、彼の要求は受け入れた方が楽だった。。
「良い子だな」
カグヤの頭を撫でると、イヴはアガートと一緒に何処かに向かった。
「アガートさんって、どんな立場ですか? イヴ様と親しいみたいですけど」
取り残された者同士、とディオンに尋ねる。
「イヴ様の元部下、僕の同僚だった人だよ。いまはもう軍を辞めて、王太子付きの秘書官をしているけど」
「はあ。王太子様の秘書官さんが、イヴ様に何の用事が?」
「そりゃあ、王太子のお見舞いでしょ。火事で療養中ってことなんだし。兄弟なんだから、顔くらい見に行くって」
「えっ!? イヴ様と王太子様って、仲良しなんですか」
「なに驚いてんだよ、失礼な奴だな。仲良いに決まってるだろ。イヴ様、家族のこと、すごく大事にしているんだから」
十年前のイヴからは想像できない。当時の彼は、親兄弟とは疎遠で、戦場育ちの自分と他の王子を比べて嘆いていた。
「そっか。良かったです、家族と親しくできるようになったなら」
空っぽだったイヴは、十年の間に大切なものを見つけることができたのだ。幼いカグヤが贈った宝箱に、大事なものとして、イヴは家族のことを仕舞ったのだろう。
ならば、彼がそれを手放さなくて済むようにしてあげたい。
離宮の火事の真相を掴んで、イヴが犯人に仕立て上げられることを防ぐ。その過程で、きっと死んでしまった母のことも分かるはずだ。
「二十四年前の罪を償うため、ですか」
カグヤは小さな声でつぶやいた。
アガートの言葉が意味するところは分からないが、何かしら今回の火事と関係しているのかもしれない。
二十四年前と言えば、ちょうどイヴや王太子が生まれた年だ。
◆◇◆◇◆
カグヤたちの姿が見えなくなったところで、イヴは思いっ切り肩を叩かれる。足を止めると、追い打ちのように、もう一度叩かれた。
「上官に暴力か?」
「もう、あなたの部下ではありませんので。くだらない嫉妬するくらいなら、王城になんて連れて来ないでください。ご自分の邸に仕舞っておけば良かったものを。もともと、そのつもりだったんでしょう?」
早口で捲し立てられて、イヴは苦笑いを浮かべた。アガートは弟妹が多いので、年下の人間に弱い。カグヤのことを心配しているのだ。
「離宮の火事。犯人を捜したいそうだ。俺は一言も、そのようなこと言っていないんだがな」
火事の犯人を捜すために、カグヤのような魔女が必要だった。カグヤはそう尋ねてきたが、イヴは否定も肯定もしていない。
勝手に一人で納得して、勝手に動きはじめたのはカグヤだ。
「はあ? それで、離宮の燃え跡なんか見せていたんですか。まさか、それに付き合うなんて言わないですよね」
「可愛い我儘くらい、付き合うつもりだ。カグヤは、ミレイユの死を納得していない。火事の真実を知りたいと思うのは当然だ」
「ミレイユが生きていたら、こんなことに娘を関わらせたりしないでしょうよ。溺愛していたじゃないですか」
「溺愛もしたくなる。可愛いだろう?」
アガートは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「可愛いというか、予想以上に幼かった、というか。あの子、あなたがいつも話していた幼女でしょ。怖いんですけど。あいつらの墓前になんて説明すれば? イヴは、やっぱりド変態だった、ってことくらいしか言えませんよ」
「もう十五だ、幼女ではない。大人になったら迎えに行く約束だったからな」
「その約束を盾にして迫った、と。あのお嬢さんが可哀そうで仕方ありませんよ。心底、同情します。こんな男の我儘に巻き込まれて」
「止めない時点で、お前も同罪だ。なに、心配することはない。最後は予定どおり、何もかも上手くいくよ。いちばん綺麗な形で終わってくれる」
「あなたにとっての綺麗な形でしょうに」
アガートは頭痛を堪えるように、こめかみに指をあてた。